38 物語は続かない

 「ルビー・グルーム」というカートゥーンアニメがある。ドラキュラやフランケン・シュタインなどの水木しげる作品に準拠して言えば西欧妖怪にあたるキャラクター達が登場する海外アニメで、ハロウィンモチーフをこよなく愛する身としてはやはりこういったものも大好物であると胸を張って言うことは二酸化炭素を排出する行為に伴って自然と行われるもので、ともすればあるときの無料放送で録画したのだった。
 予想に違わず世界観は全くもって大好物であったのだが、いかんせん内容が面白くなかった。「内容が微妙だった」以外の記憶がすべて抜け落ちるほどには薄味の退屈な脚本と演出であった。口に白い異物が残らないほどに薄められたカルピスを飲んだときのようなかぎりなくぬるい地獄がそこにある。牛乳で割っていたらどんなに美味しかったろう、と幼少の頃母に教わった''カロリーの純白魔女''たる追想と比較して余計に辛どくなってくるのであった。なんとまあ期待しがいのない… やむを得ず出張った腹の引込みに於ける怠惰っぷりに重ね重ね落胆をしてみせるのだった。

 2001年9月11日の夜分、自室の小さなブラウン管テレビで母と死闘を繰り広げてる自分がいた。目玉のついたゲル状のマスコットを、同色同士くっつけることで消し去り、それにより生まれる爽快感を楽しむと共に、質量保存の法則に従い偶然にも、そして不運にも相手のテリトリーに廃棄される透き通ったこれまたゲル状の生物を無数に積み立てることで爽快を求めんとする、そして相手の精神にのっぴきならないストレスを与えることをまた快感とする、そういった対戦遊戯である。無論劣勢に甘んじればストレスは自らを飲み込む洪水と化しこの身に焦燥を掻き立てる。己の安息のために相手を徹底的に叩き潰さなければならない。この戦いに互角の文字はなく、一方が活きれば他方は窮する。すなわちこの対戦落ちゲーは生きるか死ぬか、生き延びるか殺されるかの真剣勝負、否、生死を賭けた闘争なのだ。だというのにこいつら、ぷよぷよしやがって。ちなみに「通」である。
 あまりにも手を抜かれた命名を飄々と生きこなすカエルにプログラミングされた気の触れた戦術を我がものとし肉親を追い詰めるその最中、当時最新の「ニュース受信機能」を有していた母の携帯電話が聞いたことのない音声を発した。聞きなれぬ通知音は異変を感じさせるに充分であり、一番大きなテレビのあるリビングへと駆け出しわずか数歩先、リモコンにより光を得たテレビが最初に映し出したのが飛行機の映像、数秒後が惨劇であった。当時何を感じたのか、「思ったことを書け」などと漠然と宣う小学校の国語のテストに椎茸のそれに匹敵する過剰なまでのアレルギー反応を示していた自分にその記憶はあるはずもなく、その映像を観るに至る過程の景色だけが記憶に壁紙のように貼りついていた。

 17歳にもなるとインターネットの友達と東京で遊ぶなどという、分不相応な交流を楽しんでいた。否、当時のコミュニケーション能力の無さはといえば今では考えられないほどの無間地獄であり、声は小さく不潔、ただの気持ち悪い変なデブという印象しか与えられずにいた。ちなみに分不相応というのは、少なくとも当時の小遣いでは東京と地元を往復するだけで全財産が枯渇するような地域に居住、そして通学していたことがその理由である。
 立川駅のすぐ近くにある小さなラーメン屋の杏仁豆腐が美味しかったことはよく覚えている。その集まりに参加していた1人のオタク女子は、男子校通いを匠の域にまで磨き上げ、「女性とは架空の性別ではないか」と真剣に仮説を立てるまでに至った当時の自分から見れば紛うことなき美少女で、まぁ少なくともそこらのオタク女子よりはなんとも言えず可愛かった覚えがある。記憶の彼方のことなので、今の価値観で評価をすることは精神物理学的に困難を究める。爽やかにしたミルクのような白をイメージさせる少女であった。なお歳上である。
 同じコミュニティで知り合った福島の肉塊男子は彼女に恋心を寄せていたが、「私、レズだから」の一言にあえなく撃沈したという。かける言葉もなかったが、しかしありきたりな物語のようにフラれていたほうが慰めづらかったような気も今となってはするのである。

 将来とは何か。目先の遊楽に身を委ねることのみをただ善しとし、かといって聡明な友人の人生設計を莫迦にすることはせず、不器用なりの応援をし、ただおそらく影では阿呆だ愚者だと言われながらそれに気付かず、ありとあらゆる妥協の果てに詐欺まがいの偏差値稼ぎを行うみみっちぃ某大学の某学部に進学した。同級生であればこのレベルの大学しか通らなければ迷わず浪人を選んだであろう。2、3年に一度は東大現役合格を実現する進学校であったのだ。しかしあまりの己の怠惰を冷静に省みた結果、愚息目は浪人したとて、「人生経験」という無意義な有意義さに目が眩み遊び呆け失敗を繰り返すだろうと予測した。そして安易にモラトリアムに踏み込んだのである。
 高校時代の暗澹たる自己の水脈を清めんが如く、大学からは明るく振る舞おうと努めた。言うまでもなく途端に無理が生じ、ごく普通の大学生の輪の中で胃に穴を空け、逃げるように才気溢れる社会不適合者達の切磋琢磨の鍛錬場に雑用を求めて出入りした。ただ手近な憧れの近くに身を置き自らの無味乾燥をカムフラージュしたかったのであろう。しかしながら一寸の虫にも五分の魂、意地と忍耐により理不尽に(あるいは無知が招いた)襲い来る修羅場を辛くも超え、類まれなる処理能力を我がものとするに至った。
 失ったものも大きかった。いいように使い潰され、借金は残り、2年間空けた大学に友はおらず、既に忘れ去られた基礎知識を用いて行われる専門的講義による単位を100ほど狩らなければならなかった。
 当時想いを寄せていた''戦友''たる女性のただ一言の叱咤に清い冷水を浴びせられたかのように覚醒し、以後もう少し自分に優しく生きようと決めた。もしかすると、大学に入ってからの波乱の体験の数々は、ただその一言を信頼のおける友から頂くためだけに与えられた経験だったのかもしれない。

37 こないだのゆるめるモ!のSHOWROOMに関してなにがここまで納得いかないのかという話

びっくりするくらい文章がゴミみたいだ。情緒不安定です。まとまりがありません。大変お手数をおかけしますが、心の骨を抜いて軟体動物の気持ちで読み進めて頂きたいと思います。


先日のSHOWROOMは本当に不愉快でした。(上に貼ったやつです)
O-EAST、仙台ニューニューという素晴らしい一連のライブを観て推しモチベが完全に安定したと思った矢先、この放送での発言一つでそのモチベが三途の川の水の温度を測れる場所まで運ばれました。河原の石の模様だって模写できます。※この記事書き終えたあと力尽きて他界


28:30あたりからの発言なのですが、
「物足りなさを狙った」
とか
「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」
って言ってるあたりなんですけど。

そもそもアイドルのワンマンの意義について自分なりの考えを書きますね。てかたぶんメンバー的にはアイドルよりバンドみたいに見られたいとか思ってるかもしれないのでどっちにしろ「普段対バンライブをしてる人たちがやるワンマンの意義」について書きますね。


シンプルな話、

「ライブいいなあ。好きだなあ。5,6曲じゃ物足りないなあ…」
↓
「たっぷり観たいからワンマン行こう!」

だと思うんですよね。
その人達だけを観たくて行くんだから、徹底的にその人達の音楽を楽しみたくてワンマン行くってことですよね。


糞フリーターですが一応経営学科卒なので客商売の話をします。

経営学の超基本的な話で(さんすうで言うところの「1たす1は2」と同レベルの基本)、「顧客は商品を買うのではなく商品を買うことによって得られる満足を買っている」という定説があるんですね。

実際そうだと思います。
なにか食べたいとき、美味しそうだと思ったものを買います。
なにか読みたいとき、面白そうだと思ったものを買います。

ほんとそれだけの話なんですけど、ここで最初の話に戻りますね。

  • 「物足りなさを狙った」
  • 「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」

「物足りなく感じてもらう」ことを目的としたと。ほう。


過去のワンマンライブはだいたい前売券で4,000円~4,500円ほど。今回も4,500円。
セットリストに関しては、2016年7月の新木場公演までのワンマンは1公演25曲超えが当たり前のボリュームあるライブが特徴でした。
多彩かつクオリティの高い楽曲を多数聴けることがゆるめるモ!のワンマンの醍醐味のひとつだったと思います。


4人になってからのセットリストはメンバーが考えているそうです。
昨年のリキッドルームでは22曲ほどと若干減り、先日の東名阪ツアーではなんとアンコール含めて15曲という、一番多いときの半分ほどの曲数しか演奏されませんでした。物足りなかったという声も多く聞かれたものの、ライブ自体のクオリティは高かったと思います。
一番上に載せた先日のSHOWROOM放送ではそのセットリストについての解説のくだりがあり、その中で今回の発言があったわけです。


ゆるめるモ!だけを観て満足しようと思い5,000円近いチケットを買って来たお客さんを満足させないことを目的としたライブだったんだ。と。
そう解釈してしまうことは意地悪でしょうか?自分は聞いていて自然とこう捉えました。


「伝えたいことを絞った結果スマートなメニューになった」とかってのは言いたいことはわかるんですよ。ただもうこの発言なんですよね。「物足りなさを感じてもらう」っていう。

曲数の少ない対バンライブを観て「もっと観たい聴きたい」というファンのために行われるのがワンマンなのではないのでしょうか?
ライブだけじゃ物足りないって感じさせたいって、じゃあとなにがあるんですかね?
オフ会イベントの集客に力入れるための計らいなのでしょうか。最近ただでさえライブが少なく、オフ会イベントなんかもっと少ないですが。
あるいは普段のイベントの動員に力入れたいんでしょうか?そっちのほうが曲数少ないのに?そんなこなぁないわな。


「ワンマンライブに行く」っていうのはファン活動の最高到達点だと思うんですよ。
好きなメンバーと会って話してチェキ撮って、ゆるめるモ!だけのライブをたっぷり楽しみに行くわけじゃないですか。それ以上のことってないじゃないですか。だから1,000人以上も集まるんじゃないですか。
ゆるめるモ!で身も心もいっぱいに満たしたいから行くんじゃないですか。ワンマンライブに。


そこで満足させる気がないと公言してしまうなら、そもそもファンを満足させる気がないってことなんですよ。


無銭ならいいんですよ。物足りなかったなあ、お金払ってもっと観れるなら観たい!って思わせたらそれは大成功だと思います。てか無銭でやることですよね?これ。
今回のツアー、前売4,500円/当日5,000円の有料ライブなんですよ。今までならこの額でめいっぱい楽しめたんです。あれもこれもって様々な楽曲をやりながら、ただ雑多なだけではない大きな芯の通った素晴らしいライブを魅せてくれていたんです。


「物足りなさを感じさせて他のイベントにも来てほしい」とか言うなら高い金払わせてワンマンなんかやるんじゃねえよ、って言いたいんです。
社会人なんかはいいとしても、中高生くらいのファンも少なくないと思います。中高生にとって5,000円って重いですよ。例えば自分の場合は高校のころバイトできなかったのでお小遣い制でしたが、当時の自分にとって5,000円というのは2ヶ月分の給料に相当します。



なんのためのワンマンなんですかね。
普段の対バンライブで興味持ってもらって、ワンマンでたっぷり聴かせてこそ真髄が伝わるってもんだと思うんですが違うんでしょうか。
ワンマンのその先で見せたいものってなんなんでしょうか。自分たちだけのフィールドで不完全燃焼させておいてまで見せたいものって、なんなんでしょう。なんかあるんですかね。わかんないです。



ゆるめるモ!はいっつも良いライブ魅せてくれるから、安くないお金払ってでも観に行ってたんですけどね。なんだかお金払って観ることに抵抗感じてきてしまいました。満足させる気ないなんて言われてしまったらね。


なにも言わないでくれれば勝手に捉えて勝手に楽しめてたのに。好きだからなんでも前向きに捉えて悪いところは運営のせいにしていくらでも楽しんでいられたのに。

なにが悪いってこれがメンバーの意志だというのが明確なことなんです。
メンバーの意志であることがわからなければ運営叩けば済む話なんですよ。
オタクは推しが好きだから推しのことは叩きたくないんですよ。なにも知らなきゃ運営がやってるって普通は思うから運営が捌け口になるじゃないですか。そういう役割を担って下さってるところがあるじゃないですか運営の方々って。

でも今回はメンバーの意志でやってることで、その意図もメンバーの口から説明されたんですよ。
推しを叩きたいオタクなんかいないんですよ。好きな人を批判したい人なんかいないんですよ。別にガチ恋とかじゃないけどさ、それをしてることが本当につらいんですよ。地獄みたい。


自分も発言には気をつけようと思いました。

36 ゆるめるモ!の統合と炸裂 - バトルニューニュー仙台公演「恐るべき子供たちが帰ってきた」

懐かしの旧「ゆるトロ(slo-モ!)」で登場したメンバーが両手を掲げると即座に歓声が上がる。オープニングナンバー「べぜ~る」からスタートしたライブは、やる気なさげなゆるすぎる煽りなどパフォーマンスも当時を踏襲したもので、続くグループの始まりの曲「ゆるめるモん」を経て行われたMCもゆるみを極めていた。

今回のライブはゆるめるモ!がデビュー当初から行っているツーマン企画「バトルニューニュー」で、通常は異なるジャンルのバンドなどをゲストに迎えて開催されるのだが、仙台公演では現在ゆるめるモ!VS過去ゆるめるモ!という異色の対バンが組まれた。

トップバッターの過去ゆるめるモ!は、当時リリースされたDVDのタイトルにちなみ「恐るべき子供たち」と称し2014年から招聘された。
この恐るべき子供たちはライブだけでなく、なにも話すことを決めずラフに行っていたMCや「普段は8人で活動してるんだけど今日は4人お休みでね」とメンバーの休みが多かった状況をうまく再現。衣装もアルバム「Unforgettable Final Odyssey」リリース当時の、DEVOを意識したものだ。

とりあえずようなぴがMCの進行をするものの、今では考えられないすさまじくgdgdなMCに笑いが起こる。突拍子もなく「さっき鼻血出た」とか言い出すしふぉん、何も喋らないあの、「わー」「すごーい」とまったりしたけものフレンズみたいなけちょんなどが脱力の限りを尽くす。とりあえず“2017年のようなぴ”が召喚され今回の「バトルニューニュー」の趣旨説明が行われた。

「カウベル持ってる人ー!」とこれまた懐かしい呼びかけから「あさだ」へ。2015年に再録されているが、今回は「Electric Sukiyaki Girls」収録の原曲、かつイントロのドラムがカットされたバージョンで、ローファイなベースラインがカウベルと共にフロアに響く。さらに1stフルアルバム「Unforgettable Final Odyssey」にも収録された初期の雰囲気を象徴する「ぺけぺけ」を続けて披露した。

雰囲気はゆるいながらも、ライブが熱いことは当時から変わらない。「ゆるめるモ!の歌詞を書いてくれてる小林愛さんのバンドの曲です!」と続けて歌われたのは当初からのレパートリーである「白玉ディスコ」。サークルモッシュが発生し、さらに代表曲「逃げろ!!」でフロアの熱量は増していった。

「2017年のゆるめるモ!さんがんばってるね~」とものすごく他人事のようなMCが繰り広げられ、あのは勝手にどこかに行くという相変わらずの当時ぶりを炸裂させる。曰く「そのへんの山に行ってた」。
がんばっている未来のゆるめるモ!に宛てて「生きろ!!」を披露すると、当時の定番曲「manual of 東京 girl 現代史」と続け、最後は「なつ おん ぶるー」で再びサークルモッシュが起こり、フロアがぐちゃぐちゃになったまま過去ゆるめるモ!のライブは幕を閉じた。



懐かしい曲で固めた2014年のゆるめるモ!によるライブの熱も冷めやらぬ中、ガラリと雰囲気を変えたロックサウンドのSEと共に今度は最新の衣装をまとった現在のゆるめるモ!が登場。

こちらは最新曲「震えて甦れ」でライブをスタート。力強いメッセージと共にフロアを踊らせると、続けてミニマルディスコチューン「スキヤキ」を披露。「スキヤキ」は2014年リリースの楽曲でライブでも定番のナンバーだが、2017年に入ってからは「Only You」「id アイドル」といった重要曲と共に頻繁に披露されている楽曲だ。

過去ゆるめるモ!とは打って変わってMCの進行にも締まりがあり、煽りにも熱が入る現在ゆるめるモ!。

一旦MCを挟むと、この日のハイライトは思いがけず訪れた。
その楽曲が、2ndフルアルバム「YOU ARE THE WORLD」のオープニングナンバーとなった「モモモモモモ!世世世世世世!」。披露されたのはかなり久しぶりなのだが、実は現在のゆるめるモ!のスタンスと非常に合致している楽曲なのだ。

メンバーは近頃のライブで「逃げてばかりだった自分たちがようやく『逃げていいんだよ』と言えるようになってきた」とよく語っている。
「地獄みたい きっと明日はもっと 両手振って走り出せない」
「だから眠る 今日は逃げる 仕方ないでしょ」

と、逃げる側として歌っている「逃げろ!!」に対し、
「モモモモモモ!世世世世世世!」は
「ギリギリできりきり舞いな時は当然いつでも呼んでほしい」
「ただただ観てるだけじゃいけないなと思った」
「任せてほしい この場のことは」
「もう何も出来ないと思ってる君に何度も会いに行く ゆるめるモ!」
と、頼もしい言葉達が並ぶ。「いざゆかん」と。

この楽曲が発表された当時、窮屈な社会をゆるめることを標榜してきた彼女らが、この曲をもってついにヒーローになった!と胸が震えたのを覚えている。哀愁漂うシリアスなサビメロは、悲しみも苦しみも背負いそれでもなお闘わんとする特撮ヒーローの終盤のストーリーのような雰囲気を感じさせた。

「逃げていいんだよと言える側になった」今のゆるめるモ!にこそ歌ってほしいとずっと願っていた1曲だった。
直前の過去ゆるめるモ!による当時を再現したライブがあり、そして時系列的には中期にあたるこの楽曲が歌われたことで、過去と現在が一本の大きな柱で貫かれた感覚を覚えた。
メンバーが度々口にする「今も昔もゆるめるモ!である」ということを、言葉ではわかっていても真に理解することは難しい。今のゆるめるモ!は大きく成長を遂げ、「ゆるかわいい」から「カッコいい」グループになった。思い出は微かな記憶として残り、今だから味わえる旨味を見つけるよりも過去のそれを求めてしまう人もいるだろう。あるいは、現在しか知らない人は辿ってきた道程にあった姿を体感として知ることはできない。

この日は過去のライブ再現と現在のゆるめるモ!のライブをどちらもステージ上に立ち上げ、なおかつそれを「モモモモモモ!世世世世世世!」がひとつに繋げた。あらゆるバックグラウンドが今現在ゆるめるモ!をゆるめるモ!たらしめていることが心で理解出来た。まるで巨大で雄々しい塔がそこに姿を現したかのようだった。

息付く間もなくライブは終盤戦へと突入してゆく。過去とはまるで別人のようなしふぉんのアッパーな煽りから「Hamidasumo!」へ。続く「Only You」ではあのとしふぉんがダイブ、終盤はフロアの中に降りて人垣の中で観客と共に大合唱をし、ステージに戻った。
「仙台前に来たときこんなもんじゃなかっただろ!」とさらに「id アイドル」を畳み掛け、熱気は最高潮へと昇り詰めた。

「過去も今もこれからも孤独に寄り添う存在でいたい」と最後に披露されたのは、最新シングル収録の「孤独な獣」。
思えば「君たち一人一人が世界だ」「必要ない人なんていない」と圧倒的に個の存在を肯定する「Only You」があり、それでも日々の暮らしの中ではどうしても弾かれて孤独になってしまう人もいて、しかしそれもここで出逢えばそれは二つになると歌うのが「孤独な獣」だ。

世界に何か違和感を覚えて、どうしても孤独になってしまう人がいる。なりたくもないのに暗い気分になってしまい、厄介な目に遭っている人がいる。好きで輪から外れているわけではないのにどうしても孤立してしまう人がいる。
でも、ゆるめるモ!の前ではすべてが受け入れられるのだ。
エモーショナルでスケール感のある心地好いギターサウンドと共に「Wow wow~」の大合唱で会場に集まった一人一人が繋がり、最後にはひとつになった。やっぱりゆるめるモ!は、人の心に巣食う孤独に立ち向かうヒーローなのだ。


ある程度の過去も今も知っている自分は、今まで以上に、そして過去最もと言っていいほど、ゆるめるモ!が好きになった。そうさせてくれるライブだった。
涙が出そうだったが、実際涙よりもっと別のなにかエモいものが体から流れだそうとしていた。しかし21世紀初頭の人類の体にはそのようなものを排出する機能が備わっておらず、やむを得ず文章に起こして気を鎮めているところだ。


ここ最近のゆるめるモ!がこれまでと大きく違うのは、パフォーマンスのグルーヴ感の向上だ。
これまでは「ゆるい」という言葉がある意味では免罪符となり、一体感のなさもまた「味」として受け入れられてしまう面もあった。
しかし一時は解散の話まで出たという危機を乗り越え、それでも続けることを決意した彼女らのパフォーマンスはこの半年ほどで劇的な進化を遂げている。

端的に言えば、「メンバー同士でしっかりコミュニケーションが取れている」と思えるようになった。
これまではどうにもちぐはぐで、個性の強いバラバラな子達がステージにいるという混沌な印象があったのだが(事実楽曲にも混沌を意識したものが多々あり、良くも悪くもシナジーを生んでいた)、先日の渋谷O-EASTでのライブを観ても4人の動きにはグループとしてのグルーヴ感が備わっており、全体として大きな存在を観れたような感覚があった。
これまでは意識しないと自然と「天才肌のあのばかりを観てしまう」というようなことがしばしばあったのだが、今はそんなことはなく、かといって各々の個性が殺されているかといえばそれは逆で、互いが互いを活かし合うことで上昇気流が生まれているような類の躍動感がステージに満ち満ちていた。


ステージングに圧倒的に磨きのかかった東名阪ツアーを終え、さらにこのバトルニューニュー仙台公演では過去と未来を繋ぎ、改めてゆるめるモ!が統合された。
6月の新作ミニアルバム発売と7月からのツアーも発表され、2015年にワンマンライブを行った赤坂ブリッツが東京公演として既に決定している。


惜しむらくはツアー前に今のゆるめるモ!のポテンシャルを伝えきれなかったこと。O-EAST公演は完売とはならなかった。
2017年からのライブはメッセージ性を重視するあまりエンターテイメント性が薄れ、セットリストにも大きく偏りがありかえって離れていってしまったファンも少なからずいるという。
バトルニューニュー仙台公演はそういった意味では過去ゆるめるモ!がエンターテイメント的に大きなアクセントとなり、そういった意味でも楽しめた。

個人的な意見だが、ライブに関してまずは「楽しさ」に重点を置いてほしいと思う。
楽しいライブをしていれば自然と人は集まってくる。集まってきて楽しんでもらって、好きになってもらえればその中から一人一人が自分に適したメッセージを受け取ってゆく。
ゆるめるモ!の楽曲には大きな優しさが溢れていて、それは敢えて焦点をガチガチに絞って伝えなくとも、聴き手となる個々人が自分の状況にあった歌を見つけるはずだ。
せっかくバラエティ豊かな楽曲が多数あるのだから、活かさない手はないはず。様々な側面からゆるめるモ!の魅力を見せまくることが、ゆくゆくはグループのコンセプトの遂行を助けることになるのではないか。


なにはともあれ、今のゆるめるモ!には強い自信も感じられる。今後に期待できるかどうか問うならば、呼吸や瞬きをするように、気付けば当たり前のように期待している自分がここにいるとだけ言っておこう。


過去ゆるめるモ! SET LIST
1.ゆるトロ(slo-モ!)
2.べぜ~る
3.ゆるめるモん
4.あさだ
5.ぺけぺけ
6.白玉ディスコ
7.逃げろ!!
8.生きろ!!
9.manual of 東京 girl 現代史
10.なつ おん ぶるー

※ももぴ、ゆみこーん、ゆいざらす、ちーぼうはお休み

現在ゆるめるモ! SET LIST
SE.SOLITUDE AND COUNTERATTACK
1.震えて甦れ
2.スキヤキ
3.モモモモモモ!世世世世世世!
4.もっとも美しいもの
5.Hamidasumo!
6.Only You
7.id アイドル
8.ナイトハイキング
9.孤独な獣

35 ここ最近自分の中でアツいアイドルを紹介する

ゆるめるモ!さんが1ヵ月もの間首都圏でライブをやらない影響で浮気し放題の一部オタク達ですが(実際の色恋的な意味での浮気もこうやって起きるんだと思います)、自分もご多分に漏れず今年入って初めてゆるめるモ!の出ないイベントに足を運びました。

初めて観るところばかりだったのでとてつもなく新鮮。最近新規開拓をしていなかったこともあり、それでいてとても良いグループばかりでとてもテンションが高いです。

本日ご紹介するのはその中でも特に輝いて見えた2組、Living Dead I Dollsと劇場版ゴキゲン帝国です。Twitterで散々褒め讃えたけどちゃんと書かせてください。。

■Living Dead I Dolls

運営時代に何度か対バンした方がメンバーになったというので拝見。

『さあ甦ろう』現代ゾンビアイドルユニット
Living Dead I Dolls
ラウドロックを基調とした4人組のアイドルユニット
社会に苛まれアイデンティティを見失う現代の世の中で
アイドルが生きる道を探していく物語

 現代はコピペ機能が秀逸過ぎて露骨。つらいです。
こちら公式サイトから引用。

『さあ甦ろう』っていいよなあ。
ここで真っ先に頭に浮かんだ吉井和哉「SNOW」の歌詞を引用します。

人間の魂は生きていたってさ

死んでしまうこともあるとかないとか 

 生きてても死ぬんですよ、人間。経験した人にしかわかりませんが、経験した人は少なくないはずです。
物販で販売されているデモ音源CD-Rには歌詞カードが入っていなかったのでいまひとつコンセプトを汲み取りきれていませんが、目の付けどころにエモの予感を感じさせます。

デモ音源……といっても製品としての完成度は既に高く、まだクオリティ上げるん…?という感じ。現時点でメンバーとの接触手段が「CDを買って特典券をもらう」に限られており、熱心に通うファンはライブの度にCDを手にするわけで、即ち配布を促す形に。楽曲志向アイドルとしての熱意と覚悟を感じます。


公式の記載通りラウドロックをサウンドの主軸とした「アガパンサス」「I DOLL?」に加え、「Leady」「ALiVE(CD未収録)」といったデスメタルナンバーも存在。
それでいてゴシックな衣装に身を包んでいるため様式的にはゴシックメタルといえるのかもしれないけど、そこはコンセプトを汲んでデスメタルとしておきたいというかもっと言えば「リバイヴ・メタル」と表現すべきなのかもしれない。


アガパンサス (LIVE) / Living Dead I Dolls


ALiVE (LIVE) / Living Dead I Dolls

そんな世界観ゆえかこの音楽性の中にジャズを織り込んでもバシッとハマったりする。動画も公開されていない未発表曲には、ヘヴィーなラウドロックからサビでメジャーコードのアイドルポップに華麗にシフトチェンジ、したかと思えば間奏でがっつりジャズをキメる…といった曲もあるし(これめちゃくちゃ好きだった)、メンバーの花桃さとみさんの生誕ライブで初披露・デモ配布が行われた新曲「it's show time!!!」になるともう全編通してジャズロック・ブギーという具合。

というか何を隠そう「it's show time!!!」については花桃さとみさん自ら作詞・作曲を手掛け、ピアノで演奏参加もしています。そもそも加入前はとみにか共和国を名乗り、作詞・作曲・編曲・プログラミング・ミックス・マスタリングまで自身ですべてこなすソロアイドル兼DJ兼音楽家として活動、さらに楽曲提供やサポートミュージシャンとしてのライブ参加もこなすという経歴を持っています。なので個人的にはアイドルというよりミュージシャン・アーティストとして見ています。(こう書くとアイドル≠アーティストみたいで嫌なんですけど、まあニュアンスとして伝わりやすいかなと…)


活動後期の作品はゆめかわ混じりのハードコアテクノを中心にエレクトロ・ポップ、サンバ、ニルヴァーナを意識したロックナンバーなどわりかしジャンルレスで、かつなかなかに暴力的な音圧が特徴的でした。曲によってはアイドルでありながらトラックの音量がボーカルを上回っていたりも。


(完全自主制作、流通・配信もしていないので現在は入手困難…)


そんな彼女の音楽的なルーツはジャズだそうで、当時仕事でお会いした際に影響を受けたミュージシャンを尋ねたところ、バド・パウエル、レッド・ガーランドを挙げていました。

というわけで見事に本領発揮といった具合でぶち込んだジャズナンバーは見事にグループの音楽性と融合しその世界観を拡張するに至ったのでした。

ソロバージョンの試聴音源が公開されています。実のところ歌詞が非常に内向的なのでソロ歌唱のほうが沁みるものがありますが、フルサイズは先述の生誕ライブの予約特典でのみ配布されたものなので現在入手は難しいです。

soundcloud.com

鼻歌を書き起こしてもらって作曲クレジットされてるタイプのアイドルとは違って、理論だったりスキルだったりそのジャンルのセオリーだったりをしっかり押さえていてクオリティが高いです。(まあ自分自身音楽理論とかわかる人ではないのですが、聴いてきた経験上やっぱり経験値とそれに伴うセンスがあって作れる曲だなあ、と思った次第です)ソングライターとしてもますます期待。

関係ないですがメンバーの八屋いち架さん、写真が盛れてなさすぎです笑
本物のほうが可愛かったですね~。

 

■劇場版ゴキゲン帝国

「最終未来兵器mofu」から改名して現在のグループ名に。

ブレイク中の某オタクアイドルを輩出した名門アイドルコンカフェの元人気キャストが加入したということで気になっていたのですが(その人目当てで観たんですよね実際)、「『大切なお知らせ*1』という楽曲を発表しMVに推しが卒業したことがあるアイドルオタクを参加させる」「解散したグループのTシャツを着ていくとチェキが撮れる」「バスツアーでオタクにゴミをプレゼントする」「メンバーが決定した正式なあだ名を使わないことについてお詫びツイートを掲載する」「ダッチワイフに欠席メンバーの衣装を着せて写真を張り付けてサインはセルフのチェキ会を行う」など錚々たるふざけぶりがTwitterで度々目撃されていたのでなんとなく破天荒だなあとは思っていました。


【MV】劇場版ゴキゲン帝国 『大切なお知らせ』

(切ない…自分も推しが2ヵ月で卒業ライブもなしに卒業したという苦い経験があります…)

これがいざライブを観てみると、歌唱やパフォーマンスなど個々人のスキルが高いことが発覚。ちゃんとスキルを身につけている人達のふざけはそりゃあもうゴキゲンにもなるわけで、時間の関係で後半半分くらいしかライブ観れなかったもののすごく惹きこまれてしまいました。ふざけてる人達好き。

曲も「人の金で焼肉食べたい」とか「エゴサしてブロック」とか、某界隈ネタらしい「ZOO」とか笑
「メタ・アイドル」とでも言いましょうか。これでなかなか曲がいいのも笑えます。


【MV】劇場版ゴキゲン帝国 『人の金で焼肉食べたい』
(わかる)


劇場版ゴキゲン帝国の現場はこんな感じです【Live】

ふざけまくってるメンバーの中でもリーダーの白幡いちほさんが圧倒的で、ゆるめるモ!がレギュラー出演しているテレビ東京「ほぼほぼ」のレギュラー選抜オーディションで見事レギュラーを勝ち取ったキャラは伊達じゃなく、アイドルグループのリーダーなのに誰よりも自分がネタ担当であることを譲らない気概があり、そのスタミナ切れを知らぬテンションでフリーダム化していた物販フロアの中でも存在感を放ちまくっていたのでした。
後で調べてみたらお笑い芸人なんだそうで、客席の把握力や見せ方はさすがといったところ。彼女の存在があってこそ他のメンバーも心おきなくふざけられるんだろうなあと感じるライブでした。まさしく柱。逸材ですね。こういう人が直接ステージで牽引しているおふざけは強い。ふざけてるところはまあいっぱいありますが、エンターテイメントとしての芯の強さを感じるのはここくらいですね。グループ名の意味は体感してわかりました。

なお、推しは九軒ひびきさんです。

 

 

以上で~す。人の金で食べる焼き肉は最高ですよねえ~

*1:アイドル運営がこのタイトルでブログやHPを更新したらメンバーの卒業や脱退、解散が告げられるという汎用呪いの言葉。同義語に「重要なお知らせ」。ポジティブな内容、例えばリリースや大きなライブの告知は「重大発表」とされ告知の告知が行われることが多い。

34 震えて甦れ

「震えて甦れ」

ゆるめるモ!の新曲のタイトルである。
これだけで既に、土臭くも生々しく情景が思い浮かぶ。
冷え切った死後硬直に近い心・体に血が通い出し、体中に体温が巡る様が想起される。

2017年2月15日。新宿BLAZEで初披露されたこの新曲はまさにそのイメージに違わず、それでいてこちらの予想に対し阿修羅の手数の如く裏切りの限りを尽くす怪曲となった。

MARQUEEの連載にてDillinger Escape Planのような展開が変わりまくる変態的な楽曲の存在が明かされていたことに加え、作曲者ハシダカズマ曰く「転調バキバキにやっていいと言われた」とのこと。実際、開始1分で既に何が起こったのかわからなくなっていた。「Hamidasumo!」初聴以来の衝撃だ。

こちらが掴みかける前にするりと逃げてゆくリズム、メロディー。轟くノイジーなロックサウンドがベースに展開されているかと思えば、突然ダンスチューンに様変わりする。縦横無尽に飛び回っていた歌声が、突然芯の強いメッセージを真っ直ぐに解き放つ。一時たりとも目が離せない。もちろん耳も。

終盤に進むにつれ、混沌としたリズム・旋律の中に一閃、サビと思しき印象的なメロディーが突き刺すように何度も現れる。
不意に祭囃子のように姿を変えたバッキングはまるで鼓動のようにも思えた。
そのメロディーは姿を見せる度にメンバー各々がステージの中心に陣取り、ソロを取る。いずれも、その表情と歌声には強い意志のようなものが宿っていた。

やがて混迷を極めた音の渦は力強さと共に収束を見せ、地殻を突き破るかのような強靭なグルーヴを生み出す。それは4人になったゆるめるモ!がこれまで暖めてきた底力が大地を突き破って噴出するかのような怒号。

そしてこの激震の果てに彼女らは問いかける。
「どうする?」
「私は行く」
と。

ゆるめるモ!は変わった。
こんなにも強く、逞しい。
誰かに演じさせられているヒーローではなく、自らの力で弱い者のために道を拓いていける戦士となった。
ゆるめるモ!から目が離せないのは、ここからだ。


ゆるめるモ!「孤独と逆襲 EP」
2017.3.15 Release

33 サムライ

職場のモテるやつがアルバイトの女の子からもらったチョコを「これ○○ちゃんから俺宛のチョコだけどいらないからみんなで食べてー!」と大声で言いながら帰っていった。チョコは封も開けられていなかった。
その女の子、けっこう可愛いな~と思っていたのでまず自分が義理すらもらえてないことに対するショックもあり、加えて義理だろうと何かしら込めていたであろう気持ちを無下にされた彼女がこれを知ったらと思うと、その心中察するに余りあるわけで、心臓が爛れるように泣く感覚に襲われるのであった。
俺だったら例え義理でも一人で残らず全部食べるし、しっかりお返しもする。好意は遠慮なく受け取り、しっかり返す。そういうものだろう。
ググったら義理チョコを面倒くさがる男は9割とか書いてあったが、その程度のことを受け入れる器もなくて何が男か。その程度の余裕もないならその貧相なアメリカンクラッカーをさっさと切り落としてしまえ。

しかしこういうやつがモテるんだから、世の中はうまくできていない。需要と供給が正しく噛み合っていない。あゝ俺がもっと魅力的な男だったらこんな悲劇は起こさなかったのに。(予め断っておくが自分の本命は件の彼女ではない、がとても魅力的な女の子である)

あまりにもモテないから……といって野菜をレイプしたりはしない。
が、大昔モテていた頃の話と以降の没落、それにまつわる人格形成の経緯などを赤裸々に綴ってやる。
これ将来俺が何らかの形で売れたら書籍化して印税にできたやつをもうこの時点で無料大放出するわけだから大損でしかないのだ。心して読み、そして惨憺たる気持ちになるがよい。これは嫌がらせだ。
しかしながらこの先を読んでなお交流を捨てずにいてくれるような寛大な聖人君子諸兄におかれましては生涯良き友として付き合えるはずです。私は義理堅い男ですからいつしか心に感じる恩義を形にすることでしょう。

なお自分語りはセックスにも勝る快楽を脳が感じるそうで、即ち童貞にうってつけのストレス発散方法なのである。彼女などもうできるとは思っていないので(悲しくなるので希望は捨てていないが)、セフレ募集中です。


保育園から小学生の頃はそこそこモテていて、当時のクラス環境的に異例中の異例ともいえる''女子の家に呼ばれる''なんてこともあり、しかもそれが好きな女の子でその子のお母さんとも公認な雰囲気だったんだけど、あまりに自分が鈍感すぎて&クラスが変わって話さなくなり、結局最後までなにもなかった。一文で語りきってしまったがこの調子では息が持つまい。知ったことではないが。あの当時子供が携帯を当たり前に持っていたらまた違ったのかもしれない。

塾では受験のときに同じクラスの女子と二人きりになったときに「同じ学校行こうよ…」と切ない声で言われたけど、「悪いな、第一志望(男子校)受かったからさ…」と振り返らずに電車に乗り込んだ。男はいつでも悲しいサムライ。なお彼女の気持ちに気付いたのはそのおよそ10年以上後のことである。そしていま考えれば同じ学校行ってりゃよかった本当に。(6年間男子校はダメです)

こうして悪気なくフラグをへし折り続けたそこそこモテた小学生時代の自分、おそらくスクールカースト上位だったからだろうなーと思う。クラスのガキ大将の一角、みたいな。頭が回り、成績は良く、短気で喧嘩っ早く、いじめっ子でもあった。
いじめっ子といっても所詮は田舎で、プロレスごっこが関の山。相手が泣けばさすがに必死に謝る程度の良心は持ち合わせていた。
深刻な問題が起きたことはないとはいえ、やはりされていた方としてはたまったもんじゃないわけで、数年後たまたま再会した気弱な元同級生は、身構えながら話していた。


これが中学に入ると一転、いじめられっ子になる。新しい環境で打ち解けられず、というか新しい環境のはずなのに同じ塾出身同士でグループが入学式の日からできていて、人見知りしまくる自分はものすごい勢いで輪に入り損ね孤立した。そしてなにより体育会系ではなかった。
プライドの高さと被害妄想もあり、勝手に孤立していった可能性も高い。たまに優しくしてくれたクラスメイトにも牙を剥く始末。
同級生が進んだ地元の中学に行きたいと何度も頭を抱えていた当時。気付いた友達が先生に伝えて解決してくれたけど、それは俺がいないところで担任がクラスに話をするというやつで、戻ってみたら急にみんなフレンドリーになったもんだからあまりの豹変ぶりに今度は人間不信になった。とりあえず表面上社交的にコミュニケーションを取る能力がもののついでに備わった。
以後6年間の中高6年間はさながらデスタムーアに閉ざされた狭間の闇の世界であった。

共学だったら何かしらが二転三転してロマンスの一つや二つ、叶う叶わないに関わらずあったのかもしれないが、本当になにもなかった。そんなパラレルワールドも生きてみたい。
しかし最近WOWOWで放送している四畳半神話体系を観て、共学行ってもこうなってただろうよと嘲笑う自分がいる。
ああそりゃそうさ、やり直すなら生まれる家を選ぶところからだった。


なにゆえいじめっ子だったのか。
他人を攻撃することで優位に立つ、という基本的なスタンスを教えたのが身の回りの大人達だったからだと思う。
物心ついた頃には母は離婚しており、父親の記憶はない。高2の頃に再会した父親には「お前モテなそうだよな」とか言われたが黙れ50過ぎのフリーターハゲ(本当にハゲてる)、と心の中で言い返しておいた。

最古の記憶の一つに、自分を寝かしつけてバスルームに向かう母と当時の交際相手だった男の姿、というものがある。気持ち悪い色彩の青緑のラジカセを遠目に見ていた。

端的に言えばその母の交際相手の男に虐待されていた。

保育園に送ってと母に言われていたのに、自分を酒屋の仕事に付き合わせ、明らかに運べないような鉄の樽なんかを無理やり運ばせる。
帰ってくれば車の中で椅子に立たせ、明らかに車高が足りず真っ直ぐ立てないのに「真っ直ぐ立てよ」と怒鳴りつけてきた。カーラジオからはZARDの「揺れる想い」が流れていた。
家に戻って風呂に入れば顔面にシャワーをかけられ続け、知恵を使って壁側を向いて体を洗う。
そのまま湯を抜き、2,3cmほど残した状態で浴槽の中に寝かされた。そのまま寝ろといい男は風呂場を後にする。そして本当にそのまま寝てしまい、朝起こしに来た男に無言で頬を叩かれた。
ビールを飲まされて気を失ったり、家のアパートの一番段数が多い階段(12,3段)の上から蹴り落とされ「勝手に転んだだけ」と言われたこともあるし、ゴミ袋に閉じ込められたことだってある。(このときはトイレットペーパーの包装ビニールに指を押し込んで穴を開ける困った癖が幸いし、自力で脱出した)
折り畳んだ布団の中に入れられて上からのしかかられた時は本当に死ぬかと思った。

幼少期の記憶はこれくらいで、他はなにも覚えていない。楽しかった記憶はほとんど残っていない。
あ、いま同じ組のうそつき女子が「風船型のゲームボーイが出る」と嘘をついていた話を思い出した。そして信じていた自分。別にこれは楽しくもなんともない…

人格形成が不充分であり、当時は感情がまだ確立していなかったためか、出来事の記憶しか残っていない。辛いとか怖いとか思うことができなかった。保育園で父の日のプレゼントを作りましょうと言われた時はこの男にそれを贈っていた。心と思考が正常に機能する年齢ではなかった。
虐待は年長になる頃にはなくなった。別れたようだった。

しかし、母も母だった。
男に比べればまともではあるが、優しさのネジの締め方が間違っていた。
自分がなにかすれば怒鳴る、叩く、ものを投げる。優しく諭すということができない人だった。
「こうやって言わなきゃわかんないじゃないのよ!」と言うがそんな風にされては萎縮するだけで聞き分けが良くなるわけではない。
勉強を頑張れないときは「やらなきゃいけないことなんだからやれ」「自分のためなのよ」とか言うが、幼い子供にその実を自明に理解できるはずもなく、やる気を出させる創意工夫は一切行われなかった。
褒められることもなかった。たまには褒めてくれてもよかったのだが、「おーよちよちえらいでちゅね~♪とでも言えばいいの?」と冷たくあしらわれた。
習い事での挫折も多く、褒められることのない環境で長続きしたものなど何一つなかった。

男も母もまず怒鳴る、暴力、の人だったから、大人には怖くて何も言えなくなったし、怒られる=殴られる、だったから怒られないために嘘や隠し事をする子供になった。声も小さくなる一方だった。
「どうして嘘つくの!!!!!」「黙ってたってわからないでしょうが!!!!!!」あんたが殴るからだ。

結局そのまま大人になってしまい、バイト先で謝らないことを怒られることがあった。そんなことで怒られたことはかつてなかったが、何度か怒られるうちにやっと改まってきた。いま思えば恥ずかしいことだ。
思えば母は自分が悪くても謝らない人だった。それは今も変わらない。母親が謝る姿を見せてこなかったのに子供がちゃんと謝れる大人になれるわけがない。
ちなみにこの母親、「飯食わせてやってんだからありがたく思え」とか日常的に言うし、話しかけても反応がないから「聞いてる?」と言ったら「興味がないから」と相槌も打たない。同じことをやり返したら「どうしてそういうことされなきゃいけないのよ!!!!」とヒステリーを起こす。そのあとまともな会話が成立したことがないのでもう諦めている。
何度も何度もぶつかってぶつかって、手応えがなくて、もう完全に家族を諦めるしかなくなった。

アルバイトなどで世の中に出るうちにようやく自分の親がおかしいことに気付く。でももう青春なんかとっくに終わっていて、なにも取り返せない歳になっていた。


人に怯えるのが癖になってしまったのかもしれない。会話力の低さは警戒心と生まれつきなぜかあるプライドの高さによるものだ。
優しい親に育てられた人達からは暗い暗いと敬遠され、もう人生レベルで太刀打ちできなくなっている。
日陰者でも日向暮らしに憧れるから、なるべく日向にいる人達と関わってそうなろうとしているのに、どうしても過去の人格形成が足枷になってまとわりつく。日向で生きることなんか許されてないんだぞお前は、と言われているようだ。

それでもここで闘い続けなきゃ永遠に幸せになんぞなれないぞ、と自分を奮い立たせるしかない。
結果死ぬまで幸せになれずとも、諦めたまま時間をただ無下にするのではなく、闘い続けた果てに無念の死を遂げることが生まれてしまったことへの筋の通し方だと思う。

男はいつでも悲しいサムライ。
縁と義理人情を大切に。
義理義理チョコップ。

義理でいいから誰かくれねーかなー

32 音楽と日向暮らしには常に憧れる

2011年という1年は本当に激動だった。価値観やカルチャーへの関心がかつてないほど大きく動いた年でもあり、心のままに動きふと気付けば失ったもののほうが大きかった年でもあった。

この年がっつり関わった今はなき某劇団との出会いは前の年の秋だった。夏頃にたまたま見かけたぶっ飛んだアートワークのチラシ、Twitterで稽古見学自由!みたいなことを言っていたこともあり、なんだか無性に気になって見学させて頂いた。

劇団の話は今回はほとんどしない。あんまりしたことがない話をする。
このとき劇団のパフォーマンス用の音源を制作しているDJの方に出会った。舞台音響をちょろとやっていると話したら興味を持ってくれたらしい。
あとで聴けばアンビエント系のDJで、パフォーマンスで使われていたアイドルアニソンJ-POPをはじめ様々なカルチャーにある音楽の美味しいところを情報過多にミックスしまくり、さながらハードコアノイズにまとめあげた音源からは想像もつかなかった。
それまでの自分はメジャーのそこそこキャリアのあるバンドばかり聴いていて、アイドルソングやアニソンなんかは目から鱗のものが多かった。高校の同級生にオタクが多かったから入口自体はそんなに狭くなかったけれど。
他にもインディーズのエレクトロなんかは自分が聴いていた音楽からはルーツも含めて完全に逸脱したところから発生した音楽という感じで、とても刺激的だった。

「おすすめの曲教えてよ」と言われて焼いてったCDを聴いて「いいDJになれるよ」と言われた。
DJになろうとはしなかったけれど、なんかそれで気を良くして今でもたまーーーーーーにDJミックスみたいなものを作っている。
その方の影響もあってアンビエント的な
アプローチも入れる癖がある。風の音とかよく入れる。

秋の京都公演に同行したとき、稽古場を他のスタッフに任せサウンドチェックに付き合っていた。
パフォーマンスみんな死ぬ気でやってるから、極力声を張って、それでラップやって、ということを言われ、その場でとりあえず歌えたのが「Feelin' Good」という曲。DA PUMPのデビューシングルで、プロデューサーのm.c.A・Tのカバーでもある。両者のバージョンは副題が違うので端折った。
オーディエンスがいたわけではないものの、人前で大声で歌ったのはカラオケ以外だと初めてだった。

夏頃から「言葉の人」だと言われていた。ラップやポエトリーリーディングを薦められ、オススメ曲のCDも焼いてもらい色々聴いた。Totoなんかはゆるやかに衝撃を受けた。
京都でのサウンドチェックの「Feelin' Good」はとても褒められた。よくよく考えたら自分の人生において自分をあんなに褒めた人はいなかったかもしれない。親に褒められた記憶はないし。

演劇の世界に既にどっぷりだった自分は音楽活動の糸口を探そうともしていなかった。よくわからなかったし、人に頼んでどうこうみたいな度胸はなかった。基本的に孤立している人間だった。望まずなった一匹狼という感じのほうが近いかもしれない。

そもそも大学生になってから軽音と演劇を掛け持ちし、軽音がぐだぐだになりすぎたタイミングで演劇が楽しかったからそっちに行ってしまったという感じ。そりゃ当時は今に比べて(今もだけど)圧倒的に服装はダサかったしブサイクだったしデブだったのにやりたいものがボーカル1本だったのがいけなかったんだと思う。大人しくドラムやってりゃよかった。でもなんかそもそも暗黒の中高時代を送った人間が大学デビューできるわけはないのだから同じだったかもしれない。
演劇のほうも小劇場に流れるようにして2年でサークルを辞めた。決してレベルの高いサークルではなかったこと、先輩がいなくなったこと、より面白いフィールドで動けることが理由だったけれど、何より人との関わりの中で自分のダメさに耐え切れなかった。今でも当時のサークルのみんなには申し訳ないと思っている。

その後、演劇は自身の企画が倒れたことで完全に意気喪失し、一時期は完全に廃人になっていた。
学校にも行かず2回も留年して、何も残らなかった。いや、取ってない100単位だけが残った。少しだけ借金もしていた。
夏休みはバイトに明け暮れて気を紛らわせた。8月は27日間働いた。
その後まさかの出演のオファーを頂き、楽しんでできたのでメンタルはずいぶんと回復した。ただ期待に応えられるような演技はできていなかった。あまりにも未熟であった。

新しいバイトをはじめ、その中でとりあえず卒業をしようと奮起し、なんとか2年で100単位を稼いで大学の卒業には成功した。
しかし特にやりたいこともなく、週5で授業にがっつり出ていたことと母の癌もあり、また就活生を見て気持ち悪くなってしまったため、結局就職をしなかった。そのタイミングでバイト先は改装工事で一旦契約が切れ、次年度以降条件の折り合いが悪いということで退職し現職に移った。アイドルのプロデュースをはじめたのもこの頃である。

準備などなにもなかった。貯金もないし、とにかく最低限の資金すらなかった。投資もなくはじめた活動は厳しく、最初のオリジナル曲にこぎつけるまでに半年以上かかってしまった。
それからさらに半年経って発表したオリジナル曲は自身でプロデュースと作詞を手掛けた。評判も良く、達成感もあった。
実は昔から、それこそ中二病真っ盛りの頃から携帯のメモ帳には思いついた詩のようなものを無尽蔵に書き留めていた。省みることはほとんどないものの、それは知らず知らず言葉のチカラを鍛えていたのかもしれない。作品の発表は些細なことながら数少ない自己実現の達成でもあった。

秋には1年半に渡るプロデューサー業を降りた。やはり経済的・体力的な限界があった。身内の入院も相次ぎ、なにもない自分を投げ打ってまで続けられなかった。理由はこれだけじゃないが、これ以上を話すことはまあ生涯ないだろう。

自分の生活を立て直すことが当面の目標になった。服にお金をかけて身だしなみを整えた。職場の人間関係も大切にするようになった。リラックスして日々を楽しめている実感はある。
それでもやっぱり日陰者が日向に出るのはまだまだ苦しい。とはいえ日向に憧れる身としてはこっちに慣れていかなきゃいけない。
そうやって生きる中で、年齢と共にどうしても考えなきゃいけないことがある。

困ったな、夢がない。

いや嘘だ。本当はあるんだ。

昔から、自分で自分の言葉を歌うことに憧れていた。
歌うのが好きで、言葉を書くのが好きだった。
頭の中のメロディーを形にしたかった。アレンジまで出来上がっているものだってある。
ただ、楽器はできないし楽譜は読めないし、今までも練習はしようとしたけどなんだか続かなかった。怠惰でダメだった。

バンドとかやってみたかった。フツーはやろうと思えば誰でも出来るんだろうけど、学校に友達はほとんどいなかった。誰かとなにかすることが許される人間だと思っていなかった。
そもそも声が良くないし、上手いわけでもないし、細くないし、顔もダメだ。ステージに上がれる人間だという気がしない。バンドマンはカッコよくなくちゃいけない。

気が付けばもう四捨五入すれば30が見えてくる歳になってしまった。ゼロから気軽に夢を追える立場ではなくなっていた。

この先にあるのは仄暗い、なんなのか。
それでもやってみるべきなのか。
やってる場合なのか。仕事探すほうが先じゃないのか。
なにが自分を絡め取っているのかいまひとつ掴めない。
どこかに振り切らないと彼女も作れないだろうな。