33 サムライ

職場のモテるやつがアルバイトの女の子からもらったチョコを「これ○○ちゃんから俺宛のチョコだけどいらないからみんなで食べてー!」と大声で言いながら帰っていった。チョコは封も開けられていなかった。
その女の子、けっこう可愛いな~と思っていたのでまず自分が義理すらもらえてないことに対するショックもあり、加えて義理だろうと何かしら込めていたであろう気持ちを無下にされた彼女がこれを知ったらと思うと、その心中察するに余りあるわけで、心臓が爛れるように泣く感覚に襲われるのであった。
俺だったら例え義理でも一人で残らず全部食べるし、しっかりお返しもする。好意は遠慮なく受け取り、しっかり返す。そういうものだろう。
ググったら義理チョコを面倒くさがる男は9割とか書いてあったが、その程度のことを受け入れる器もなくて何が男か。その程度の余裕もないならその貧相なアメリカンクラッカーをさっさと切り落としてしまえ。

しかしこういうやつがモテるんだから、世の中はうまくできていない。需要と供給が正しく噛み合っていない。あゝ俺がもっと魅力的な男だったらこんな悲劇は起こさなかったのに。(予め断っておくが自分の本命は件の彼女ではない、がとても魅力的な女の子である)

あまりにもモテないから……といって野菜をレイプしたりはしない。
が、大昔モテていた頃の話と以降の没落、それにまつわる人格形成の経緯などを赤裸々に綴ってやる。
これ将来俺が何らかの形で売れたら書籍化して印税にできたやつをもうこの時点で無料大放出するわけだから大損でしかないのだ。心して読み、そして惨憺たる気持ちになるがよい。これは嫌がらせだ。
しかしながらこの先を読んでなお交流を捨てずにいてくれるような寛大な聖人君子諸兄におかれましては生涯良き友として付き合えるはずです。私は義理堅い男ですからいつしか心に感じる恩義を形にすることでしょう。

なお自分語りはセックスにも勝る快楽を脳が感じるそうで、即ち童貞にうってつけのストレス発散方法なのである。彼女などもうできるとは思っていないので(悲しくなるので希望は捨てていないが)、セフレ募集中です。


保育園から小学生の頃はそこそこモテていて、当時のクラス環境的に異例中の異例ともいえる''女子の家に呼ばれる''なんてこともあり、しかもそれが好きな女の子でその子のお母さんとも公認な雰囲気だったんだけど、あまりに自分が鈍感すぎて&クラスが変わって話さなくなり、結局最後までなにもなかった。一文で語りきってしまったがこの調子では息が持つまい。知ったことではないが。あの当時子供が携帯を当たり前に持っていたらまた違ったのかもしれない。

塾では受験のときに同じクラスの女子と二人きりになったときに「同じ学校行こうよ…」と切ない声で言われたけど、「悪いな、第一志望(男子校)受かったからさ…」と振り返らずに電車に乗り込んだ。男はいつでも悲しいサムライ。なお彼女の気持ちに気付いたのはそのおよそ10年以上後のことである。そしていま考えれば同じ学校行ってりゃよかった本当に。(6年間男子校はダメです)

こうして悪気なくフラグをへし折り続けたそこそこモテた小学生時代の自分、おそらくスクールカースト上位だったからだろうなーと思う。クラスのガキ大将の一角、みたいな。頭が回り、成績は良く、短気で喧嘩っ早く、いじめっ子でもあった。
いじめっ子といっても所詮は田舎で、プロレスごっこが関の山。相手が泣けばさすがに必死に謝る程度の良心は持ち合わせていた。
深刻な問題が起きたことはないとはいえ、やはりされていた方としてはたまったもんじゃないわけで、数年後たまたま再会した気弱な元同級生は、身構えながら話していた。


これが中学に入ると一転、いじめられっ子になる。新しい環境で打ち解けられず、というか新しい環境のはずなのに同じ塾出身同士でグループが入学式の日からできていて、人見知りしまくる自分はものすごい勢いで輪に入り損ね孤立した。そしてなにより体育会系ではなかった。
プライドの高さと被害妄想もあり、勝手に孤立していった可能性も高い。たまに優しくしてくれたクラスメイトにも牙を剥く始末。
同級生が進んだ地元の中学に行きたいと何度も頭を抱えていた当時。気付いた友達が先生に伝えて解決してくれたけど、それは俺がいないところで担任がクラスに話をするというやつで、戻ってみたら急にみんなフレンドリーになったもんだからあまりの豹変ぶりに今度は人間不信になった。とりあえず表面上社交的にコミュニケーションを取る能力がもののついでに備わった。
以後6年間の中高6年間はさながらデスタムーアに閉ざされた狭間の闇の世界であった。

共学だったら何かしらが二転三転してロマンスの一つや二つ、叶う叶わないに関わらずあったのかもしれないが、本当になにもなかった。そんなパラレルワールドも生きてみたい。
しかし最近WOWOWで放送している四畳半神話体系を観て、共学行ってもこうなってただろうよと嘲笑う自分がいる。
ああそりゃそうさ、やり直すなら生まれる家を選ぶところからだった。


なにゆえいじめっ子だったのか。
他人を攻撃することで優位に立つ、という基本的なスタンスを教えたのが身の回りの大人達だったからだと思う。
物心ついた頃には母は離婚しており、父親の記憶はない。高2の頃に再会した父親には「お前モテなそうだよな」とか言われたが黙れ50過ぎのフリーターハゲ(本当にハゲてる)、と心の中で言い返しておいた。

最古の記憶の一つに、自分を寝かしつけてバスルームに向かう母と当時の交際相手だった男の姿、というものがある。気持ち悪い色彩の青緑のラジカセを遠目に見ていた。

端的に言えばその母の交際相手の男に虐待されていた。

保育園に送ってと母に言われていたのに、自分を酒屋の仕事に付き合わせ、明らかに運べないような鉄の樽なんかを無理やり運ばせる。
帰ってくれば車の中で椅子に立たせ、明らかに車高が足りず真っ直ぐ立てないのに「真っ直ぐ立てよ」と怒鳴りつけてきた。カーラジオからはZARDの「揺れる想い」が流れていた。
家に戻って風呂に入れば顔面にシャワーをかけられ続け、知恵を使って壁側を向いて体を洗う。
そのまま湯を抜き、2,3cmほど残した状態で浴槽の中に寝かされた。そのまま寝ろといい男は風呂場を後にする。そして本当にそのまま寝てしまい、朝起こしに来た男に無言で頬を叩かれた。
ビールを飲まされて気を失ったり、家のアパートの一番段数が多い階段(12,3段)の上から蹴り落とされ「勝手に転んだだけ」と言われたこともあるし、ゴミ袋に閉じ込められたことだってある。(このときはトイレットペーパーの包装ビニールに指を押し込んで穴を開ける困った癖が幸いし、自力で脱出した)
折り畳んだ布団の中に入れられて上からのしかかられた時は本当に死ぬかと思った。

幼少期の記憶はこれくらいで、他はなにも覚えていない。楽しかった記憶はほとんど残っていない。
あ、いま同じ組のうそつき女子が「風船型のゲームボーイが出る」と嘘をついていた話を思い出した。そして信じていた自分。別にこれは楽しくもなんともない…

人格形成が不充分であり、当時は感情がまだ確立していなかったためか、出来事の記憶しか残っていない。辛いとか怖いとか思うことができなかった。保育園で父の日のプレゼントを作りましょうと言われた時はこの男にそれを贈っていた。心と思考が正常に機能する年齢ではなかった。
虐待は年長になる頃にはなくなった。別れたようだった。

しかし、母も母だった。
男に比べればまともではあるが、優しさのネジの締め方が間違っていた。
自分がなにかすれば怒鳴る、叩く、ものを投げる。優しく諭すということができない人だった。
「こうやって言わなきゃわかんないじゃないのよ!」と言うがそんな風にされては萎縮するだけで聞き分けが良くなるわけではない。
勉強を頑張れないときは「やらなきゃいけないことなんだからやれ」「自分のためなのよ」とか言うが、幼い子供にその実を自明に理解できるはずもなく、やる気を出させる創意工夫は一切行われなかった。
褒められることもなかった。たまには褒めてくれてもよかったのだが、「おーよちよちえらいでちゅね~♪とでも言えばいいの?」と冷たくあしらわれた。
習い事での挫折も多く、褒められることのない環境で長続きしたものなど何一つなかった。

男も母もまず怒鳴る、暴力、の人だったから、大人には怖くて何も言えなくなったし、怒られる=殴られる、だったから怒られないために嘘や隠し事をする子供になった。声も小さくなる一方だった。
「どうして嘘つくの!!!!!」「黙ってたってわからないでしょうが!!!!!!」あんたが殴るからだ。

結局そのまま大人になってしまい、バイト先で謝らないことを怒られることがあった。そんなことで怒られたことはかつてなかったが、何度か怒られるうちにやっと改まってきた。いま思えば恥ずかしいことだ。
思えば母は自分が悪くても謝らない人だった。それは今も変わらない。母親が謝る姿を見せてこなかったのに子供がちゃんと謝れる大人になれるわけがない。
ちなみにこの母親、「飯食わせてやってんだからありがたく思え」とか日常的に言うし、話しかけても反応がないから「聞いてる?」と言ったら「興味がないから」と相槌も打たない。同じことをやり返したら「どうしてそういうことされなきゃいけないのよ!!!!」とヒステリーを起こす。そのあとまともな会話が成立したことがないのでもう諦めている。
何度も何度もぶつかってぶつかって、手応えがなくて、もう完全に家族を諦めるしかなくなった。

アルバイトなどで世の中に出るうちにようやく自分の親がおかしいことに気付く。でももう青春なんかとっくに終わっていて、なにも取り返せない歳になっていた。


人に怯えるのが癖になってしまったのかもしれない。会話力の低さは警戒心と生まれつきなぜかあるプライドの高さによるものだ。
優しい親に育てられた人達からは暗い暗いと敬遠され、もう人生レベルで太刀打ちできなくなっている。
日陰者でも日向暮らしに憧れるから、なるべく日向にいる人達と関わってそうなろうとしているのに、どうしても過去の人格形成が足枷になってまとわりつく。日向で生きることなんか許されてないんだぞお前は、と言われているようだ。

それでもここで闘い続けなきゃ永遠に幸せになんぞなれないぞ、と自分を奮い立たせるしかない。
結果死ぬまで幸せになれずとも、諦めたまま時間をただ無下にするのではなく、闘い続けた果てに無念の死を遂げることが生まれてしまったことへの筋の通し方だと思う。

男はいつでも悲しいサムライ。
縁と義理人情を大切に。
義理義理チョコップ。

義理でいいから誰かくれねーかなー