15 人生はワンツーパンチ(ノックアウト)死

ある程度年数生きていろんな人達との関わりが生まれてくると、いかに自分の親がろくでもないかということばかりが次々とわかってくる。
人に怒られることがそのまま親の悪いところだったりする。いやほんとに数年前までは何が悪くて怒られてるのかよくわからないことも多かったけど、いろいろと人を見ていく内に少しずつだけどわかってきた。

母も祖母も人の話を無視して自分の話をし出すんです。話したくなると話すんです。そんでもって兄弟もいないし歳の近い親戚もほとんどいないしで周りは親世代か祖父母世代の人間しかいないんで小さい頃は本当に話に入れないわけです。しかも話題といえば大体誰かの悪口ばっかりで。
子供は親に話を聞いてもらってはじめて出来事が記憶に残るそうですが、小さい頃の記憶はほとんどありません。

全くないわけではなく、悪い記憶はたくさんあります。少なくとも幼児期に関して楽しかったことは何一つ覚えていません。小学校入ってからやっと楽しかった記憶があるという感じ。


一番古い記憶は3歳かな、自分を寝かしつけた(と思ってる)母が当時付き合っていた男とシャワーを浴びに消えてゆく、というそれだけのシーン。変な色のカセットプレーヤー。ちなみに2歳で両親は離婚してます。

あとはその交際相手の男に虐待されてた記憶しかないです。何度か殺されかけましたがまあなんとか生きてました。トイレットペーパーの包装ビニールに指で穴をあける悪い癖が幸いし、入れられたゴミ袋から抜け出せたときは「俺、頭いいんだな」とか思った記憶があります。
保育園に送っていってと母に頼まれたのにその男は自分の酒屋仕事に付き合わせ、幼児にとってはえげつないほど重いものを運ばせたりしてましたね。
殴られたり階段から蹴落とされたりはよくありました。「勝手に自分から落ちた」とか「転んだ」と母には言って様子。殴られるのが怖くて本当のことは言えなかったですねー。

とはいえこの頃ってまだちゃんと人格とりわけ感情が形成されてなかったのか、出来事は覚えてるんですけど恐怖心とかはたぶんないんですよ。幼過ぎて怖いとすら思えなかったのかもしれない。殴られるのが怖いのはただの防衛本能だったのかな。殺されそうになりながら無邪気に笑ってましたね。

小学校に入る頃にはその男とも会うことはなくなりましたが、なんか本当に短期で喧嘩ばかりする危ない子供になってましたね。出ちゃいましたね、虐待の影響。
そして学校から親に連絡が行くと家で母親に殴られるのでまあ毎日憂鬱でしたね。ただこれに関しては学校生活のなかで次第に丸くなってゆきます。とても穏やかになりました。しかしまあ変な話、暴れん坊だった頃の方がモテていたかもしれません。。子供とは…

3年生くらいになると塾に入れられます。ゲームソフトに釣られましたが、そのまままんまと中学受験をさせられました。
小学校の最初の担任が子供を同じように教育する方針で、それに気持ち悪さを覚え私立に行かせようと考えたみたいです。
こどもちゃれんじの影響で少しばかり賢しかったのが教師の鼻についたのか、質問すればみんながやってないとこまでやるなと怒られるみたいな理不尽なこともあり、まあこれについてはこれでよかったと思ってます。

ただまあ受験がんばればあとが楽になるとだけ言われてがんばってたので、中学入ったあとのさらにレベル高い勉強が本当に大変で、いじめもありもはやモチベーションを失ったためにしっかりと成績は落ちまくり、ともすると親が自分の世間体のために良い大学入れとか勉強しろとかって言ってくるわけですね。とても白けますね。
いろいろわがままも聞いてもらってましたが、やりたいと言ってたことはすべて中途半端に終わりました。何一つとしてモチベーションが続かなかった。達成の喜びというものがなかった。
がんばって何かやっても「結果が出てないんだからお前は何もやってないんだ」と言う親だったので、やってもやってないと言われるならもう何もやりたくない、という気持ちになっていたのでした。
授業中はだいたい寝てるかゲーム。SNSでのネット友達との交流に勤しんだりもする。

大学受験も中学受験の頃の経験をそのまま使ってやりました。
ネットではDランクくらいと言われてるとこで、三教科受けて一番高い点数の科目で合否判定をする大学。偏差値稼ぎがセコいとこ。一切勉強しなかった現代文の成績だけで入りました。

高校の頃は本当にネガティブだったんですけど、仲の良い友達に「暗くなるから愚痴を言うな」と言われたのが結構ショックだったんですよね。ああ人に悩みとか話しちゃいけないんだ、って思いましたね。精神的な孤立がどんどん深まります。

大学入ってからはサークルにも入りポジティブを心掛けていたんですけど、次第に無理が生じてきます。まともに育ってきた人達との関わりの中で自分の欠陥がボロを出すわけです。
善良な人達の中で自分の精神がまともに保てなくなって逃げ出します。こんなところにいる資格は無い、自分のどうしようもなさに対する優しさに耐え切れないと。
他大学の演劇サークルでした。本当にろくでもない辞め方をしてしまった。先輩にも同期にも後輩にも本当に申し訳ないと思っています。これを読む人はいないでしょうが。

自分の大学に居場所はなく、能力も知識もないのに小劇場の現場をふらふらと渡り歩き、バイトも何かの区切りごとに(契約が切れるとかクローズになるとか)変えて、数年の間にコミュニティをいくつも変えてきました。
ダメになって去るんですけど少しは成長して次に行き、の繰り返し。行く場所ごとに新たな成長があります。

しかしながら演劇時代に学校に行かなさすぎたことが災いし、4年生にして週5で通う羽目に。その上母は癌で入院し、一人暮らし状態で往復5時間の通学と猫の世話と御見舞とバイトで就活なんかしてられませんでした。時間もなければお金もない。ついでに言うとやる気もなかった。
大学に居場所がなかったので考えることもなく、就活生の話を聞いてもついていけない。
家にお金を入れたり親に少しでも楽させなけりゃ、と考えると全くやる気が出ない。
1度だけ行った説明会、後ろの席で就活生のコピペされまくった後ろ姿やテンプレの質問をよく訓練された気持ち悪い笑顔でする就活生を見てたら気持ち悪くなってしまい、もうやるまいと決めた。いやなんならスーツ着てバス乗った瞬間「俺なにやってるんだろう…」と思った。有象無象になりに行くのか俺は、と。

冒頭に書いた通り親は話を聞きません。相変わらずです。今もです。
そのくせ「飯食わせてやってんだから感謝しろ」みたいなことを日々言ってきます。恩着せがましいです。そりゃ確かにそうなんですけど、子供に対する横暴への免罪符のように聞こえてさながら恫喝です。
小さい頃も無能とかブサイクとかよく言われましてね。何にも自信を持てないのはこのせいかなと思います。


最近は本当に酷いです。
日常会話の最中明らかに文脈がおかしいことを言うんですよ。

例:
俺「○○が△△したんだって」
母「今日歯医者行ったらさー」

これ、会話が全く噛み合ってませんが続いてるのと同じテンポで話してきます。

もうひとつのケースがあって、話しかけたことを完全に無視するケースです。

いずれの場合も「こっちが言ってること聞いてる?」と言うと、「興味無いから反応しなかった」って言うんです。
興味無いからと相槌も打たない。これは過去最高に不愉快なことなのですが、常習化しています。
これについてはものすごく文句言ってるのですが、改善されません。性格の悪さを自覚できないみたいです。こちらの言うことは何一つ聞き入れず「嫌なら出て行け」とそればかり。こちらが無視すると機嫌
を損ねるというクズっぷり。
ちなみに職場での愚痴を聞くと、だいたい起こった問題の原因は母の性格によるものです。


沈着冷静に考えて今の自分の性格の欠陥は幼児期の虐待と母の態度によるものと思われます。
でもそんなこと言ったって世の中まともな家庭のほうが多いからこういうことは誰にも話せないんです。理解されないから。
親には感謝するもの、というのが当たり前にできるのが''当たり前''の世界なのでそうじゃない人はダメなやつ、悪いやつって思われるんです。

自分の努力でなんとかしろとか言う人もいるけど、そんなの一人じゃ無理だし「自分は乗り越えた」って言ってくる奴は支えてくれる人に恵まれてただけで、恵まれてる人間に根性論振りかざされるほど腹立たしいことはないんだよ。

俺は人に受け入れられないんだ、って諦めることが生まれてこの方自分にとっての当たり前の生活になっているから、人に受け入れられてると前提のように考えて関わってゆくという普通の人が一切の体力を使わないことに自分はものすごく体力と精神力を使います。こんなんじゃろくに生きてけるわけはないのに。

苦しみを逃れ幸せを得るためにまともな家庭に育ちまともな人生送れてる人達と人付き合いをしていきたいのですが、この壁はどうにかなるものなのかどうなのか……