58 猫2

うちには猫2匹おりまして。

どちらも子猫の頃に拾われてきたのだけど、上の子がオスで下の子がメス。どちらももう13,4歳とかになります。

下の子は野良上がりで警戒心がなかなか抜けなくて、大人しく抱かれてなかったりあんまりリラックスした表情見せなかったり、あととにかく野心?というか押しが強い。

上の子は目が開かない頃からうちにいます。親に教わるべきことを教わらなかったので噛む力の加減ができない子です。甘噛みのつもりのときでもめっちゃ痛いです。子猫の頃は我慢できたし噛ませてあげられてたけど、大きくなってからはできなくなりました。皮膚に穴あきます。

餌を出してくれと先にせがんでくるのは上の子です。でも出してあげると下の子が割り込んできてすぐ諦めてしまいます。歳上のオスなのに弱いのです。。
二匹用の皿に出しても、上の子が食べてるのをわざわざ邪魔して下の子が奪い取ります。性格悪いんです下の子。そういうときは猫たちを持ち上げてそれぞれの皿の前に配置すると仲良くいっしょに食べはじめます。不思議な光景です。なぜ邪魔をせずにはいられないのだろう下の子は。
そんなことがいつもあるので最近は上の子に食べさせるまで下の子を人間が邪魔するという事態が発生してますが、これなんかあんまり上手くいってない社会だなって思ってしまいます。

親に教わるべきことを教わらないばかりに力の使い方を間違えて避けられたり理解できずに怒られたりして、餌を横取りされても黙って諦めてしまう姿を見て、なんかこいつ自分に似てるとこあるなってこの頃は思うのです。
違うのは外に出れるか出れないか。この子は世界を変えられないまま年老いていってしまうのかなと思うともう少ししてあげられることあるんじゃないかなとか思うのです。でもそれってなんだろう。自分のことですらよくわかってないのに。

57 膨張

noteに載せようとした詩ですがなんか特定の人のことを想って書くと恥ずかしすぎてだめですねこっちに載せますね

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あなたが好きな歌 僕にも響くから
教えてくれたでしょ だから思い出すんだ
いま 一人で何度でもステージを観に行くけど
あなたを片隅で思い出してる いつも

冬なら筒のような白い帽子だろう
目と口の形 忘れもしないだろう

揺らせる糸は手元にあるし
一筆投げたりできるけど
心遠く離れた気がしてなんかこわいんだ
見えないキスで信じ合えた瞬間は
嘘じゃなかったはずなのに

頭がわるすぎて地獄に陥っても
あなたの声が呼び戻してくれた
こんな僕を呼び戻してくれる無垢な声があった
気遣いすぎた愛の言葉は胃に溶けた
でも魂の絆はあると思ってたりする

祭のように華やぐアリーナをなんとなく見渡す
駅から何列か後ろの席まで なにげなく
何万人の中から出会えるなんて思ってないよ
偶然に頼るしかない 情けないのは自分だけ

大好きなのになぜだろう
気恥ずかしかった、あの日は
すぐそばにいたあなたに声もかけず
知らない街を歩いてた

願いは 果てに 続くように
傷は いつか 癒えるように
靄のような罪はいつか空に消えるだろうか

雲が流れ去ってく 4歳の公園を想った
いつまでも目で追ってた
知らないおじいちゃんに
「目が悪くなるぞ」って言われた

古い銭湯の煙突が吐き出す
黒い煙は青空に溶けてゆく

時が巡りいつかまた縁があればなんて
弱者の美談、浅ましいよね わかる
心なら鳩尾喰らってもいいんじゃないかって
強い決意? それとも乗ったときのノリなのか

心配ない そう心配ないさ
魂がそっといつか出逢うよ
ひとひらの罪を嘲笑ってくれるよ

甘えた詩を書いて 宇宙はまた膨らむ

何年も前は想像もしなかった世界に生きてる
巡り合わせと縁を感じるような再会もした
あなたは意志が強い人だからどうだろう
やむことのない敬愛は今でも胸にあります

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もいっこさーまた違う人のこと想って書いたやつもあるんだけどあまりにも恥ずかしくてどこにも載せられません
深い敬愛を抱ける人がいるというのはそれだけで幸せなことですが、うまく伝えられないです辛いなぁ

56 劇場版ゴキゲン帝国「インディーズベスト」の忌憚なきレビューを書いてみた(前編)

アイドルグループ・劇場版ゴキゲン帝国が1年余の活動の果てに待望のフルアルバムをリリースする。
劇場版ゴキゲン帝国というのはすさまじくゴキゲンな人たちのことである。
CDリリースは11月22日だが、iTunesほか各社配信サイトでは既に先行配信が行われている。

そんなわけで本作のCDリリースに際して、先行配信を聴いて収録曲を勝手に解説・レビューしていきたいと思う。凄まじい文量になったが、それだけ語り甲斐のある1枚なのだ。1曲1曲、書いても書いてもあれもこれもと書き足したくなってしまうほどである。
そんなわけで半分しか書けてないんだ(´・ω・`)まぁこれでも飲んで落ち着いてほしい。🍵

良いとこは良い、悪いところは悪い、と正直言ってしまうのが自分のやり方なのでいろいろ書いてるが、概ね絶賛である。ではどうぞ。

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1.人の金で焼肉食べたい

いまや押しも押されもせぬゴキ帝の代表曲となった、全国民がそのタイトルに共感するであろうハイコンテクスト・ナンバー。CDシングルとして唯一リリース済の曲で、本作収録分は表記はないが現メンバーで再録&トラックをブラッシュアップしたアルバム・ヴァージョン。
オリエンタルなテイストのEDMナンバーで、気持ち良く踊りながら「人の金で焼肉食べたい!」とひたすら歌うだけという、「とりあえず乗っかっとけ!」感のすごい曲。ライブだろうが音源だろうが初見のインパクトが凄まじい。
ふざけた感じの曲でありながらも楽曲の展開やメロディーラインの運びはとても気持ち良く、また声優としての活動歴もある九軒ひびきの甘くもキレのある発声が楽曲のポップ性を際立たせている。そして耳触りの小気味の良さに加えてリーダーである白幡いちほの道化的な立ち回りもスパイスが効いており、しまいには野太い男達による「ゴチでーす!」のコールもインサートされてくる。しかもこの野郎共ラストは連発してくるしその脇で白幡はなんかもう発狂しているし、最後までとにかく飽きの来ないハイクオリティなネタ曲で、掴みの強さが半端じゃない。
一点難を挙げるとすれば、シングル・ヴァージョンと比較するとタイトルを繰り返す箇所での低音コーラスの追加が余計なことか。元々低音の効いた楽曲だが、ボーカルラインの低音の強化はBGMとして流れていたときの掴みを若干弱くするように思われる。今後ラジオなど公共の電波に乗ったときにちょっと勿体ない気がするという話で(市場のお祭を手伝ったときに賑わう雑踏の中で流してみて思った)、売れていく前提の指摘なのは言うまでもない。

2.GGT-ROCK

高速BPMの四つ打ちパワーロック・ナンバー。
ヘヴィーなビートに懐深くもアグレッシブな歌詞で、とにかくテンションの上がる痛快な1曲。元々フェイク的にライブで取り入れられたという九軒ひびきのシャウトもしっかり音源化されており、熱くブチ上がりそしてスカッとすること間違いなしの仕上がりとなった。
このラインの楽曲は、一例としては4,5年前に電波ソングとニュー・ウェイヴ・パンクのサウンドを絡ませて独自性を確立させたでんぱ組.incが少しやっていたり、その妹分たる妄想キャリブレーションの初期サウンドプロデュースを手掛けたWicky.RecordingsがEDM・ユーロビートとアニメソングをクロスオーヴァーさせるスタイルで(「悲しみキャリブレーション」「魔法のジュース」など)、近年の邦ロックのダンス・ミュージック化とアイドルカルチャーとの融和と共にライブアイドルのムーブメントの中でスタンダードとして確立してきたものであったりする。つまるところライブではどのグループがやってもめちゃくちゃ盛り上がるし、本当にどこでもやっている。ジャンルに拘らず熱く盛り上げる系ならまずこういう曲は持ってないといけないレベルですらある。
ところで、アイドルのライブというのはほぼどのグループのライブでやっても通用する特定のコールなどがいくつか存在する。そして長年様々な現場で様々なコールが試行錯誤されてきた歴史があり、それゆえ「このビートならこの動き/コール」といったものが慣れてきたオタクは嗅覚でわかるので、初めて聴く曲でも数百人の観客が同じことをできたりもする。つまり一度どこかのグループにハマった人であれば他のグループでも最初からある程度楽しめるのだ。これもまた地下アイドル界の発展の一因であるのだが、ここまで語ってようやくこの楽曲の話になる。
まさにそういった楽曲のテンプレートを書き起こしたのが「GGT-ROCK」なのだ。なんせもう歌詞のなかにやることが書いてある。「とりあえず左右に両手叩いとけ」とか「とりあえずオーオーオーオー言っとけ」とか。そして実際そういったコールが起こるビートだし現場ではすさまじく起こっている。しまいにはコールばっかりしてて歌詞聴いてないだろ?みたいなアイドルライブにありがちな光景もそのまま指摘していて、とにかくメタ要素が強い。そしてこうしたメタ的な歌詞はゴキ帝の十八番であり、これも「焼肉」に続く挨拶がわりの1曲である。
ひたすら「歌の説明をする歌」に徹した岡崎体育「Explain」の地下アイドル版とも言える楽曲だが(それゆえほんのりと後続のアイドル達に釘を刺しているようでもある)、本曲に関してはグループの主たる意志やスタンスが力強く表現されたメッセージ性の強さも併せ持っている。
ライブハウスのフロアの様子を細やかに描きながら「とにかく楽しもうぜ!」というのが歌詞の主な内容だが、あらゆるノリ方を挙げてそして肯定する懐の深さが特徴的。ライブで「かかってこいやぁ!」とか言う人多いけど「ちっちゃくでいいからリズム刻んどけ~」とか言わないもんなぁ。作詞を手がける白幡いちほの人柄ゆえであり、フロアにいる全人類を肯定するそのスタンスはまさに「ROCK」である。そもそも世の中にはいろいろな生い立ちや生活文化を抱える人がいて、それぞれ異なる人たちが同じ空間で同じ音楽を楽しむことは凄まじく「ロック」な現象であるし、それを具体的・直接的な言葉にして肯定する姿勢はまさにロックといえる。「GGT-ROCK」、言わずもがな「劇場版ゴキゲン帝国のロック」だ。すべての帝国民に向けたウェルカム・ナンバーである。
(注:自分の文章において「ROCK」「ロック」は他文化への理解・肯定・受容を意味する)
ちなみにライブでは冒頭からひたすらコールが巻き起こるため、現場で幾度となく聴いているにも関わらず本作の音源化で「イントロこんなだったんだ…」「こんなカッコいいギターソロあったんだ…」と目から鱗を落とすオタクがめっちゃいるとかいないとか……

3.Nice to meetune

東京キネマ倶楽部で行われたワンマンライブのハイライトに披露された新曲のひとつ。爽快でポップなEDMナンバー。EDMといってもミニマル寄りな「焼肉」とは異なり、こちらは野外フェスやアリーナクラスのフロアにも似合うビッグ・ルーム・ハウスのパーティーチューン。
静かでしっとりと歌い上げるAメロから徐々に音が重なっていく展開がとてもエモーショナル。サビが終わるとメンバーの多様な声素材を用いたボイス・サンプリングも飛び出し、スパイシーなアクセントが効いている。率直な感想としては「超カッコいい」。ラストのカットアウトなど鳥肌ものだ。曲の毛色がほかと少し違うのでアルバムの位置的にはもう少し考慮の余地があったのでは?と思うが、後述するメッセージ性に掛けるとこれもまたウェルカムソング的に機能しているように思えてアリな感じもする。
白幡いちほと御握りんの力強い歌声が気持ちよく乗っかってくる曲で、ファンク・ソウル的なハリのある歌声を聴かせてくれる白幡と伸びやかで低音まバッチリ効いた歌唱力抜群の御握によるツインリードがこの楽曲のキモとなっている。声質で分類すると残りのメンバーはアニメ声寄りなのだが、Bメロで可愛らしく歌う廿楽なぎ・先斗ぺろのパートは前パートを承る展開の上でサードパーティー的な(ともすればリスナーサイド的な)役割を果たしていて、後述するテーマの上でのロールプレイチックなドラマ性があるし、2番Aメロやコーラスで的確に存在感を発揮する九軒ひびきの透き通る歌声も気持ちよく響いてくる。
サビでは白幡・御握の二人のどちらかがリードを取り、残りのメンバーは合いの手的なコーラスに徹するという役割分担がなされている。こういうところにもチームワークの良さを感じることができ、グループのコンディションの良さを改めて見せつけてくれている。
「独りがいいなんて強がりはテキーラ飲んでゲロっちまおう!」とかいう大学生の飲み会みたいなノリ(前向きな意味で)を感じる歌詞が1番から出てくるが、全容としては「どんな人であっても私達は受け容れる、一緒に楽しもう!」というメッセージが込められている。友達いないとか友達といても孤独感拭えないとか、でもそれが自分だしそのほうが楽なんて本当はそんなことないのに強がってるすべての日陰のいじっぱり達を優しく大きく包み込む包容力にあふれた歌詞となっている。寛容という意味においてはリーダーであり運営でもある白幡いちほの懐の深さとそれが決して口だけにならないと思わせてくれる実績に裏打ちされていて、生半可な共感応援ソングなどでは届かない心の深淵まで貫く説得力を持っている。もちろん彼女を信頼して追随するメンバー達も実に頼もしい。ただまぁわりとエモい歌詞なのだから「ドラゲナイ!」とかふざけなくてもよかったのでは~と思わないこともない。1番の「Gero now!」あたりのくだりは実にゴキ帝らしいというか作詞家白幡いちほのカラーがしっかり出ていてニヤリとさせられる。
タイトルは言わずもがな「Nice to meet you」と「tune(曲)」を組み合わせた造語だろう。
「Nice to meet you」、単に「はじめまして」と訳されるが、語源を想像するとそこにはおそらく「あなたに逢えてよかった」というニュアンスが含まれる。ゴキ帝はきっとそういう意味合いを込めて歌ってくれているのではないだろうか。この曲(tune)を通じて「あなた」と出逢いたい、そして「逢えてよかった」と歌うのだ。人間、自分に対していろいろ思うことはあるだろうし引け目とかコンプレックスとかで足が竦むなんてことも腐るほどあるが、例えどんな人であろうともゴキ帝は「あなた」に逢えるのを待っている。この楽曲にはそういった心暖かい精神が詰まっているように思うのだ。
終盤「だから君の声をもっと聴かせてよ」から、2番までのサビでは歌詞のあった部分がシンガロングに切り替わる瞬間がたまらなくリリカル。こちらから言うべきことはすべて言った、ここからは「私達」と「君」の歌だ、と手を差し伸べているようだ。ゴキゲン帝国に入国審査はない。

4.大切なお知らせ

「アイドルオタクが最も目にしたくないワードランキング第1位」をそのまま曲にした、地下アイドル界の鉄板あるあるを歌ったグループの代表曲のひとつ。 歌詞にはアイドルオタクにはお馴染みのワードも多数登場する。
一応解説しておくと、アイドルが告知で「大切なお知らせ」と題したニュースリリースを行う場合、そのほとんどがメンバーの卒業やグループの解散など悲しいお知らせであることが由来。ちなみにポジティブな発表の場合は「重大発表」とすることが多い。
こちらも現メンバーで再録されたアルバム・ヴァージョン。アレンジは変わらないもののAメロのギターが左右入れ替わるなど細部に変更点が見られ、音圧もよりヘヴィーに調整されて原曲以上にパワフルな仕上がりとなった。
原曲はグループの初音源としてリリースされたものの、MDの無料配布のみでリリースというなかなかリスナーに喧嘩を売った形態だった。余談だが、のちにゴミを売ったりもしている。
配布MDが瞬殺だったことからのちに無料配信もされたが、期間限定であり旧ヴァージョンについては春以降入手困難となっている。なお当時MVが製作されたこともあり、音源を聴くこと自体は可能。推しが卒業した経験のあるオタクが多数出演し、その悲壮感に共感するアイドルオタクたちの中でにわかに話題を集めた。なお本作リリースにあたり一般公募の中から選ばれた新MVも公開されている。
元メンバー雨情華月がキャラクタリスティックに務めあげていた冒頭の語りは、5月に新メンバーとして加入しカラーとしては正反対といえる廿楽なぎが引き受けた。その声質と演技力から音源の中で二次元的な偶像化を成しえた雨情版に対し、この廿楽版はその小動物的なキャラもあいまってリアリティを孕むいたいけな少女像を打ち出した。原典に忠実に行くならば九軒ひびきが抜擢されていたと思われるが、新たに加わったメンバーの旨味を持ち曲に満遍なく割り振るにあたりこのディレクションは実に鋭い。なお、旧ヴァージョンで合間合間に挿入されていた雨情の小悪魔的なフェイクは、代打を任せることなくそのものがカットされている。雨情のキャラもあいまって味わい深かったが、この新ヴァージョンではこの変更により歌詞が一層ソリッドに引き立つようになっている。聴き比べてみるのも面白いだろう。
冒頭の語りパートが終わると、しんみりした空気をぶった斬るかのように重厚なギターリフが叩きつけられ、「そんなん言うと思ったの?」と痛快な反転攻勢を見せてくれる。サウンドはNARASAKIっぽいかもしれない。短調のヘヴィー・ロックから回想するかのようなシンフォニックなパートに展開して歌われる、経験者ならば涙なしには聴けないアイドルオタクのブルースアイテムの数々。やり場のない想いをぶつけるかのようなブリッジからサビでメジャーコードに展開するあたりは、まさに邦楽ロックの文脈を取り込んだ現代的なアイドルソングといった趣だ。
1番の歌パートだけでCメロまであるのだが、2番ではCメロを省きBメロからサビにつなげており、この部分のコード感がなんともいえずおしゃれである。ついでにマニアックなところをもうひとつ挙げておくと、イントロのカウントに食い気味で入るギターと間奏明けの弾みのあるハイハットがなかなか重要なアクセントになっている。これについてはTHE YELLOW MONKEY「JAM」のイントロのハイハットくらい欠かせないものだろう。細やかなアレンジへのこだわりと配慮を随所に感じる。
これは白幡自身がたびたび口にしていることでもあるのだが、彼女は「応援してくれる人を悲しませたくない」という意志が人一倍強い。アイドルオタクあるあるをコミカルに描きながらもアイドル自身のブルースをも織り込み、「来年の今日も君とこうやって笑っていられるとは限らない」と誰もが目を背ける非永続性に釘を刺しつつも、最後には「やめるのや~めた☆」と締め括るこの楽曲。アーティスト寿命が極めて短いアイドルという存在の歴史に積まれた普遍性を飲み下しながらも、簡単には諦めまいとする意志の強さ・硬さが歌詞を織り成す言葉の随所に織り込まれている。鎖帷子のようだ。
ところで、オルゴールの切なげな音色に乗せて冒頭のセリフを話す廿楽の姿から「どこでもいっしょ」(プレイステーション®️)のラストシーンを連想するのは自分だけだろうか……

5.vs.MAD

前曲「大切なお知らせ」がオタクに向けた歌だとするならば、こちらは他のアイドルに向けて歌われた歌だ。もっと言うと「大切なお知らせ」が表層的なイメージを形にしたポップソングであったのに対し、この楽曲は楽屋裏の不満を明け透けにぶちまけた、本来であれば「内にしまっておく」ような内容である。まさに天使と悪魔、「大切なお知らせ」のダークサイド。いわば「裏・大切なお知らせ」といったところか。
冒頭のノイズは今年5人になった某グループのサイネージ的な楽曲を彷彿とさせるが、楽曲自体はスラッシュメタル。東京キネマ倶楽部ワンマンでの初披露時には「移り変わりの激しいアイドル界に向けたストレス発散パワーチューン」として紹介された、ゴキ帝の多様な楽曲群の中で最も激しい曲である。 和のテイストを感じさせるメロディーラインは言葉の乗りを良くする効果があるように思われる。
バッキングトラックに着目して聴くとかなり展開の多い曲だが、メロディーに関しては比較的シンプル。というか、かなりの比率で矢継ぎ早に台詞が叩き込まれてゆくパートが挿入されており、主張を全面に押し出していくスタイルを取っている。
低音部が潰れ気味であり、若干迫力に欠けるミックスが玉にキズか。しかしながら、ある意味このミックスは歌詞に傾注させるためとも受け取れるほど、その内容は強烈に過激なものとなっている。
いまや売れる・売れないに目を瞑れば実のところ地下(地底)アイドル現場の参入障壁は非常に低く、希望すれば誰でもアイドルとしてステージに立ててしまう実態がある。''選ばれる''ことなく、誰でもステージに上がることができるのだ。もはやオタクの数よりアイドルのほうが多いとする説まである。
自己顕示欲や承認欲求の充足手段として実のない活動をする自称アイドルも少なくないのだろう。とにかく「本気じゃないなら邪魔をするな」と言うメッセージが強く深く刻み込まれたのがこの曲だ。歯に衣着せぬどころか「肉も骨も目ん玉かっぽじってとくと見やがれ!!」というくらいかなり生々しくダメなアイドルたちへの不満が炸裂している。一般常識レベルの話もあるのだが、華やかな舞台の裏がいかに混沌としているかがよく描かれている。私事ながら一時期裏方として業界の端っこにいたことがある身としては、立て続けにぶちまけられる愚痴な数々には相当なリアリティを感じる。耳が痛い関係者も少なくないことだろう。
極めつけは白幡いちほが放つこれだ。
「応援してくれた奴らを責任持って笑顔にしろよ!!」。
ぐうの音も出ない正論。しかしそれを口に、あまつさえ曲にするというのは生半可な覚悟ではないだろうし、かといって奇を衒った蛮勇でもない。力強く吐き捨てられるアンリミテッドな文句の数々からは、その一方で「ゴキ帝なら大丈夫」「ゴキ帝は裏切らない」と思わせてくれるような頼もしさも感じられるのだ。
中盤、「私達は誰にも利用されない」と言いつつも「自分を信じさせてよ!!」と葛藤も見せる。気を抜くとあっという間に蝕まれる業界の狂気に対する抵抗の様子もまたなんとも生々しい。ゆえに「vs.MAD」。自らの周囲に渦巻く狂気と戦いながら、世をゴキゲンにすべく劇場版ゴキゲン帝国の戦いは続く。
余談だが、九軒ひびきと廿楽なぎの台詞パートが非常に秀逸である。人によってはなにかに目覚めてしまうだろう。先斗ぺろのDisもなかなか攻撃力が高く、メンタルをザクザク切り刻むような口ぶりはなかなかに悪魔的である。御握りんは数ある台詞の中でも一般人的なポジションを務めているようで、その日常会話的な叫び方がとりわけリスナー的に共感しやすい声だったりする。業界云々に関わらず日常生活の中にある不満のカタルシス的な立ち回りを演じており、業界ネタな曲に終始しない引力をこの曲に持たせている。


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続きはまだ一文字も書いてないからそのうち公開するね(´・ω・`)おつ

55 お別れ

誰にもどうにもできないことってありますよね。

知ってる人が亡くなりました。3週間ほど前になりますかね。
わかる人はわかると思うのでまぁそのつもりで読んでいてください。デリケートな話なのですごく抽象的な文章になります。果物でいうと香りを遮断した上で皮だけ見せつけるような感じです。実については会ったときにでも直接聞いてください。

そんなに何回も会ったことがあるわけじゃないです。ただ本当に良い子でした。

ご両親のご自宅にお邪魔させて頂いて、お線香をあげて、生い立ちとかいろいろ聞かせて頂きました。そのなかで知らなかったことをいくつも知って(謎が解けたようなところもあり)、実際会って持っていた印象のさらにその何倍も何十倍も優しくまじめな子で、精一杯がんばって生きて生きて''生き抜いた人''なんだとわかりました。
彼女は逝ってしまうにはあまりにも若かったけれど、讃えるべき尊い一生をやり切ったのだと心から思いました。だから声をかけてあげられるとしたら、「おつかれさま」って言ってあげたいです。よくがんばったね、と。

趣味を通じて知り合い、趣味の場で顔を合わせるくらいだったので、楽しそうにしてる顔しか記憶にはないです。思えばそれは、どんな時よりも強く生きている時の顔でした。

ああしていれば、こうしていれば、って、自分でさえも思うことがあります。それはもっと近しい人にとってはなおさらのことで、そうなるともうなにも言えないんですけど、ただ自分にできることがある、自分になら繋げる想いがある、という状況だったので、できる限りのことをさせて頂きました。果たせなかった約束があるんです。届いていたらいいな。

ご両親の優しい声と涙ぐむ言葉が忘れられません。「もういない」という事実を振り返れば何度でも深い悲しみが訪れてしまうけれど、それでも彼女は今なおご両親をはじめ沢山の人たちに愛されている存在なのだと感じています。
宗教とか思想とか、そういったものが人の素肌の気持ちにどれだけ効果があるのかわかりませんが、それでも、このたくさんの愛情が彼女の魂を安らかに包んでくれていることを願ってやみません。

……どれだけルーツを辿っても、どれだけ「もしも」を繰り返しても、おそらくどうにもならなかったことなんじゃないかと思います。すべての人がそれぞれの人生の中で愛情をもってできることをしてきた、ベストを尽くしたんだと思っています。誰にもどうにもできなかったこと。人間は神様じゃないんだ。神様じゃないけど、でも人を愛せるよ。

伝え聞くだけでも、彼女に向けられた暖かく純粋な愛情がいくつもあることがわかりました。
そのことにすごく安心しましたし、やっぱり今でも泣きそうになるんですけど、でもきっといまは暖かいところにいるんだろうなぁと信じられるんです。彼女の心はひとりぼっちじゃないとわかったから。強く想う人たちがいるのだから。いまはどうかそれを受け取って、穏やかに幸せに、笑っていてくれたらいいなと思います。

いつかまたどこかで逢おうね。
100年もしたら天国に仲間がみんな集まってるかもね笑 その頃にはお姫様もいっしょだよ。
いまはどうか、優しい花の香りに包まれて、温もりと安らぎに満たされていますように。
これで待遇悪かったら自分に罰が当たっても天界のやつらしばいておくから笑

心よりご冥福をお祈りいたします。
またね。

54 タイトラー

仮であり続けた(おそらく永遠にそのままかと思われたブログタイトル)が「エアMC」に決まりました。バンドマンになったつもりで語るのでしょう。そしてそんな感じは1回で飽きるのでしょう。

元のタイトルの「綺麗な動物」というフレーズは、吉井和哉の「Born」という曲のアウトテイクver.からでした。「綺麗な動物が肉を奪い合う~」っていう。 
なんかいいなぁ、と思って使ってたんですが、そもそも人間は綺麗な動物ではないのでしょうか。文明や知性も人間の生態に過ぎないのではないでしょうか。奇妙奇天烈ならびに珍妙ですね。

詩も書いております。
https://t.co/q5jBfv2BcA?amp=1
ものによっては勝手にメロディーがあったりしますが曲は作れませんのでそのままです。
言葉にメロディーがありそうだなってものがそうです。性質が違いますよね。
文章ド下手なので文字表現的なところはこれが一番自分はやりやすいなって感じのことです。

53 dotstokyoが時代を折り返す

でんぱ組.inc以降の''個性派王道世代''に逆行する形で、グループでありながらも元祖王道に立ち返ったのがdotstokyoというグループ。だと思う。←とりあえず指針として書いたけど挟むところを見つけられなかったので文章の一部の要約ってことにする

dotstokyoと呼ばれるアイドルグループを、彼女らの2ndワンマンライブ@新宿SAMURAIにて初観測した。

そもそも縁があって知ってはいたのだが、1stワンマンを体調不良で観逃し、その4日後にまさかの2ndワンマンをやるというのでここぞとばかりに行ってみた感じである。

【承前】少なくともこの文章を書きはじめた時点でdotstokyoのコンセプトに関してのリサーチとそれに伴う考察はしていない。音源だって聴く前の文章だ。ただ1度ライブを観て、それだけで思ったことをひたすら書き殴っている。
公開してる時点では7inchレコードも聴いていたりするのだけどちゃんと初期衝動を思い出しながら続きを書いたりなどしている。


dotstokyoというテクノロジーアート集団のような名称はあくまで呼称でしかなく、正式名称は「・・・・・・・・・」という。
正式な読みはなく、ある程度通っている通称がいくつかあったり、あるいは触れた人が各々好きに呼ぶ。このナカグロはブラックボックスのようでもあり、あるいは無言のモノローグにも見える。そして一度観てしまえば、名称を与えることすら無粋であるということに気付かされる。

プロデュースチームをも含めた彼女らという集団は、個々であり概念でもあり、そして立ちあげるものは他ならぬ''王道感''のあるステージ。
この''王道感''をいかにして正当な形容にするかについても言葉を尽くさなくてはならない。絶対的に''王道''と感じたが、それがなにゆえなのか左脳が追いついていない状況が先のライブから数日のあいだ続いていた。
なんかよくわかんないけどマジ王道やん!って思ったって話。で、それなんなんっていう。なにも知らずに見た人のそれなりの割合が思うんじゃないだろうか。マーベルと日本のアイドルカルチャーがコラボしたようなSFじみたビジュアルなのに、それと反比例するほど突き抜けて王道じゃないか、どういうことだ、説明を要求する!と昭和の漫画なら言われそうだ。

彼女らのステージは、アート的な手法を用いて概念的なアイドルを具象表現するインスタレーションにも見える。概念化された「アイドル」を表現するプロジェクトと言われても得心がいく。現代アートの美術館に展示されていそうだ。例えば展示室の一室で盆踊りをやってのけた森美術館でのパフォーマンスなど想像に容易い。いつかやってくれ。

しかしそれでいてライブ会場の様子はと言えば、物静かな足取りに緊張の糸を張り巡らせた顔つきと、その眼差しの奥にある脳で無限の哲学を繰り返すアートに毒されたピンキリの審美眼を剥き出しにした来場客達の往来……ではなく、他のアイドルのライブ会場となんら変わりなく、アイドルとファンによる興奮と熱狂のライブが繰り広げられている。……あーこれはそう、ここまではまだ先入観と期待的偏見、そしてその乖離について話している。わけわかんないこと言ってるけどイメージとのギャップってことな。簡単に言えることを難しく言おうとするやつは馬鹿か文字数稼ぎが文章力とか思ってるセコい奴だから信用しちゃいけないよ。OK?では続けよう。

目隠しというビジュアルにまず衝撃を受ける、というのが多くの人にとってドッツとの出逢いの形だろう。アイドルなのに眼差しが読み取れない。これではかの大瀧詠一をしても「僕は照れて愛の言葉が言えず 君は目隠し眼差しを読み取れない」と男完敗の様相を甘んじて受け止めるしかない。書き手のダンディズムも形無しである。オタクはどうする?(*´・д・)ナーニイッテンダーオマエ

会場までの移動中や仲の良いアイドルとのプライベートでさえも外さないという徹底されたこの目隠しの装飾によってドッツがもたらすものは、''アイドルの記号化''ではないかと自分は感じている。メンバーのひとりひとりが表現として立ち上がっているように見える。全員が全員''あるアイドルの肖像''であるかのようだ。なおこの「ある」が指す具体的な人物はいない。それは観た人が垣間見得る個性や顔立ち・背格好に各々投影する存在である。

目は口ほどにものを言う、とは古くからある言葉。実際目の動きは心理に大いに影響されるという。意志の強さも迷いも弱気も緊張も脱力も目つきに現れる。心を開いた相手には瞳孔が開くそうで、これについては自律神経の働きであるため自分では絶対にコントロールできないそうだ。
誰かの心を読み取り感じたいとき、その人の目を見るだろう。その目を隠してしまうことは表情・心理に遮光カーテンをかけることにほかならない。どこまでコミュニケーションを取り続けても最後の最後、一番奥で壁にぶちあたる。いわば心的な他己理解の竜骨を削ぎ落とされてしまった彼女らは、わずかに残された体と顔の筋肉、そしてその言葉と口調の色彩をもってのみ自己を表出する。まぁ目隠されるとその人のことよくわかんなくなるよねって話で、でもそれこそが''アイドルの記号化''をワンアイテムでなし得たギミックなのではないかなと。

思えば地下アイドルの世界に大きな革新をもたらしたのは、2012年にライブ披露され、2013年の幕開けと共に世に放たれたでんぱ組.incの「W.W.D」だと思っている。予め言っておくと自分は2012年にでんぱ組.incのライブを見てアイドルの世界に踏み込んだので、それ以前については全くと言っていいほどわかっていない。しかしながら以降のアイドルビジネスの形をつまみ食い程度にも見ていると、おおよそこれがそこまで的外れではないのでは……と思える。という個人的感覚を承前としてこの先も進めてゆく。まぁ別に出版物でもないのだからこんな言い訳をしなくとも好き勝手言えばいいのだけどな……ブログだし。

承前長い。でんぱ組.incは出来すぎかってくらい壮大な個々と互いのリンクしたストーリーがあり、それはグループ活動と共に大きなドラマを生み続けることになった。
件の「W.W.D」は、製作を手がけたヒャダインが引きこもりやネガティブのひどいメンバーの更生のために仕掛けた、数人分の人生と心の命を賭けた大博打だった。そしてその成功はアイドル界の住環境を引っかき回す巨大な渦潮となったようなそんなようなそんな感じだと思う。

以降、地下アイドルに関していえば人間的な個性の掘り下げを求められるようになったのではないかと思う。
AKB48の「会いに行けるアイドル」というコンセプトがやがてアイドル業界全体を染め上げ、今やライブ時間より接触イベントに割かれる時間のほうが長いというのが当たり前になっている。
そうなってくるとメンバーの人気を左右するのが本人の人間的魅力。もっと言うと、ステージで良いパフォーマンスをするばかりが必ずしも人気のバロメーターにはなりえないという可能性が比率としてやや大きくなっているかもしれない。
「面白い個性やバックグラウンドにフォーカスする」というスタイルから例えば「IDOL AND READ」というアイドルオンリーで1on1の長文インタビュー集が刊行されたり、人間性をやたらと掘り下げる手法からなんだかんだ賛否両論ある講談社主催の「ミスiD」というオーディションも地下アイドルとは関わりが深い。

ひたすら当たり前のことを書き続けているような気分になってくるが、やはり思い直したい。がんばれ。
そもそも日本文化の中でアイドルの元祖とは昭和歌謡の中から生まれたものだ。たぶんそうだ。正確には「アイドル的人気を博した歌手」だが、世間一般の文脈ではアイドルとして語られている。
昭和のアイドルといえば、純潔なイメージを保つことがなにより優先されていたという印象が強いのではないだろうか。「う○こはしません」みたいなことである。極端な例では海外とのマネジメント契約下でのプリンセス天功なんかと同じである。彼女は寝るときの服装まで契約で決められているそうだ。パジャマを着たくてもネグリジェしか着れないとかなんとか。えろ。

とかくプライベートに関しては秘密主義のオンパレードだった印象がある。生い立ちやバイトの話などするはずもなく、明らかに庶民とは別次元の存在としてプロダクトされていたし、そうあることがアイドルの条件だった。
時代の合間に台頭した「モーニング娘。」を筆頭とするハロープロジェクトについても触れる必要が本来はあるのだが、全く通っていないので触れない。初めてギターを触る人間にレガート奏法ができないのと同じことだ。ただなんとなく人間的であることに関してはゆるかったと思う。というか若干ヤンキーっぽかったし庶民派といえばそうだったのかもしれない。

なにが言いたいかと言うと、dotstokyoは個性派グループアイドル時代も安定期になって久しい雰囲気の地下アイドルの文脈に生を受けながら、古典的な秘匿性の高いアイドルのストリームに突っ込もうとしているように見えるのだ。だから''王道''に見えるのだ。たぶん。もっといろいろあるんだろうけどほんとは。

ライブの話をする。

1曲目からメンバーが歌わず初音ミクが歌いだすパートが登場するなどした。観る以前に既に''テクノロジー系現代アートのインスタレーション''みたいなイメージがあったので、まさにピタリとハマったといったところ。視界の色味を鮮やかにされるような、そして鋭角的な驚きを得た。初音ミクはかつて森美術館の企画展「LOVE展」で最もフィーチャーされていた展示物のひとつでもある。

シューゲイザーサウンドの気持ちよさに乗せて、かわいらしくもどこか健気な歌声を聴かせながら舞い踊る姿には確かな訓練の成果が感じられる。それでいてありえないほどバッキバキのサウンド・変拍子・構成で脳髄が破裂しそうになるインストゥルメンタル(てかもうリミックスだよあれは)もパフォーマンスするのだが、キレよく完璧に踊りこなしその中にあっても惜しみなく愛嬌も見せる姿は、誰がなにを言おうとも完全に''アイドル''だった。
曲中に「あっち向いてホイ」をする場面もあった。グループをよく知っていそうな人から笑いが起こっていたから「完全な決め事」ではないのだろう。演出に流動性や偶発性があるのだと思った。

他にも舞台上の「第四の壁」など意に介さんとばかりにバラバラな方向を向いて踊ったり、しっとりとした曲ではメンバーが決まった立ち位置から動かず(ある者は小道具を手に、ある者は曲の間ずっと背を向けていた)最後まで歌いきっていた。
こうした魅せ方はきっと360℃解放のステージでこそ生きると思う。観る場所によって様々な哲学や''愛で''が生まれるだろう。まだ様々な考察と観察*1の可能性を秘めている。

絶え間なく訪れる驚きと熱気と神秘性に満ちたパフォーマンスを前にしていろいろ考えながら観察をひたすら続けていたが、最後のほうになるともう気持ちよくエアギターを弾きながらMIXを打っている自分がいた。

実に熱く楽しいライブだった。観ていくうちに謎性すらもただ受け入れて純粋に楽しんでいたというか、少なくとも彼女らの秘匿性に心理的な意味での遮断性はなく、むしろオープンマインドなものを感じ取った。
哲学と発散の両極が共存するこの情報量の多さ。脳も身体も悦んでいる。アートだけを観ていても、あるいはアイドルだけを観ていても得られないものがどちらもその場にある。なんてお得なの!

その後はメンバーのトークが繰り広げられた。

いや、ゆるい… ゆるすぎる… 非常にぐだっている… あんなエッジの利いた(効いた)ライブをしたあとでこんなゆるいトークが展開されるとは… そのギャップがまた楽しくもある。
いろいろ隠してるなーという話をしたが、しかしそんな中でもメンバー個々のことを伝えようと様々な施策を取っていたりもする。
入場時にはメンバーが書いた自分たちを知ってもらうための冊子が配られたり、とりあえず「通称」っぽい呼び名もあることがわかった。
メンバー同士はとても仲睦まじく、なんというかいちいち絡みが可愛らしい。Twitterはメンバー共用でセルフリプで会話したりしている。なんとなく前衛的な雰囲気を垂れ流しにしているイメージがある中で、あのメンバーアカウントはとてもゆるく愉快だ。

だいたいこの文章を2週間半くらいかけてだらだら書いていたので、なんかもう疲れたしまとまりもないまま終わることにする。というかいまおなかが空いている。

このあとまさかの地元にdotstokyoがやってくる。なんてことだ。そっちを全力で楽しむべく、とりあえず初見の困惑などを取り急ぎここに残して両B面レコードを一回かけてから出かけようと思う。

*1:ちなみに彼女らはライブへの参戦を「観測」と呼んでいる。

52 偽Twitter

時間は差し戻されないし平行世界(もしもワールド)は存在しないのです。そしてなくしてしまったものが帰ってくることはあっても捨ててしまったものは戻ってこないのです

とにかくなんでもかんでも一人でやろうとするしそれはよくないと思っても変なとこで意地張るし肝心なとこで人を頼れないしそうやって自分一人が駄目になってきたのにそれに人を巻き込んだらダメでしょ

友達はいないんじゃない、弱みを見せることを恥だと思ってるだけ。プライドが高すぎる。男には男のプライドがある。ありすぎ。どんなに怠け者気質でも品良くいようとか高めようみたいに作用するメリットもあるけどさ

線引きに対してはとても真面目だし不可侵領域を侵すことは基本できない。それをするときは死ぬほど勇気がいる。こないだちょっとやってみたけどまぁダメだったけどでもモヤモヤがなくなってよかったし気持ちは変わりなくむしろスラッとした。

それはそうと自分の未来どうする?アイドルオタクもカップルとか多くてオタクやめればみたいなジョークもそろそろ通じなくなってくるよ?

脳と心に文化と造詣が入ってないなら記号化するしかないと思って耳インプレッションの方針はあったけど全く違うタイプの言葉をそろえたりしてた

その目論みはやりながら見つけていったしまとまらないまま伝わらないまま今どういう方向性なのかわからないけどもうどうでもいい

たぶん自分が漠然とやろうとしてたことはドッツが数千倍バッチリやってくれてしまったからぐうの音も出ない

争いを諦めがち。話し合いという名の論争を仕掛けられめんどくさくなって何も言わずに消えるっていうことをしたことある。でも話してわかる相手かどうかの判断くらいできるし基本相手に合わせるタイプだから。姓名判断とかして。

辛いときは逃げてもいいんだよを言い訳にしながら生きてしまったとか、体よくサボったりするの上手いから真面目が無理を生むような辛さって実は有してない

芸能の世界でバタバタ動いてるときが一番生きてる感じがしてたまに思い出しては一生恋しいまま死んでいくんだろうな

なんかやりたいけどね