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38 物語は続かない

 「ルビー・グルーム」というカートゥーンアニメがある。ドラキュラやフランケン・シュタインなどの水木しげる作品に準拠して言えば西欧妖怪にあたるキャラクター達が登場する海外アニメで、ハロウィンモチーフをこよなく愛する身としてはやはりこういったものも大好物であると胸を張って言うことは二酸化炭素を排出する行為に伴って自然と行われるもので、ともすればあるときの無料放送で録画したのだった。
 予想に違わず世界観は全くもって大好物であったのだが、いかんせん内容が面白くなかった。「内容が微妙だった」以外の記憶がすべて抜け落ちるほどには薄味の退屈な脚本と演出であった。口に白い異物が残らないほどに薄められたカルピスを飲んだときのようなかぎりなくぬるい地獄がそこにある。牛乳で割っていたらどんなに美味しかったろう、と幼少の頃母に教わった''カロリーの純白魔女''たる追想と比較して余計に辛どくなってくるのであった。なんとまあ期待しがいのない… やむを得ず出張った腹の引込みに於ける怠惰っぷりに重ね重ね落胆をしてみせるのだった。

 2001年9月11日の夜分、自室の小さなブラウン管テレビで母と死闘を繰り広げてる自分がいた。目玉のついたゲル状のマスコットを、同色同士くっつけることで消し去り、それにより生まれる爽快感を楽しむと共に、質量保存の法則に従い偶然にも、そして不運にも相手のテリトリーに廃棄される透き通ったこれまたゲル状の生物を無数に積み立てることで爽快を求めんとする、そして相手の精神にのっぴきならないストレスを与えることをまた快感とする、そういった対戦遊戯である。無論劣勢に甘んじればストレスは自らを飲み込む洪水と化しこの身に焦燥を掻き立てる。己の安息のために相手を徹底的に叩き潰さなければならない。この戦いに互角の文字はなく、一方が活きれば他方は窮する。すなわちこの対戦落ちゲーは生きるか死ぬか、生き延びるか殺されるかの真剣勝負、否、生死を賭けた闘争なのだ。だというのにこいつら、ぷよぷよしやがって。ちなみに「通」である。
 あまりにも手を抜かれた命名を飄々と生きこなすカエルにプログラミングされた気の触れた戦術を我がものとし肉親を追い詰めるその最中、当時最新の「ニュース受信機能」を有していた母の携帯電話が聞いたことのない音声を発した。聞きなれぬ通知音は異変を感じさせるに充分であり、一番大きなテレビのあるリビングへと駆け出しわずか数歩先、リモコンにより光を得たテレビが最初に映し出したのが飛行機の映像、数秒後が惨劇であった。当時何を感じたのか、「思ったことを書け」などと漠然と宣う小学校の国語のテストに椎茸のそれに匹敵する過剰なまでのアレルギー反応を示していた自分にその記憶はあるはずもなく、その映像を観るに至る過程の景色だけが記憶に壁紙のように貼りついていた。

 17歳にもなるとインターネットの友達と東京で遊ぶなどという、分不相応な交流を楽しんでいた。否、当時のコミュニケーション能力の無さはといえば今では考えられないほどの無間地獄であり、声は小さく不潔、ただの気持ち悪い変なデブという印象しか与えられずにいた。ちなみに分不相応というのは、少なくとも当時の小遣いでは東京と地元を往復するだけで全財産が枯渇するような地域に居住、そして通学していたことがその理由である。
 立川駅のすぐ近くにある小さなラーメン屋の杏仁豆腐が美味しかったことはよく覚えている。その集まりに参加していた1人のオタク女子は、男子校通いを匠の域にまで磨き上げ、「女性とは架空の性別ではないか」と真剣に仮説を立てるまでに至った当時の自分から見れば紛うことなき美少女で、まぁ少なくともそこらのオタク女子よりはなんとも言えず可愛かった覚えがある。記憶の彼方のことなので、今の価値観で評価をすることは精神物理学的に困難を究める。爽やかにしたミルクのような白をイメージさせる少女であった。なお歳上である。
 同じコミュニティで知り合った福島の肉塊男子は彼女に恋心を寄せていたが、「私、レズだから」の一言にあえなく撃沈したという。かける言葉もなかったが、しかしありきたりな物語のようにフラれていたほうが慰めづらかったような気も今となってはするのである。

 将来とは何か。目先の遊楽に身を委ねることのみをただ善しとし、かといって聡明な友人の人生設計を莫迦にすることはせず、不器用なりの応援をし、ただおそらく影では阿呆だ愚者だと言われながらそれに気付かず、ありとあらゆる妥協の果てに詐欺まがいの偏差値稼ぎを行うみみっちぃ某大学の某学部に進学した。同級生であればこのレベルの大学しか通らなければ迷わず浪人を選んだであろう。2、3年に一度は東大現役合格を実現する進学校であったのだ。しかしあまりの己の怠惰を冷静に省みた結果、愚息目は浪人したとて、「人生経験」という無意義な有意義さに目が眩み遊び呆け失敗を繰り返すだろうと予測した。そして安易にモラトリアムに踏み込んだのである。
 高校時代の暗澹たる自己の水脈を清めんが如く、大学からは明るく振る舞おうと努めた。言うまでもなく途端に無理が生じ、ごく普通の大学生の輪の中で胃に穴を空け、逃げるように才気溢れる社会不適合者達の切磋琢磨の鍛錬場に雑用を求めて出入りした。ただ手近な憧れの近くに身を置き自らの無味乾燥をカムフラージュしたかったのであろう。しかしながら一寸の虫にも五分の魂、意地と忍耐により理不尽に(あるいは無知が招いた)襲い来る修羅場を辛くも超え、類まれなる処理能力を我がものとするに至った。
 失ったものも大きかった。いいように使い潰され、借金は残り、2年間空けた大学に友はおらず、既に忘れ去られた基礎知識を用いて行われる専門的講義による単位を100ほど狩らなければならなかった。
 当時想いを寄せていた''戦友''たる女性のただ一言の叱咤に清い冷水を浴びせられたかのように覚醒し、以後もう少し自分に優しく生きようと決めた。もしかすると、大学に入ってからの波乱の体験の数々は、ただその一言を信頼のおける友から頂くためだけに与えられた経験だったのかもしれない。