105 勿忘草と花雨

tipToe.の全国ツアーファイナル、duo MUSIC EXCHANGE公演で初披露された新曲「勿忘草と花雨」について書きます。これはちょっとさすがに書かずにはいられない。ライブの帰り道で一息で書いています。家に着いても書き上がっていませんがこれが投稿された日時には書き上がっています。(それはそう)

 

作詞・作曲・編曲は彼方あおいさん。

「クリームソーダのゆううつ」「茜」「blue moon.」「群青と流星」「ぺトリコール」など、tipToe.のセンチメンタルサイドを色濃く描き出す数々の楽曲を手掛けた、tipToe.を語る上で絶対に外せないメインソングライターの1人です。

 

この曲では、序盤からこれまでの様々な楽曲のシーンが回想されています。
「春の風速、帳が揺れて」から「踏切ドリーミング」という以前は定番だったオープニングスタイルを久々に並べた今回のセトリでしたが、まさか「踏切ドリーミング」の可愛いあくびシーンに時間差で鳩尾にボディブロー喰らうとは思いませんでしたよね。最近ではレア化していた意外な選曲が、実は伏線として必須のピースだったなんて……なんならツアー中に解禁された1期曲「僕らの青」すらもその伏線のひとつでした。
この曲を知った上で改めて最初から観ると凄まじくやべえライブなのでは……という気がします。配信アーカイブ購入待ったなしです。

 

「勿忘草と花雨(わすれなぐさとかう)」というタイトル、これすごいタイトルだなと思うんです。天啓的なものすら感じる。
このタイトルと歌詞を読んで思ったのが、これは「御守り」なのでは?ということ。

 

勿忘草の花言葉「真実の愛」「誠の愛」。tipToe.の曲ではこれまで歌詞の上では気持ちの正体を明言はしてこなかった印象がありますが、今回ついに「恋をした」というフレーズが登場しました。
「君の心に触れた瞬間、僕は君に恋をした」なんてもう、虚飾も色眼鏡も何も無いピュアなところで恋心に気付いているということで、まさに真実の愛と言えるもののひとつでしょう。

そして花言葉にはもうひとつ、こちらのほうがイメージは強いでしょうか、「私を忘れないで」というものもあります。

 

ひとまずそれはそれで置いておくとして、「花雨」という言葉についても触れておかなければなりません。
語意は「花の咲く頃に降る雨/花に降る雨」のほかに「花が雨のように散ること(あるいはその花)」というものがあります。後者は特に天上から降る花をいい、神仏の加護のしるしとするそうです。

二通りの意味を持つ言葉ですが、事象としては「雨で散り降り注ぐ花」とすればひとつにできそうではあります。

 

この曲において、「花雨」の指す花が「勿忘草」であることは言うまでもないでしょう。そしてその花に、花言葉である「私を忘れないで」という、その気持ちを代入してみます。

 

そういえばが降ったのを覚えていますか?この曲が初披露された11月12日の朝は雨が降っていましたが、それとは別に、2期のtipToe.の物語の中でも長い雨が降っていた季節があります。「fifthRuler.」です。

その雨は、簡単に言ってしまえば人間関係を構築するための試練として、視界を遮り靴を濡らした雨でした。実際の天候としての雨ではありましたが、各々が心を囚われてしまった心の雨でもありました。

長い雨を越えた先で出会った奇跡に溢れた現在を噛み締めた夏が終わり、移ろう季節とともに終わりの足音を感じる中で確かな“恋心”に気付いてしまった「僕」の心には、再びが降りはじめます。

 

ざっくりとタイムラインを流し読みする中で、1期の「茜」と比較する声が見られました。
「茜」の主人公は想いを伝えることもできず、そのまま会えなくなることの苦しさに悶えています。
「君のこと忘れるぐらいならずっと苦しいままでいいのにな」とも歌うその姿は、強い気持ちを持ちながらもそれを押し殺しているようでした。

一方で「勿忘草と花雨」の主人公は、「好きだ、好きだ、/ただ、ただ、君のことが、/君が僕を忘れる日が来ても」と、内省であることに変わりは無いながらも感情の発露が止まりません。なんなら「会えなくなるわけじゃないよ/わかっているけど/ああ、」と現実的な視点を歪みなく持ち合わせてもいます。

 

この感情を「勿忘草」に喩えるなら、時間と共に降り注ぐ雨はその花弁を散らし、否が応にも未来という結果を引き寄せるものとなります。
真実の愛、忘れないでほしい、あるいは自分も忘れたくない、そんな感情を容赦なく雨は打ち付け散らしていきます。

そんな花雨が散らす勿忘草の花弁もまた“花雨”


季節が移り、散り落ちた勿忘草という感情の花弁は、しかし土に埋もれるでも風で飛び去るでもなく、その心に感情の証を残します。
「君が好きだ」「忘れたくない」「忘れられたくない」と強く想い続けたことそのものが、心に加護として残り続けるのです。強く純粋な感情が、未来へ向かう「僕」自身の御守りになるのです。

 

「茜」では「『君のことが好きなんです』と夕焼け空に溶かしてみる」と心の扉を閉ざし、振付においても一度は晒した激情を再び心の奥底に閉じ込める様が表現されていました。

一方「勿忘草と花雨」の最後のフレーズは「君の心に触れた瞬間、僕は君に恋をした」。これは冒頭のフレーズの繰り返しです。
心の中で感情を剥き出しにしながら、思い出を辿り、その感情を言葉にし、最後にもう一度その気持ちを確認しています。すなわち冒頭と締め括りを飾る全く同じこのフレーズこそが、唯一つ揺るぎない真実なのです。
その想いを再確認し、自分の中で確かなものとしたことが心の「御守り」になったとも言えるでしょう。

 

そんな御守りを得た「勿忘草と花雨」の主人公には、想いを確かなものにしたことで、さらにその先に続いていく物語があるように感じられてなりません。これで終わりじゃない、まだ綴るべき物語があるはずです。

この曲は、未来に向かう「僕」、あるいはそれを演じる今のtipToe.に宛てた贈り物なのかもしれません。

 

ところで、楽曲のリズムトラックやピアノアレンジからは「僕らの青」を彷彿とさせるものがありましたが、歌詞にもそのままフレーズとして登場していました。
「僕らの青」という曲は、逃げてばかりではダメだとわかっていながらも変わってしまうことを恐れ、進もうとはするけれども割り切れないまま時間に追い越されていくような物語が描かれています。(「茜」もですが、1期では他の曲たちと結びついて結末へと向かっていきます)

 

「勿忘草と花雨」にある「あの日のような春風が/さらっていく、僕らの青」というフレーズ、「僕らの青」に描かれたような感情すべてなのか、それとは別にしても残酷なまでに青い今見えている空のことなのかはともかくとして、この「あの日のような春風」から連想される曲がありますよね。そうです、「My Long Prologue」です。

 

tipToe.の登場人物たちって、具体的にはなんだかよくわからないけども、ステージに立って歌うことを全力でやっている風なことが折に触れて描かれている印象があります。ラブライブですか?

「My Long Prologue」には「そうだほら、始まりだったあの日も/今日のような風が吹いていた」というフレーズがあります。この曲はその表側に立つ立場からの歌なのだと思う一方で、その風が同じものだとするならば、その内側で渦巻く物語が「勿忘草と花雨」である、いわば“裏My Long Prologue”なのではないかと思えてきます。気持ちに気付いてそれを確かなものと自覚するっていう流れもひとつの「My Long Prologue」と言えるでしょう。

 

「あの日仰いだ青空がいつも背中を押す」と歌われた青空が、風にさらわれた「僕らの青」でもあるのかもしれません。背中を押してくれるけど、わかっているけど、それでも、という葛藤が見えてくるような気がします。

制作および初披露の時期的には1期の「僕らの青」のポジションに相当する楽曲ですが、そこに連なる「茜」も含め、それよりもさらにマインドが進んでいる楽曲という印象です。

 

特典会でこの曲について話していた時、あいりちゃんがこんなことを言っていました。


「この先、何年、何十年経ってからこの曲を聴いたとしても、今日ここで歌った時の気持ちに戻って来られると思う。」

 

この曲を通して表現した感情が彼女にとって、生涯心に残る御守りになったと受け取ることもできます。

 

彼方あおいさんはこれまでもtipToe.に数々の名曲を提供してきたことで知られていますが、本作はこれまでよりずっとtipToe.との精神的な距離が近いところで書かれたような、もっと感覚的に融合したようなところで書かれたような曲であるように感じます。シャーマンキングで例えるなら甲縛式オーバーソウルってとこでしょうか。(違うような気も)

「僕らの青」のような重々しさがありつつも、tipToe.らしいキャッチーさも兼ね備えた新境地ともいえる曲。

初披露の時点で「彼方あおいさんが書いたtipToe.の曲」として、これまでで1番好きな曲になりました。

 

初見で涙腺を抉ってくる破壊力。なんと言ってもそれを最初から完成系でステージに持ってくるメンバーの卓越した表現力が無ければ、そもそもお披露目自体不可能な曲だったと思います。

同じ時間を過ごした人達の心に強く刻まれるであろう、至高の名曲が生まれました。


勿忘草の開花時期は3月から6月。現体制が終わるのは来年の6月ですね。

きっと“その日”を越えても心に遺り続けて加護をもたらしてくれる、そんな曲です。