59 音楽はスピーカーで聴くのがいいよな

期間限定フリーダウンロードという畏れ多いクリスマスプレゼントを投げ放った・・・・・・・・・、1stフルアルバムとなる「 」は音楽の聴き方の襟を正してくれるアルバムでもあった。

ライブアイドルシーンにおいて重要なのは音圧だった。
ライブにおいてCD音源を使い、かつ「沸ける」というポイントに着目すると、ライブハウスで鳴らしたときに音圧を稼げるミックス・マスタリングが暗に求められているのが地下アイドルシーンのここ数年かなと思う。J-POPにまで裾野を広げれば、95年頃に録音機材の技術革新があったとかで、そのあたりを境にあらゆるアーティストのCDの音量が著しく上がっている。ラジオ・有線でより人の耳に残るサウンドメイキングが以前にも増して求められるようになり、音圧を求めていく傾向は年々加速している。

この冬に届けられた音源の中でとかくこの音圧という点において印象的だったのが、B'zの20枚目となるオリジナルアルバム「DINOSAUR」、そして・・・・・・・・・の「 」だった。

「DINOSAUR」はB'z史上屈指の分厚いサウンドで録音されたアルバム。ディープ・パープルのようなクラシック・ハードロックを意識したとのことで*1、特徴としては空間に対するギターサウンドのレンジが非常に広い。重厚なアンビエンスが心地よく、今までで一番ハードな音作りのアルバムなのに聴き疲れせずすごく聴きやすいという一見両立しなさそうな質感を見事に実現させている。来年デビュー30周年を迎えるB'zだが、「DINOSAUR」で魅せた音作りはまさに熟練の極みといったところだ。

一方、再生環境によって聴こえは異なるが一部の楽曲にクリッピング・ノイズ*2が散見される。
このノイズ問題については様々な報告がなされていて、おおむねスピーカーやカーステレオで鳴らした場合には気にならないとする意見が多い。
ちょっと思い出したのが、T.M.REVOLUTION西川貴教の話。

西川 極端な話を言うと…音楽はやっぱりヘッドフォンじゃなくスピーカーで鳴らして聴いて欲しい気もするんだよね。我々制作者側が意図して作った音というか、スタジオでアレコレ言いながら作っている音って、やっぱりある程度は大音量で鳴らして聴くことを想定して作ってたりするから。

これは音そのものの話にもなるんだけど、やっぱり音っていうのは鳴らされた瞬間に、その場の空間が振動して伝わってくるわけで。普段あまり意識することってないけど、音が空気とか部屋の障害物とか、聴いている場所の広さとか形状とか、そういういろんな要素が混ざり合って音として認識するというかね。それによって音楽を感じる印象が変わってきたりするからね。


――その点でいうとヘッドフォンは…


西川 耳の中で直接音を鳴らすわけだから、空気の震えを感じることができないんだよね。もちろんそれはそれで楽しみ方としてありなわけだけど…スピーカーから鳴った音とは厳密には響き方が違うというか。

出典:【音楽好きを自称するのに音質にこだわらないのはNG!?~中編~】ウラノミ!! ブロマガ 第189発目

リスニングの想定はアーティストにもよるだろうが、作り手は様々な再生環境でテストをすることが多いという。スタジオのスピーカー、多種多様のヘッドフォンやイヤホン、THE YELLOW MONKEYの吉井和哉によるとiPhoneのスピーカーで鳴らしたときの音も実は大事なのだという。良い音はそういうので聴いても良い音だとのことだ。

これらの事柄は、本来、音楽はスピーカーで聴くべきものなんじゃないか、という意識が強くなるきっかけになった。先日の27時間テレビ内で放送された阿久悠の半生を描いたドラマでも、CDウォークマンが市民権を得はじめた時期に阿久悠が「音楽の聴き方が変わった」と指摘する場面があった。音楽は本来スピーカーを通し、不特定多数で聴くようなものだったのだ。
中高年のベテランミュージシャン達の少年時代、兄弟が聴いているレコードを盗み聴きしてロックに目覚めたという話をインタビューなどでたびたび耳にする。
CDウォークマンの登場以降、音楽は個人で楽しむ時代へと突入し、mp3プレーヤーやiPod、最近ではスマートフォンの高音質化も進み、音楽が個人消費の時代になって久しい印象を受ける。空間を伝う音が聴かれる機会は減ったのかもしれない。



・・・・・・・・・はというと、その楽曲の多くをシューゲイザーが占める。
シューゲイザーとはなんぞやというと、ほぼほぼ触れてきていないジャンルなので実のところさっぱりなのだが()、まぁかったるい専門的な言葉を排して言うとしたら「滝のようなギターサウンドの音楽」だろう。

個人的に人生五本の指に入るCDとして、数年前に廃盤になったダイソー*3のCD「瀑布のとどろき」がある。華厳の滝をはじめとする、日本が誇る名瀑布の水流の音をありのまま録音したネイチャー・サウンドアルバムであり、他に類を見ないヒーリング・ノイズアルバムだ。
滝はやばい。マイナスイオンがすさまじい。大学の時分に行った新潟旅行の際、少し山を登って小さな滝を見に行ったが、荘厳な景観と浴びるような水流の轟音に立ち尽くしてしまった。浄化されるような気持ちよさがあった。自分にとってノイズだシューゲイズだっていうのはこの経験から来る親和であり、ゆえに音粒の尖っていないアンビエンスにこだわった太いサウンドを好む。

・・・・・・・・・を初めてライブで観たとき、なんて気持ちのよい音楽だろうと思った。浴びれる。彼女らの楽曲の初リスニングがライブハウスの轟音だったことはラッキーだったかもしれない。
アルバム自体はヘッドフォンで聴くと中高音域の音圧が強めでノイジーな印象も受けるが、「サテライト」なんかはドラム(主にハイハット)が少しうるさいくらいでギターの音作りはとてもいい。

「文学少女」は先行シングルのひとつ「両B面レコード」からの収録だが、フリーダウンロードの音源をヘッドフォンで聴くといまひとつ物足りない。音質が良すぎる。
「両B面レコード」はその名の通りシングルレコード(ドーナツ盤)で、「文学少女」はレコードの質感でのリスニングで完成されていた。くぐもったミニマムなアンビエンスとときおり微かに乗るレコード特有のノイズがこの楽曲にぴったりだった。部屋の片隅であのシングル盤をかけているととても癒される。

逆に「ソーダフロート気分」なんかはCDで聴くといい気分な気がする質感である。90'sの香りがすごくする。これは完全にイメージだが90'sといえば音楽とドライブである。イージ㋴ー★ライダーである。これは完全にイメージである。プライベートがすぎるこの感覚。この時代は親の運転する車でいろんな音楽を聴いていたのである。ともすればたぶんカーステレオがかなり相性が良いのではないだろうか。といっても今の車はかなりダイナミックなサウンドシステムが搭載されているから古い車種でないと時代性ごとバッチリはめるのは難しいかもしれないが。今の車、後部座席にもスピーカーあるからな。

曲によって相応しい再生環境は違ってくる気がするが、なんにせよ・・・・・・・・・の「 」もやはりスピーカーで聴くべき音楽なんじゃないかと思う。空気を震わせて伝わってくるサウンドにこそ''エモ''がある。肉体に浴びせることで得られる''癒し''がある。・・・・・・・・・の本質は''癒し''にあると思っている。ライブで聴いたときの気持ちよさは高まりと共に癒しをくれるのだ。あとメンバーの可愛らしさはとにかく癒し度が高い。

しかしなーライブ。茫然と音を受け止め続けたいしパフォーマンスをじっくり観たいし写真は撮りたいし沸いても楽しいしどうしたらいいんだこの現場。

*1:ちなみにファンの間ではどちらかと言えばホワイト・スネイクっぽいとする意見が見られる。

*2:音割れしたときのチリチリというやつ。

*3:一応言っておくがマイナーな海外のバンド名ではなく、フツーに100円ショップ最大手のアレである。