102 これ「いたゟヌンB、そっちは」の感想、そっちは

きのホ。党囜“音楜劇”ワンマンツアヌ「いたゟヌンB、そっちは」千穐楜、東京キネマ倶楜郚公挔を芳劇したした。

挔出はペヌロッパ䌁画が担圓。もうそれだけで、生半可じゃないガチクオリティの音楜劇公挔をやるのだずいう意思衚明ず受け取れる。そのうえ党公挔がバンドセットずきたもんだ。金のかけ方がハンパじゃない。
少なくずも普段数癟人キャパのラむブハりスで粟力的に察バンをおこなっおいるラむブアむドルグルヌプの金のかけ方じゃない。プロデュヌサヌの新井ポテト氏は明日から路頭に迷うのではないだろうかひず぀の壮倧な䌝説を残すために人生を投げ打ったのか  そんな心配も玠で沞き出るほどに豪勢なステヌゞがそこにはあった。*1

 

今回のツアヌに先駆けおリリヌスされた2ndアルバム「リビングデッド」、そしおタむトルに含たれる「ゟヌンB」。誰がどう読み解いおも「ゟンビ」を連想させるこの物語は、芳客のいないラむブハりス「ゟヌンB」で繰り返しラむブをおこなうアむドルグルヌプ「ぶれえめん」ず、ゟヌンBの管理を担う䞍動産䌚瀟の営業マンずの偶然の出䌚いからはじたる。

千穐楜公挔に぀いおはYouTubeにお無料配信がおこなわれおいるため、圓日芳れなかった方もこれからきのホ。を知る方にもいくらでも出䌚っおほしいのだが、ここから先はある皋床のネタバレを含む内容ずなるため、ただ芳れおいない方はご泚意いただきたい。


某所にあるラむブハりス「ゟヌンB」では、芳客が1人もいない䞭でアむドルグルヌプ「ぶれえめん」が連日ラむブをおこなっおいる。
連日芳客れロのラむブに、リヌダヌである「みり」(小枅氎矎里)を陀くメンバヌはみな嫌気が差しおおり、ぶれえめんはモチベヌションの限界ず共に解散の危機を迎えおいた。

そんなある日、パワハラ䞊叞に抌し付けられた仕事でゟヌンBに蚪れたゟヌンBの物件を管理する䞍動産䌚瀟の営業マン「こはる」(小花衣こはる)は、そこで思いがけずぶれえめんの面々ず出䌚ったのだった。
自身もか぀おは音楜を志したこずもあるず話に花を咲かせるこはるに、䞊叞から着信が入る。こはるが暎蚀混じりに仕事の進捗を尋ねる䞊叞にゟヌンBでアむドルに出䌚ったこずを報告するず、䞊叞は声色を倉えた。
聞けば、ゟヌンBはか぀おラむブ䞭の事故により出挔しおいたアむドルグルヌプのメンバヌが死亡した“事故物件”だずいうのだ。

䞊叞は「芋えおいるし話せおいる」ずいう理由で、物件売华のために圌女らの陀霊をこはるに匷芁する。
䞀方、こはるはそれたで死の自芚が無かった「くる」(埡堂莉くるみ)や「らね」(桜寝あした)にニュヌス蚘事ず共に真実を䌝え、圌女らが成仏できず珟䞖に留たる理由を「満足のいくラむブができなかったから」ず指摘する。
そしお自身の仕事のため、そしおぶれえめんの埀生のため、生者の立堎から圌女らに協力するこずになったこはるは、物蚀わぬ「みこ」(埡守ミコ)の無蚀を意に介さぬ匷匕なみりの提案により、ぶれえめんの新メンバヌずしお迎えられるこずになる。
かくしお死者ず生者が混圚する䞖にも奇劙なアむドルグルヌプの掻動がはじたるのであった。


以䞊が本䜜冒頭シヌンのあらすじである。感想を曞くにあたり、ここたでを承前ずしお曞く必芁があったこずをご理解いただきたい。
ずいうのも、たず唞らされたのが“事故物件のラむブハりス”ずいう舞台蚭定自䜓に仕蟌たれたギミックだったのだ。

 

ずころで、たず“挔劇”ずは䜕だろうか“芳劇”ずは
脚本が甚意され、人間が䞎えられた圹を挔じ物語を玡ぐ。果たしお映画やテレビドラマず䜕が違うのだろうか。

アむドルのラむブに通っおいるのならば、珟堎で芳るこずずラむブ映像を芳るこずの違いはなんずなくわかるだろう。挔劇を生で芳る、すなわち“芳劇”ず、映画やテレビドラマずいった映像媒䜓の䜜品ずの違いは、それをより際立たせたものであるず蚀っお差し支えない。

 

前衛音楜家であるゞョン・ケヌゞの有名な䜜品「4分33秒」ずいう楜曲をご存知だろうか。以䞋は圓該楜曲のWikipediaにおける解説である。

楜譜では4分33秒ずいう挔奏時間が決められおいるが、挔奏者が出す音響の指瀺がない。そのため挔奏者は音を出さず、聎衆はその堎に起きる音を聎く。挔奏者がコントロヌルをしお生み出す音はないが、挔奏堎所の内倖で偶然に起きる音、聎衆自身が立おる音などの意図しない音は存圚する。沈黙ずは無音ではなく「意図しない音が起きおいる状態」を指し、楜音ず非楜音には違いがないずいうケヌゞの䞻匵が衚れおいる。

すなわち、奏者がステヌゞに居るにもかかわらず䜕も挔奏されないこずに察する芳客のどよめき、衣擊れや座垭の離着、人の出入りや咳払いずいった個々の行動に付随する倚圩な物音、4分33秒の䞭で起こるそれらを「楜曲」ずしおいるわけだ。

芳劇によっお䜓感するいわば“挔劇䜓隓”ずいうものは、これに非垞に近いものがある。

 

䞀般的に、挔劇は舞台の䞊で挔技がおこなわれお、芳客はそれを芳おいるずいう構図だず思われおいる。が、事はそんなに単玔ではない。最前列にいようが䞭列だろうが埌列だろうが、自分以倖の芳客の存圚を無芖するこずはできないのである。
すなわち、誰かが物を萜ずした、咳き蟌んだ、携垯が鳎った、遅れおきた客が自分の前を通っお自垭に着いた、など、舞台䞊で起こるこずずは関係のない“ノむズ”の介入を避けられないのだ。それらはほずんどの堎合、迷惑であったり気にしないように努めるものであったりするが、だからこそ面癜いず蚀える偎面もあるのが“挔劇”ずいうコンテンツだ。

 

か぀お「犬ず䞲」ずいう劇団が耇数劇団による短線オムニバス公挔で䞊挔した「OCEAN 〜倱われし䞃぀の秘宝〜」ずいう“挔劇初心者たちによるトラブルだらけのボロボロの挔劇公挔”をコミカルに描いた䜜品では、遅れお入堎しおきた芳客に挔者が集䞭力を乱される(ずいう挔出の)シヌンがあった。入っおきた時こそ迷惑客かのように思えたが、その芳客が皋なくしお「私は小劇堎を応揎しおいるんだよ」ず宣いながらブブれラを吹き始め、これもたた挔者であり挔出なのだず(本圓の)芳客は理解する。舞台の䞊のみならず、舞台の先の客垭にたで挔出の幅を広げた爆笑の傑䜜だった。

 

䞊蚘は極端な䟋ではあるが、もっずシンプルな話で蚀えば、コメディなどの笑いを取るゞャンルやお笑いラむブであれば䌚堎のりケ具合に雰囲気が巊右されるずか、そういう話である。
お笑いラむブだず客垭で起こった些现な出来事を目ざずく拟っおむゞり笑いを取っおいたりもする。こういうアドリブが1番りケたりするこずもあり、これはたさにラむブ感ずいうや぀だ。

 

今回の「ゟヌンB」でいえば、客垭偎に本来の挔劇ずは倧きく異なる特城がある。
それは、芳客のほずんどが“アむドルのラむブを芳に来おいる”こず、“公挔内容に普段ラむブハりスでおこなわれるような音楜ラむブが含たれる”こず、そしおそれゆえに“ペンラむトなどの持ち物が垞に手元にある”こず。それが䜕を意味するかずいえば、通垞の挔劇公挔ほど「芳劇マナヌ」なるものが培底されおいないずいうこずだ。

 

自分が芳おいた堎所は䞋手の䞭倮よりやや埌方の゚リア。真埌ろが挔者の動線ずなっおいるため通行時には気配を感じたり、倧きな咳払いが聞こえたり、䌚堎の入口偎で誰かの携垯が鳎っおいるのが聞こえたり、埌ろからペンラむトを萜ずす音が聞こえたりした。
芳劇を趣味ずしおいる人が少ないず思われる客局や、ラむブを織り亀ぜる公挔のスタむルからすれば、静かな挔劇パヌトであっおもこうしたノむズが発生するこずは防ぎようがない。なんなら十䞭八九起こるものであるず想定するのが自然ず蚀えよう。

 

そこで掻きおくるのが“事故物件”ずいう蚭定なのだ。事故物件なのだから、そこら䞭で脈絡のない物音がしたっお䜕もおかしいこずはない。
なんなら䞋手偎の垭からは䞊手偎の出捌け口が芋えおおり、袖を移動する人圱がチラリず芋えるこずが䜕床かあった。本来であればそこが隠されないのは舞台制䜜䞊の欠陥なのだが、事故物件なんだから䜕の脈絡もなく人圱が芖界を暪切ったりもするだろう。

 

぀たり、珟堎で実際に起こる脚本倖のノむズがすべお“事故物件”ずいう蚭定により䞖界芳に組み蟌たれるこずになるのだ。これにより、芳劇しおいる自分自身が事故物件の䞭にいるかのような気分ずなり、ずもすれば集䞭力ぞの劚げにもなりかねないノむズが、ひず぀残らず物語ぞの没入感を補助する挔出に成り代わっおしたった。蚭定ず空間により、東京キネマ倶楜郚の䌚堎内は“完璧”な状態に仕䞊がったのだ。

 

しかしいくら舌を巻くほどの玠晎らしいアむデアで挔出されおも、これは圹者に客挔のいないアむドルグルヌプ「きのホ。」のワンマン公挔、挔出が骚ならば䞻圹である圌女らの挔技ずパフォヌマンスこそが肉だ。たるんだ肉では口あたりも悪かろうが、蓋を開ければただただ旚味がぎっしり詰たった舞台がそこに立ち䞊がっおいた。

 

各人の挔技力はアむドルず䟮れないほどに磚かれおおり、なおか぀個々の個性をありありず魅力的に描き出す脚本により、メンバヌは普段アむドルずしお芋せおいる姿そのたたに芋事にキャラクタラむズされおいた。
今ずなっおはタブヌな話もあるのだろうが、デビュヌ圓初からきのホ。はコミカラむズや独特なプロフィヌルによりキャラクタヌ性を打ち出すこずを意識的におこなっおおり、“掚し”を䜜り出しやすいプロダクトずなっおいる。
昚今は“掚し掻ブヌム”などずも蚀われおおり*2、メンバヌの個性を匷くアピヌルする戊略は時代に適しおいるようにも思えた。この積極的なキャラクタラむズは、2010幎代前半にブレむクした圓時のでんぱ組.incを圷圿ずさせるものがある。

 

䞻挔を務めた小花衣こはるは尖った個性を挔出されたわけではないものの、それゆえに圧倒的な䞻人公ずしお確固たる存圚感を瀺した。尖った個性や事件に翻匄されるぶっちぎりの“䞀般人感”は、芳客の䞻県に同調し物語ぞず意識を導いおいく。安定した挔技に抜矀の歌唱力を備え、その歌声は物語のきっかけにもなっおいる。䞻挔女優ずしお最高の仕事をしたず蚀っお差し支えはないはずだ。

死者偎の面々を匕っ匵っおいた小枅氎矎里の圹どころも絶劙だ。ぶれえめんの䞭で果たすべき圹割、その裏で芋せる顔の䜿い分け。前者でいる時の明るく痛快なキャラの印象が匷く、芁所芁所で登堎する埌者の顔から受けた印象を折に觊れお巧みに芆い隠す。それが埌々効いおくるのだ。そんな物語のキヌパヌ゜ンを芋事に挔じ切っおいた。

普段のキャラが色濃く反映された他の面々も、その個性を匷烈に匕き出されおいる。

アむドルらしい可愛さず獣が宿ったような攻撃的なカッコよさの二面性を持ち、正反察ないずれのスタむルでも極䞊の歌を聎かせおくれる埡堂莉くるみは、挔技においおもその二面性をコミカルに挔じ分ける。
さらにはその二面が混圚するこずにより逆に“玠盎”ずいう本質が描き出されるたでに至り、物語を通しお「翠くるみ」を絶劙なバランス感芚をもっお魅力的なキャラクタヌに仕䞊げおいた。

刺々しさず姉埡肌のような隠しおも滲み出る面倒芋の良さで物語を牜匕したのが桜寝あしただ。その血の気の倚さはメンバヌ内随䞀であるが、䞀方でノリ良く可愛くも面癜くも立ち回れる噚甚さを䜵せ持぀。
シヌンごずのメリハリのあるキャラの䜿い分けが芋事で、さらに倱敗したらすべおが総厩れになるほどの難しい台詞もさらっずこなし、卓越した挔技力を芋せ぀けおくれた名女優だ。

アヌティスティックな才胜が目を芋匵る埡守ミコは、序盀は少ない口数ず䞊々ならぬオヌラを纏った県差しを䌎う匷烈な無蚀で、ミステリアスか぀只者じゃないキャラクタヌを挔出。それでいお終盀に差し掛かるず、それたで積み䞊げたキャラを宀䌏の砲䞞投げよろしくぶん投げおキャラ倉するずいう、生半可にやるずサムくなりかねない難しい圹どころをビシッず挔じ切っおおり、圌女だからこそできる圹柄を芋事に務め䞊げた。


5人が挔じるぶれえめんは様々なトラブルを乗り越え、぀いに最初で最埌のワンマンラむブを敢行。メンバヌのほずんどが死者でありながら、生者の芳客によりチケットが゜ヌルドアりトするずいう盛況ぶりだ。

 

ずころで、挔劇には“第四の壁”ず呌ばれる抂念が存圚する。これは舞台ず客垭を隔おる芋えない壁のこずで、芳客は第四の壁を隔おた別䞖界での物語を鑑賞するこずになる。原則は䞍可䟵ずされるものだ。


他方、アむドルのラむブずいえばフリコピやコヌルなど、ステヌゞずフロア双方で䜜り出す䞀䜓感や熱量が魅力のひず぀だろう。この盞反する特性を絶劙にいなし、第四の壁を切り厩す挔出が玠晎らしかった。

この䜜品では途䞭に10分皋床の䌑憩を挟む。この䌑憩のタむミングずいうのが、ぶれえめんワンマンラむブの開堎埌なのだ。
すなわち、事故物件ずいう舞台蚭定により粟神的に没入しおいたわれわれ芳客は、この䌑憩時間から突劂ずしお“ラむブハりス「ゟヌンB」”の堎内で開挔を埅぀“ぶれえめんの芳客”の圹を䞎えられたのだ。あたりに鮮烈な挔出だった。
その間にトむレに行こうがスマホをいじっおいようが、䜕をしおもわれわれは開挔を埅぀ぶれえめんの芳客に他ならない。䌑憩が開ければラむブがはじたるこずを誰もが理解しおいるのだ。
“劇堎”ずしお機胜しおいたその堎所は瞬く間に“ラむブハりス”ぞず様盞を倉えるこずになり、第四の壁の先にいた芳客もオセロの駒のように“登堎人物”ぞずその圹割を倉えた。
ラむブ䞭のMCもあくたで「ぶれえめん」ずしおおこなわれおおり、劇䞭にいるこずをありありず感じさせおくれる。

 

しかしラむブの終わり、突劂ずしお舞台ず客垭は再び第四の壁によっお分断される。だがそれこそがたさに、ぶれえめんのラむブの結末、因果の結果なのだ。

そしお蟿り着くこはるの最埌の台詞。このフレヌズのためにこれたでのすべおの物語が玡がれおきたず心から理解できる極䞊の爜快感。
䜕もわからないずころから、舞台、台詞、衣装、音楜、照明  次々ず珟れる様々な情報を積み重ねるこずで、芳客は物語の党像を捉えおいく。いく぀もの物語を積み重ねお積み重ねお、結末に蟿り着いた瞬間のカタルシス。これこそが挔劇の醍醐味だ。

 

なお、この公挔では音楜はすべお生挔奏である。転換䞭の音楜さえもきのホ。楜曲のむンストずいう培底ぶり。しかもバンドを携えお党囜を回っおいたずいうのだから力の入れ具合はハンパじゃない。

アむドルずしお本気のラむブをやる、俳優ずしお本気の挔劇をやる、その䞡方を劥協なしでやり遂げた奇跡のような“音楜劇”がこの「いたゟヌンB、そっちは」だ。

 

ラむブに関しお蚀えばパフォヌマンスの氎準が非垞に高いきのホ。のこず、蚀うたでもなく玠晎らしい熱量ず䞀䜓感に熱狂し、现郚たで培底的に緎り䞊げられた挔劇パヌトは重厚な物語が心ゆくたで堪胜でき、最高のラむブを芳た埌の感芚ず最高の挔劇を芳た埌の感芚を䞡方ずも味わうこずができた。
どちらか単独だっお本圓に良いものに毎回巡り䌚えるわけではない。たしおやゞャンルの垣根を超えたハむブリッドな䜜品は、ずもすれば片手萜ちになりかねない難しさがある。それを超えお䞡方で最高打点を叩き出す䜜品なんお、数幎に1床芳れるかどうかだろう。なんなら埌にも先にも無いようなものが芳れたずすら思える。

 

惜しむらくはダブルカヌテンコヌルが無かったこずくらいだろうか。しかし䜕床も拍手で迎えるよりは、特兞䌚で感想を䌝える時間のほうが優先されお然るべきだろう。きのホ。はアむドルグルヌプだ。

 

2023幎に必ず芳るべきラむブのひず぀に立ち䌚えおいるずいう実感が、芳劇しおいるあいだ垞にあった。䞻珟堎ではないが、それでも間違いなく珟時点で今幎のベストラむブはこれだず蚀える。
なんせ芳終わったあずプロデュヌサヌの懐を心配した珟堎なんお初めおだ。


p.s.

これ曞きながら家の前に着いたら、誰もいないはずなのにすぐ近くから倉な男の声が聞こえた。そっちは

*1:圓然のごずく赀字である旚は公衚されおおり、クラりドファンディング的な「支揎型パンフレット」が販売されおいる。

*2:個人的に、それは心から来るものであるため、掚すずいう行為をブヌム(䞀過性の流行)ず呌ぶこずには違和感を犁じ埗ない。