85 家と配信と砂浜カメ(いじめちゃダメ)

この状況下で有観客ライブを先んじて再開して続けているグループもいれば、配信ライブを積極的にやっているグループもいる。足踏み状態のところもある。どこも砂漠の中で1匹のノミ(それも砂の色や動物、他の虫の体色に擬態し、活発に動き回り、地中に潜る)を探すような状況だとは思う。
Twitterで、久々の有観客ライブに集まっているオタクを見ると取り残された気分になるし、ハッシュタグで実況され続ける配信ライブも観なかったら観なかったでそうなるのだろう。一応ホームスピーカーあるから大音量で配信ライブ観れるけど、ライブハウスのそれとは体験の質が違いすぎて、払った分の対価を得ているとは(平時と比較して)とてもじゃないけど思えない。

もちろん推しを支えたいという気持ちもあるし、配信ライブも自分なりに楽しんでいるけど、「浦島太郎にならないために金使ってる」感が100のうち51以上あることはどうにも否めない自分がいる。
でも昔から「周りと話を合わせるための努力」に潜んだ虚しさがどうにも気持ち良くなくて好きじゃないし、こんな現状は正直やってられないのだ。
一体いつまであきらめを前提にした経済活動をしなきゃいけないんだろう。無理にしなくてもいいのだけど。SNS依存的なところもあるし。

自粛期間(定義が謎)に入ってから、映画、演劇、ライブに1回ずつだけ行った。
映画と演劇には何も問題を感じなかった。大笑いをするような喜劇でもないし、観客が集中して観るタイプのものだったからかもしれない。
ライブがちょっと問題だった。どこかで言ったかもしれないが、最初こそ「コール&レスポンスをするので応えないで下さい!」とクレバーな煽り方をする演者がいて感心したものの、次のちょいとやんちゃな演者が「共犯者になりましょうよ」なんて言って声出しを煽ったところ、乗ってしまった観客が数名いた。その次の演者ではコールまで密かに起こる始末。自分の前にいた白髪の老爺はコールこそしなかったものの、MCでは大声で笑っていた。
「感染防止の対策を一生懸命しなきゃいけないのに!!!!ばかっ!!!!!」というよりは、全然問題ないと思ってる人も警戒してる人もいる、不安だけど応援したいからとか、どうしても生で観たいからとか、対策万全なら安心なんじゃないかとか、色んな考え持った人がいる中で、自分以外に対する想像力が欠けすぎじゃないのか、と思ったのだ。
ライブハウス側は充分すぎるくらい徹底的に感染対策を施していた。注意事項の周知も行っていた。まぁ諸注意を話半分に聞いてる奴なんてどんな集団の中にも半分近くはいるのだが。
要は集団みんなで99%安心できなきゃ何事もやってらんないと思っている。ちなみに1%は想定外の事故。風邪が移る程度の話ならともかく、コロナに関しては怖い話も多い。自分は専門家じゃないので、データを精査したところで過去の感染症の事例を詳しく知らないし、未来を予測しうるだけの医学・生物学・感染症学その他もろもろの学問の知識がない。故に結論を出せない、が結論だ。
先日の山手線で実施されたクラスターフェスにしたってそう。主義主張ごときで人は安心しない。あの人たちはどれだけ専門的な知識を有しているのだろうか。たまたま手元に流れてきた情報をどこまで自身で精査している?独善的すぎて吐き気がした。


最近はダイエットをずっとしている。キツめのトレーニングをしていると自然と糖質いらないやみたいな気分になってくるので、今までとは真逆で意図的に糖質を摂るようにしている。
体は引き締まってきたけど、脳筋化しているというか、文章力とか語彙力とか、それ以上にそれを創出する体力なんかが落ちてきているように感じる。
少し前に書き始めた小説は、まだ載せていない部分で世界観が肥大化しすぎてしまってなかなか続きを書けていない。

やることがあるのは良いことなのかだるいことなのか。
在宅研修の資料が家に届いたけど、勝手にやってレポート送れみたいな感じでやる気が蜃気楼のオアシスだし、やりたいことの期日にも追われているけど頭がなかなか動いてくれない。
減収は給付金で賄えないレベルで、緊急小口資金の貸付も返済を考えると及び腰になる。

前澤社長が1億円くれたら心配の種はあらかた消し飛ぶのだろうが、近所のコンビニまで買い物に行く道中、いきなり空から落ちてくるマシュマロをキャッチできるくらいの確率なのだろうなぁ。ファンタジーじゃん。