45 夏の日のオマージュ

全国的真夏のサクセスに例外なく今年も乗り遅れること27年、元アイドルにガチ恋をしながらもアイドルとオタクの距離感を保ち続けてしまう煮えきらない午前3時のレム睡眠時に見た夢のことはあんまり覚えていない。

男は作曲家であった。しかしながら会社勤めもしているフリーの貧乏人であった。最近作った「めっちゃ明るいデジタルロックなのに歌詞が超卑屈」な歌には「君を失う未来ばかり夢に出てきて 寝れてないからジークムントもカールも口を出すなよ」という矛盾スレスレの一節が登場するが、彼はこれをとても気に入っている。ドイツ語で書かれた歌詞を渡されエキサイト翻訳を駆使して訳したのは彼だが、元の詞を手掛けたのはスロバキアの漁師だという。なんだそのツテは。

彼がいつものようにチェンバロの音色を設定したキーボードで左手でルート・右手で不協和音を奏でながら結局なにも生み出さずに終わるという己の実感としては無益に感じる遊びに興じていると、不意にサクラの花びらの塩漬けを食べたくなった。

季節は夏、桜は葉桜。死語と化したようで実態としては存在する冷房病にまんまと打ちのめされている自分が夏にサクセスできない理由がなんとなくわかった気がした。そのためシャンプーを選ぶ際にも「サクセス」をセレクトすることはなんとなく躊躇われた。もっぱら「ウルオス」あたりで間に合わせている。

「かしわもちくらいは売っているのではないか」
季節問わず、年寄りが溢れかえるこの田舎のコンビニには昔懐かしの駄菓子や和菓子が多数取り揃えられている。今の小学生が知らない甘味だってこっそり売っている。そんなことを思い出し、せめてかしわもちだけはキメてやろうと重い腰を上げた。「食べたい気分」を「食べたい時に満たす」ことは、紳士としての信念を貫くことに通ずるものがある。負けられない戦いがそこにはあるのだ。

そう思いコンビニに出かけるも、実に3週間ぶりの灼熱の太陽が照りつけてくる。8月の頭から関東地方は未曾有のレイニーデイズに見舞われていた。これでは梅雨の顔が立たない。8月は責任を取って腹を切れ。これによりメラトニンもセロトニンも完全に欠乏した肉体に、いきなりの38℃のありえない太陽は刺激が強すぎた。まさにイケナイ太陽だしこちとらイケテナイ太陽である。なおどちらもオレンジレンジがリリースしたタイトルだ。

太陽光線により肉体は溶け骨は乾燥し徒歩30秒のコンビニに着くこともままならない。あの娘が好きなチョコミントアイスさえ食べれば自分だって人の形を取り戻すことができるというのに、あるかどうかもわからないかしわもちも、この夏も圧倒的にサクセスをキメまくっているチョコミントアイスも、どちらもコンビニに辿り着かなければ得ることができないという地獄的状況に至ってしまった。
バーベキューが出来そうなほど熱された排水口の網と呼ぶには異様にゴツいけど名前がなんか思い出せないから便宜的に金網と呼ぶことにする金網に、ドロドロに溶けた皮と骨が流れだす。その何割かは金網の熱により蒸発し、また何割かは焼けて固形になった。

そういえば家を出たときからなにか香ばしい匂いがすると思ったらこの匂いだ。3週間ぶりの太陽が人間を焼き殺した匂いだ。これは倫理的には「臭い」と書かなければならないだろうに、なんとなく香ばしく感じてしまった自分がいる。なんということだ。頭が朦朧とする。
しかし人間は往々にして肉食なのだから、焼いたってその肉が美味いはずはない。ジョジョ第5部のエピローグでミスタが立てた仮説はなかなか信憑性がある。肉を食うなら草食動物に限るという話。

肉屋の息子として生まれ、昔日本に来た学者が飛脚の体力に驚き肉食をさせたらもっとヤバいことになるんじゃないかと思って食べさせたらめっちゃ疲れやすくなり「元の食事に戻して…」と死んだ眼で言われて元のおにぎりとたくあんだけの食事に戻したらあっという間に回復した、という蘊蓄を立場上話せずにいる上に体力をつけると言ってやっぱり肉を食べてしまう自分の肉なんか絶対に不味い。でもあの娘はチョコミントアイスが好きだからたぶん美味い。きっとミントの香りがするしほろ苦い想いを心に残してくれる。惚れた女でカニバリズムなんてそんなグロテスクな趣味はあるはずないが、でも肉の美味さの仮定ですら自分とあの娘では釣り合わないんだなぁ、と妙に卑屈になってしまう。

外を歩いている人間は見受けられなかった。たまに通るトラックが、並び立つ住宅をにわかに揺らしていた。


この町には川が流れている。いくつかの町を跨いで流れるこの川の名前には彼が住む町の名がつけられており、幼い頃からなんとなく勝った気分でよくその川を眺めていた。
市政的には海沿いの街だが、ここら一帯は海から遠く、また山に囲まれており、この町にはその山々を水源とする川の周りに発展した歴史がある。
川沿いのガソリンスタンドはかつて「アヒルのガソリンスタンド」と呼ばれ、その名の通りアヒルを飼っていた。母は「ワニもいる」と言っていたが、幼少の当時車の外にもアヒルにもあまり興味がなかったため、真偽の程を確かめるには至っていない。ワニ、見たかったかもしれない。今にして思う。

川に流されながら思うのは支払いのことだ。
最近仕事が変わり、給料の振込口座に元々使っていた金融機関が今の勤め先では対象外ということで、諸々の引き落としの口座を変更しなければならなかった。しかし手続きが間に合っておらず、今は給料が出たらわざわざ口座を移し替えるという七面倒なことをしている。そして今月はまだそれができていないのだ。できていないのに溶けてしまった。意識だけが川に流されている。支払いが滞ると、少しばかり手数料を取られる。輪をかけて憂鬱な気持ちになった。

川の先を追ったことはない。たぶん最寄り駅の近くまで行くのだが、おそらくどこかで曲がる気がする。川について意識したことはないものの、なんとなく地理はわかるのである程度の道程の予測はできた。しかし行く末に関してはまったくの未知である。まあ海だろうけども。

人の形を取り戻したのは三日後のことだった。大いなる……というほどでもない川の力により水分を得た彼は、なんとか肉体の再構築に成功した。顔のパーツ配置が上手くいかなかったようで、水面に写る顔は以前と比べると妙に魚っぽさがあった。具体的にはサクラダイのようであった。

「支払いもそうだけど猫の餌買って帰らないと」
意識とともに流れてきた財布を片手にコンビニ店員に終始平謝りしながら衣服と猫の餌を買い、知らない街の海沿いから自宅を目指して歩き始めた。相変わらずの太陽熱によりまた左脚が溶けてきたが、川にいくらばかりかあったゴミや廃液により化学的な抗体を得た今ならとりあえず家に帰るまでは大丈夫だろうと踏んだ。
なんとなくテレビで見たことのある昭和の面影を残す古臭い酒屋になぜか売っていた麦わら帽子を手に取り、彼は自宅へと歩き出した。


つづく