47 夏の日のオマージュ③

文鳥を飼ってからろくなことがない。

狛江の1DKに暮らしている。サラリーマン。童貞。文鳥は寂しいから飼ってみた。

文鳥ってやつは、インコやオウムレベルではないものの、稀に言葉を覚えてしゃべることがあるらしい。という前知識はあったので、期待はせずに紀元前の戦争の名前とかを仕込もうとしたのだが、案の定この文鳥がしゃべることはなかった。
あ、俺はこいつに嫌われてるし俺もこいつにfxxkサインを日常的にかましているので名前はない。シトロンという名前があったがもうこいつは「文鳥」。文鳥という名前の文鳥でいい。そういうことになった。以後よろしく。

ある金曜日、帰っても問題ないような仕事のために意味のわからない残業を空気に流されてしてしまい、自宅に着いたのは21時を過ぎていた。空気に流されてするのがまぐわいだったらいいのにな。よっこらセックス。文鳥にエサやってトイレ掃除して、疲れで判断力を失った頭で買ったAVを観はじめた。素人の女の子が同じく素人の童貞を卒業させてあげようというまぁマジックミラー号。顔と名前を知ってる女優が素人ヅラして出てるけどたまに本当の素人も紛れてるらしい。なんとなく夢がある。どちらにしても。

AVを観るときにヘッドフォンやらはしない。なんとなく臨場感が損なわれる気がする。コンサートDVDとかもそうする。ヘッドフォンだイヤフォンだってのは左右から音を入れて脳内で立体を構築するものだから、空間を伴う「映像」の鑑賞にそのツールを使うのはなにか違う気がした。

本当は大音量で観たいところだが、もちろん夜だし安いアパート住まいだから隣人もいる。配慮して音量はかなり抑え、テレビにできるだけ近付いて楽しむことにしている。
日中だって気を遣う。世間はいま夏休み真っ只中らしく、家の近くの公園には朝っぱらから小学生がよく遊びに来ている。健全な青少年育成のため判断を迷ったが、PTAとテレビで聞く程度の世論が怖くなりやはり夜間と同じ方法での鑑賞を選んだ。
いずれにしても、傍から見たら実に気持ち悪い。変質者が部屋に潜んでいたらどうしよう。潜んでいることよりもこの醜態を見られていることのほうが耐えられないかもしれない。恥ずかしい。
ただ事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、この状況で俺に耐えられない思いをさせたのは架空の変質者ではなく、あろうことか飼っている文鳥だった。

「あっ…あっ…」
妙に低い気持ち悪い声が背後から聴こえてきた。ホモの変質者でも侵入したかと思い、戦慄して背後を見ると、どう見ても文鳥が発声しているようだった。
AVの中で小太りの情けない面構えの絵に描いたような童貞があげるミュートしてほしさならグラミー賞3年連続受賞レベルの気色悪い喘ぎ声を、この文鳥は真似しだしたのだ。トロイア戦争も覚えられなかったくせに童貞の喘ぎ声のモノマネはテレビ局に売り飛ばしたいくらい上手かった。この瞬間、俺は永遠の不愉快を手に入れた。

なによりの問題は、文鳥の鳴き声がやや大きいことだった。程よく人の声に聞こえるようなボリュームだった。焼きたい。
四六時中あの情けない声を出し続けるものだから、ついに隣人からお手紙が来た。ドアの隙間から差し込まれた手紙には「お盛んですね」とだけ書かれていた。殺してやろうかと思った。

隣の奥さんがAVの音漏れに苦情を言いに来て発情……みたいなAVがあるが(童貞の夢のひとつである)、生憎当の隣人は俺と同じしがないサラリーマンの野郎だった。部屋の壁が薄いからなんとなく生活ぶりは垣間見える。どうやらインコを2羽飼っているらしかった。「モルディブ」と言うインコと、「ヤッタ!」と言うインコがいる。言葉のセレクトに対する疑問は知ったところで脳が快楽を得られる気配もないので特に気にしなかった。

彼は背は低いがミスチル桜井みたいな優男で、腹立たしいことに結構モテるらしい。週に2、3回は女が来るが、喘ぎ声の声色が3種類くらいあることを俺は知っていた。そのくせたまにデリヘルも呼んでいるらしい。殺すぞ。

「お盛んですね」紙はなんともこう、自尊心を逆立てる腹立たしさがあるものだった。動物嫌いをオーラで感じ取る猫の気持ちがなんとなくわかった。
このフラストレーションを引きずったまま(もちろん文鳥の喘ぎ声問題も解決しないまま)、糞みたいな気分で数日を過ごしたが、隣人宅からロマンポルノが聴こえたタイミングで頭の中のなにかが切れてしまった俺はおもむろに手帳の白紙のページをちぎり、インクの切れそうなボールペンを走らせた。

「マリちゃんとはどうなりましたか?」という紙切れが発端となったらしく、隣人宅からは大喧嘩の声が聞こえてきた。大喧嘩というよりは彼の下で「ミズキ」と呼ばれていた女が立て続けに金切り声を上げているだけなのだが。ああこれはまるで非常階段のJUNKOのようだ。糞うるさいがまぁ愉快である。その夜は安眠にさして貢献してくれなかった耳栓を数ヶ月ぶりに使い、心地よい眠りに就いた。

ちなみに「マリちゃん」とは彼がよく電話で口説いている女の名だ。部屋に来たことはない。彼はずいぶん入れ込んでいるようだが、手応えは全然ないらしい。
あの紙を書いているとき不思議な優しさに溢れていた俺は「マナミちゃんにしゃぶられてるときのほうが気持ちよさそうですね」とは書かないであげたのだけど、そっちにしてたらどうなってたかな。ふふっ。
彼はこちらの部屋と接した壁にもたれかかって電話をするし、ベッドもこの壁に隣接しているようだったのでわりとそのあたりの事情は筒抜けだった。地声のでかさが災いしたな。俺は金を貯めて早いとこ引っ越そう。さすがに壁薄すぎるだろ。

瞬く間に隣人との仲は険悪になり、復讐は何も生まないという漫画やアニメでよく語られる教訓を身をもって知ることとなった。ちょっと物音を立てるだけですぐ壁ドンしてくる。怖い。童貞だから物理が関わる喧嘩は苦手だ。2ちゃんねるでの喧嘩しか受けたくない。ちなみに勝てるとは言ってない。ぬるぽ

相変わらず文鳥は気持ち悪い喘ぎ声を真似し続けていた。新しい言葉を教えて塗り替えようと試みたが、こちらが何かを話すと露骨に無視してくる。鳥なりに強い''意志''が感じられた。ジョジョに出てきそうな鳥だなこいつ。うぜぇ。
あとはもうそれっぽい団体に何かにつけて虐待だと口うるさく言われそうな方法しか思いつかなかったので諦めた。というか「こんな卑猥な鳴き声にしてしまって!」と現状を虐待と捉えられかねない。この頃からAVを観るときは虚ろな目でヘッドフォンをしながら観るようになり、しばらくするとヘッドフォンをしながら日常生活を送るようになった。数日後、田舎の母親から電話がかかってきて「クール便で送った食べ物が宛名人不在で腐って帰ってきた」と怒鳴られた。なんにも言えねぇ。ごめんな。

AVを観ている間はエアコンをつけないようにしている。生々しい臭さがなんとも言えず興奮を掻き立てる気がした。あー気持ち悪い、俺。
でもなんだか今日は妙だ。暑すぎて意識が飛びそうになる。一通り落ち着いてヘッドフォンを外すと、妙に静かな部屋に横たわっていた。
午前11時。まだ夏休みだというのに、セミも鳴かない。あたりはやけに静まりかえっていた。