43 ゆるめるモ!赤坂ブリッツで感じたことのすべて

ゆるめるモ!「ディスコサイケデリカツアー」FINALの赤坂ブリッツを観てきました。

結果として最高に楽しかったライブ中にガチ病みして未だに本当に意味がわからないことになっているので、その日のことと考えたことぜんぶ書きます。楽しかったこともそうじゃなかったことも。


今回の赤坂ブリッツは、見届けないといけないと思って行ったライブです。
リキッドから原点回帰したゆるめるモ!の歴史的な意味では凱旋にあたるライブだったことや、2年前の赤鰤が自分の原点だったことも理由のひとつではあります。
ただそれ以上にですね、あのー4月にゆるめるモ!のSHOWROOMが云々というブログで当時のゆるめるモ!のワンマンに対するスタンスをボロクソに叩きのめしてそのまま病んで死んだんですけども、まぁメンバーが読んだのか知らないですけど、あれだけ言ったらその次まで観なきゃ筋が通らねえよなぁと思って、実は最速先行でチケット押さえてました。

とてつもなくおこがましいですけど、そんなこともあったので今回は

・どういうライブを構築しようとしているか
・未来を見せてくれるものであるか

に焦点を絞って観ることにしました。
考察系オタクなのでそもそもライブ中めっちゃ沸いてても解釈に解釈を重ねてうおおーーーーとロジカルな側面でも高まっているんですね。




前説ないまま時間押してバンドメンバー登場。オタクが羨むスタッフTではなく、全員ゆめかわヒッピーみたいなTシャツです。田家さんがたまに着てましたよねあれ。

そんでオープニングはバンド演奏による「melted」。興奮しました。ああこれは良いスタートだなあ。お祭りだなあ。メンバー登場であーもう超楽しい。

で、1曲目「うんめー」。なんかリリイベで初めて聴いたときほどの掌握感を感じませんでした。この時点で圧縮がすごかったからなのもあると思いますが、そもそもサビのアレンジがあまり良くないのですこの曲。バッキングがシンプルに押しが強いので、このアレンジのままいくならそれを圧倒的に超える声量で臨まないとたぶんこの曲の真の強さは引き出せないんじゃないのかなと思います。スローなアコースティックかアカペラで聴きたいです。バッキングが静かになる落ちサビになるとメロディーの地力が際立つものね。

2曲目は「1!2!かんふー!」めっちゃエモかったです。イントロのオケが聴こえづらかったのですが、途中でまさか!?と気付いたらはじまってて、いやほんと、たまらなかった。2年前の赤鰤で新衣装と共に披露されたときのことを思い出しました。久々に聴けて嬉しかったし、現場行き始めた当初の感覚が蘇ってひたすらエモを噛み締めていました。振付も、もねちゃんがやってほしいって言ってた「ふーうー」ってのもちゃんとやってる素直で綺麗な頃の自分がそこにいました。ツアーのオケ公演でしかやってなかったからびっくり。嬉しい。ツアーのセトリではこのあとに入ってた「なつ おん ぶるー」もなかったのでどうなるかわからなくなってきます。

MCを挟んで「よいよい」。本当に楽しかった……高速祭囃子のブチ上がり曲ですが、メロディーも歌詞も真っ直ぐなのがとっても好きです。さささにめちゃくちゃ合ってると思います。さささの落ちサビはこの曲が一番好き。アウトロはエクステンドでキーがどんどん上がっていく。テンションもどんどん上がっていく。昇りつめそうになりました。すごく久々に聴けて嬉しかったこれも!

shioRiさんのパワフルなビートで「KAWAIIハードコア銀河」に続くとフロアの熱気は増し増しに。いややっぱいいっすね。「YOU ARE THE WORLD」の中でもわりと最近らしい感じですが、4人になってからの曲とはどことなくグルーヴが違います。なんとなくスペーシーですね。ちなみに4人になってからのロック路線の曲は陸地のロックって感じがします。なんでだろう。ハードコア銀河!たのしい!ラストの「ね」をひたすら繰り返して踊らせるアレンジでした。今回のゆるめるモ!は曲の締め方にこだわりがあるらしい。

「こんなアレンジにしたらカッコいいだろなあ」ってロック脳でしてた妄想をギターの松本大樹さんがそっくりそのまま叶えてくれました。ワウペダルで歪ませたギターでイントロをアレンジした「ぺけぺけ」。わりと忠実にアレンジしていましたが、バンドサウンド炸裂って感じです。元々田家さんのバンドの曲らしいのですが、もしかしたら本家に近いものになっていたのかもしれません。

そして何気に今回のベストアクトは「あさだ」だったんじゃないかなと。
メンバー全員スタンドマイクでカウベル叩いてました。てなわけで間奏での格闘パートはなく、今回間奏はラテン系のリズムに転調しカウベルとハンドクラップを煽るニュースタイルでした。チャッチャッ、チャッチャッチャッてやつね。なんだか南国の夜のビーチで火を囲んで踊っているような気分になりました。いやーいいねー音楽してるねー。YUKOさんはエッグシェイカーで参加してました。打楽器多め。パーカッションも加えてまたやってみてほしいなこれは。後半はあのちゃんもギター弾いてました。メンバーバンドでもやっていましたが、あのちゃんのプレイと音作りはこの曲にとても合っていますね。
ふと、昨年のリキッドの「SWEET ESCAPE」のグルーヴを思い出しました。あれはわりとシリアスめな曲でしたが、今回はこのシンプルにわけのわからない曲を取り上げてそのグルーヴに元々あった(最近戻ってきた)ゆるめるモ!の良さも乗せて今のバンドとのグルーヴで新しい風を取り入れた、まさに「音楽」してた1曲になっていたように思います。
そしてバンドメンバーの推しことshioRiさんのグルーヴがたまらなかった曲でもある。プレイがまるまる色っぽい!shioRiさんのグルーヴは包容力があって良いですね。惚れます。
今回この「ぺけぺけ」「あさだ」がまさに「ディスコサイケデリカ」というキーワードにぴったりな曲に仕上がっていました。「よいよい」からのここまでのくだりは音楽好きとして本当に楽しかった。

「我が名とは」、ESGライクなミニマルディスコな曲です。わりとシンプルな曲で、バンドでアレンジするとなんかほんと「スキヤキ」のバンドアレンジやんこれ、みたいな気もしてきます。
なぜかこの曲のテーマは「和」らしく、古風な言葉遣いというリクエストにより書かれた歌詞と能を取り入れた振り付けが特徴的です。Aメロの途中が和っぽいけど個人的にはそこまで和な雰囲気には思えずなんで?と思いましたが、ただそれが感性に新鮮味をもたらしてくれて楽しい感じでした。
サイケデリックな扇子を用いた振り付けのほか、初のバックダンサーまでついてなかなかエンターテイメント性に富んだ演出を施されていましたね。ちょっと前のモ!ならやらなかったやつ!良い流れだと思います。

続く「OO(ラブ)」のイントロのアルペジオは孤独と逆襲ツアーより歪ませ気味だったかな?リフがいくつかある曲ですがパートごとにリードをどれにするかっていうセレクトがその時々で違って面白い曲だったりします。グッズにあったので初めて扇子付きで振りコピしました。
間奏の台詞は元々歌詞があるものですが、今回はライブライクにアレンジしてましたね~。ここは詩的に演じるよりさささらしくて良いと思います。
「たびのしたく」はなんかあんまり記憶がないんです。1番の転調前のドラム(原曲だとパーカッションがソロキメてるところですね)のリズムキープ大丈夫かなぁ…とか思ってたことは覚えてる。テンションは上がってましたねー。

シューゲイズ風味のラブバラード「永遠のmy boy」、ラブソングという割には恋愛というかもっと広義の愛の発信(恋)を歌っているような気がします。「しっとりと」っていう感じではないものの、音を浴びながらじわりと染み渡る歌に聴き入っていました。これは本当に良い曲。照明でもっと明暗のメリハリを極端なくらいつけたほうがより印象的に焼き付けられたろうな、という感じはしました。

続いたのは「人間は少し不真面目」。「永遠のmy boy」が低音の聴いた曲だったので、逆に結構な高音のスライドギターから入るこの曲への繋ぎは少し耳に違和感がありました。。地方公演では日替わりでやっていた「NNN」のほうがサウンド面での流れはよかったんじゃないかな?っていう気はしました。O-EASTでも「NNN」と日替わりでこっちになってたなぁ。1,000人規模のワンマン単位で考えると、4人になってからは必ずやってるんですよね。(「NNN」聴きたかったなああああああ)
とはいえこの曲も大好きな曲なので、前半は前曲との流れの違和感をすこし感じながらも終盤に向かうにつれ世界観に浸っていきました。エモい…
ただちょっとハウリングきつかったかな。。耳が痛くなる瞬間がありました。後半の他の曲でもそんなことがありましたが、うーんまあこれは仕方ないか。箱ライブあるあるです。

次が「ナイトハイキング」なんですけど、前曲「人間は少し不真面目」の音が残ったままあの電子音のイントロが流れたのはちょっとセンスないなと思ってしまいました…。余韻…余韻くれよ……
エモつなぎなのかなと思いましたが「間」の意識がちょっと弱いなーという印象。生音で聴かせる「人間は少し不真面目」とエレクトロなこの曲を並べるならもっとアレンジに気を遣ってほしかったですね。それができるのもバンドスタイルの良いところなのですから。ちなみにこれ昨年のリキッドでメンバーバンドでやったアレンジだったらとても合っていたと思います。
気持ちよく体を揺らしながら聴くのが好きな曲なんですが(イントロの一緒に踊ろう!っていう振付のリードもぶっちゃけ好きじゃないです)、なんでかこの曲でものすごくピンチケっぽいのが騒ぎ出しましたねえ。なんなんだろう。そんな曲?これ。ちょっと不思議で苦手でした。

その次が「Hamidasumo!」で、なんかエモ枠の余韻は大事にされてないしあのノリからこれを畳み掛けるしで、まあ方向性がそれならそれはそういうものとして楽しもうと思いましたが、このあとさらに「スキヤキ」とブチ上げルートを進むので「永遠のmy boy」からのエモパートさらっと流されすぎてない?という違和感を覚えてました。こう考えるとあとあと楽しくなくなってきたのは「ナイトハイキング」の間ひとつが原因だったのかな……

ただこの「Hamidasumo!」に関しては今までで一番良かったなと思ってて、実は今回のツアーでは赤坂ブリッツでのみ演奏された曲なんです。なんといっても最初の赤鰤がこの曲のリリースツアーだったので、参加した身としては感慨深いものがあります。当時は本編の終盤、満身創痍でバンドにとっても限界への挑戦となった曲。暴れ馬のようなこの曲を死に物狂いで乗りこなしてやろうと気迫が凄まじく、鳥肌モノのパフォーマンスでした。鬼気迫るという言葉がピッタリですね。
2年経って同じ場所で演奏された今回は、もうメンバーはとっくの昔にこの曲をモノにしていて余裕を持って楽しみながらぶつけてきました。成長を感じてそれもまた感慨深いですね。
この日のコール&レスポンスパートはバッキングがディスコ風にアレンジされていて、「ディスコサイケデリカ」の波に乗った新しい試みという感じがまたたまらなく良かったです。「ぺけぺけ」「あさだ」とともに、今回のライブでピックアップしたい曲のひとつになりました。
「Hamidasumo!」にエモを感じたのはこの日が初めてでした。最高です!

ただ残念なところもあって、ひとつは未だに安定しないサビのタイム感。全員の歌ですね。変わった歌割りの変な曲ではありますが…。この曲はサビ以外がほとんどギターリフで構成された高速プログレハードロックだったりするのですが、サビだけジャカジャカ騒ぎ出す感じになるのでここのメロディーラインをボーカルがどれだけバシッと決められるかで印象がだいぶ変わると思うんです。これは正直そろそろいい加減にしてほしいですね…そんなこともあってこの曲はライブ音源よりCD音源を聴きがち。

あとはあのちゃんのギターソロですかね。いつも上手寄りの前の方で観るので毎度手元をガン見してますが、2回あるブレイクのタイミングでのフレーズがいつも代わり映えしないなぁ…と。曲中それぞれのブレイクでの変化もあまりありませんし、過去のライブと比べても似たような感じです。開放でぶっ放したりチョーキングを入れてみるなどの変化と技をつけるとより見せ場としての破壊力は上がると思います。
あのちゃんについては他にも動きに引っ張られてマイクから声が漏れるなどの細かいミスを減らしたり、筋力をつけてダンスの止めのキレを増すと他の追随を許さないライブモンスターになれるだろうなー、と思いました。推しってわけではないのでそんなには観れてませんが… でも本当に何をやっても様になるので青天井で成長していってほしいですね。

続く「スキヤキ」、あんまり記憶がないんですよね。ブチ上がってると逆に覚えてないもんです。攻撃力高いですよねこの曲のバンドバージョンは。
恒例となった落ちサビのあのちゃんのダイブがいつにない侵攻具合でフロアの後ろのほうまで攻めてたんですけど、危ないお客さんいましたね。これちょっとなぁ、という。

「スキヤキ」が終わった時点で前方の圧縮は凄まじく、MC聴いてるのもちょい大変な環境でした。まぁ体そこそこでかいんで大丈夫なんですけど、小柄だったり細身だったりな人達はキツかっただろうな。後で聞きましたが、実際怖い思いをした人が少なからずいたそうです。後のほうの曲で浮かない顔してフロアの前方から去ってった小柄な女の子いたけど大丈夫だったかな。。

後のMCでフロアの状態について言及したのはなぴちゃんが「気持ちは上にね!」っていうのと(でんぱ組.incのもがちゃんの名言からですね)、さささの「怪我しないようにね」ってやつくらいですかね。このあと更にブチ上げパートに突入するってタイミングではありましたけど、これもう少し実を取る声のかけ方をしてくれてもよかったんじゃないかなという気がします。
もがちゃんのあの言葉にしても一旦フロアをほぐしてから言ってた覚えがありますし(うろ覚えですが…)、多少なり危ないことが起こりそうな状態をちょっと声かけた程度でほったらかしにするのは態度としてあんまり褒められたものじゃないかなと。


見当違いだとか妄言が過ぎるぞ糞野郎がさっさと死ね、ときっと言われますが……


前方なんであんななのかというと、暴れるのが好きな人とライブ慣れしてない人が混在して多いからな気がするんです。この状態はようやくZeppを埋めた頃のでんぱでもなかったことで(そのあと売れてから似た感じになりました)、この規模で前方が激しくなるのはCDのセールスだとかメディア露出の具合のわりにゆるめるモ!が世の中に届いてる証拠だと思うんですね。(ロック路線に傾倒していった結果でもあると思いますが)

ライブ慣れしてない人っていうのは「ずっと行きたかったけど一人だし不安だしでもせっかくの機会だし…」って感じで本当に初めて来たとか、比較的フロアが穏やかな対バンライブを観てその感じを想像して安心して来た人とかかなって思うんです。そんでたまたま良い番号取れたとか開演前は前のほう空いてたとかで。直接かつ一番の理由ではないでしょうけど、内心そこに安心感持ててなかったら来ないですよねっていうやつ。
だからそういう人達に対して「ワンマンでは必ず激しくなるから離れたところを勧めます」とか「普段の現場は平和です」とかって言うのは一見冷静なアドバイスに見えて、その実ちょい筋違いというか、だいぶ冷たい言い方な気がしてしまいます。

「今回は嫌な思いをしてしまったかもしれないけど、いつもは平和だし怖いことする人達って普段はいないからこれに懲りずにワンマンだけじゃなくて普段の現場も来てみてね」って気持ちで言ってるんだと思うんですけど(その気持ちはすごくわかりますし実際はそうですよね)、じゃあそしたら普段の現場(つまり対バン)を何回か観て想いが募ってワンマンにまで足伸ばして嫌な思いをした人立場ないよなぁ、って気もします。
あと怖い思いした人にとってはその思いをしたときその場にいた人達が「ゆるめるモ!のお客さん」の印象のすべてになってしまうんですよね。ワンマンしか来ないとかこれが初めてだったって人ならなおのこと。だから普段の現場が平和だなんて素直に信じてもらえるかというと……こうは言ってもいつもの現場を知ってる人たちのフォローに対して物申したいとかそういうわけでは全然なくて、普段もワンマンも関係なく平和でみんなが楽しめる環境にできたら一番いいのになって話なんです。

たぶんもうおまいつのみなさんでは現場の統率は取れないだろうと思います。人数的に有志で統制が取れる限界はとっくに超えてます。だからきっと場数踏んでる人ほど後ろのほうで勝手知ったる人たちと好きに楽しんでるほうが楽しいはず。
オタク側がどうこうするってのには限界があって、てかそもそも同じ客同士で自治とかするのは何様なん?って思う人もいるはずで、やってくれてた方々はまさにアンチヒーローとして肉を切らせて骨を断つ役回りを買って出てくれていたのかなと想像してます。
現場の人が良くてアイドルが安心してライブを出来てた、観客も安心して観れてた、ってのはありますよね。これまでは。うん、ある程度まではそれでもいいんですけど、でも本当に観る側の安全安心に気を遣わなくちゃいけないのって、お客さん自身じゃないですよね……?

まだゆるめるモ!ではOKされてますが、サーフ・ダイブ・リフト禁止の現場ってありますよね。セキュリティを導入して現場環境の保全に務めたり、禁止行為が起こったら即音を止めて終了っていう極端なとこもあります。
これらのルールってなんであるかって、そんなの簡単で「最大多数の最大幸福」のためなわけです。
さっきも書いたように心身ともに多種多様なコンディションのお客さんがいます。そりゃ1,000人以上いたらねえ……通ってた学校が1クラス何人でその中でどれだけ個性的な面子が集まってたか想像してじゃああのハコ埋めてたのその何倍だよって考えるとよりわかるかなと思いますけども。そうやって集まった人達がなるだけ全員が全員楽しめるようにってルールがあったりするわけです。

今のゆるめるモ!はまだまだ厳格なルールもなく、うまくやってこれてました。かといってそろそろルール作れって言いたいわけでもないんですよ。(ダイブ・サーフは危ないから禁止でいいと思ってるけど)
ルールなんか作る前にもっとできることがあるんじゃないですか?ってことです。そしてそれをやれているのか?という話です。

前置きが長くなりましたが、今のゆるめるモ!はこれができていないんじゃないか、って話なんです。言えばわかる人達がほとんどなのに言いもしないっていう、例えるならそんな感じ。
なんせ現場で一番発言力があるのってどう考えてもメンバーだと思います。そうじゃないとこがあるとしたら破綻してますよね。
有志で統率できない規模になってきたとき、それをやらなきゃいけないのは(スタッフも含めた)演者側なのだと思います。いやそもそもそんな規模にならずともやるべきは演者側なはずです。

だいぶ挟みましたがライブの話の続きします。
「気持ちは上に~!」とか「怪我しないでね!」とか言ったくらいで、そのまま次の曲に進みました。「みんなで一歩下がろうか」とか、そのくらいのこと言ってくれてもよかったんじゃないかなって思うんです。それだけでどれだけの人が快適になっただろうって。このあとブチ上げ曲畳み掛けるんでまたどうせ圧縮とかすごくなるだろ、ってのはそりゃそうなんですが、一度落ち着かせるだけでゆとりってできるもんだと思いますよ。

「気持ちは上に!」ってのは元を知ってるからその意図はちゃんとわかるんです。なぴちゃんでヲタだし。でも実が伴ってないよ。そりゃお客さんのことを信用してくれてるんでしょうけども、ただちゃんと見えてはいないよねって今にしてみると思います。特段言及してなかった二人もまた同じです。
メンバーが主義主張や思想の観点からそれを言えないというのなら、最初から運営がもっと気にかけておくべきでした。

ちゃんと見えてないよ、っていまは思いますけど、あの日あの時の自分は違いました。思ってたのはこれです。

「あぁ、この人たちはこういうフロアにしたいんだ」

ここにいろいろつながってきます。
「永遠のmy boy」から「人間は少し不真面目」への音の繋がりに若干の違和感を覚え、世界観に没入するのに少し時間がかかったこと、
「人間は少し不真面目」の余韻があまりなく「ナイトハイキング」に移ったこと、
その「ナイトハイキング」が思った以上に沸き曲と化していて周囲と温度差を感じたこと、
直後に「Hamidasumo!」「スキヤキ」を続けてフロアをヒートアップさせる方向に持ち込んだこと……

この時点で嫌度はだいたい50%くらいでした。
まぁそうしたいならそれはそれとして楽しむよ、って感じなのは変わりないです。
さっき書いたこれ

エモ枠の余韻は大事にされてないしあのノリからこれを畳み掛けるしで、まあ方向性がそれならそれはそういうものとして楽しもうと思いましたが、このあとさらに「スキヤキ」とブチ上げルートを進むので「永遠のmy boy」からのエモパートさらっと流されすぎてない?という違和感を覚えてました。

を念頭に置いたうえでこの先読んで頂けるとなんとなく感覚が再現できるかもしれないかもしれないかもしれないかな……??と思います。。そうでもないか…
ここにもう少しまた別の要素がつながりますのでそれはまた追々。楽しかったのもあるので曲の話に戻って続けますね。


終盤戦の頭にはニューアルバムから「デテコイ!」。ぴょろぴょろいってるシンセサイザーとキー感にテクノ陶酔的な多幸感が溢れるキラーチューン。フロアが(良い意味で)地獄になるな、と思っていた曲で楽しみでした。
イントロの振付が仮面ライダーの変身ポーズみたいで楽しかったですね~。なぜかあの振付はなぴちゃんがゾーンに入ってる感じで一番キレがすごい!w 「Hamidasumo!(ようなぴversion)」を聴いたときにも思いましたが、本当に体にPOLYSICSが入ってるがゆえなんだろうなあ、という感じです。たぶん自分にとってのB'zくらい染みているんだろうなぁ。
サビでは左右にメンバーが行ったりするので、妄キャリの「もっとずっとキュンとしたいの」を思い出して「最初は左!」とかやってみてましたがさすがにあの圧縮のなかではそうそう動きませんねw でもいろいろやれそうでとっても楽しかったです。また余裕のある現場で遊びたいなと思いました。

続けて「震えて甦れ」。ああそうだろうな、と思っていたタイミングでの登場。アルバムだと流れだけでびっくりするくらい印象変わりましたが、ライブではまぁ曲順も違うしそうはなりませんでした。ただ「ディスコサイケデリカ」ってキーワードに当て込める曲ですよね。基本わけわかんなくてシリアスなのにサビに祭囃子のビートが入るのがなかなか面白いです。
ドラムがえげつない曲で、個人的に今のバンドのドラマーよろしくないと思ってるんですが、この曲のサビのアレンジだけはいいなって思います。あとディスコパートのshioRiさんのスラップする右手がなんともいえずたまらなかったですねぇ。

ただなんかこの曲あたりでテンションはだいぶ落ちてました。
「どうする?」
結構マジなトーンで言ってた覚えがあります。
この先どう展開する?何を持ち込む?見せたいスタイルとは?未来は見せてくれるのか?
このあとのことは断片的にしか覚えていないです。




あえて言おう、戦犯であると。

「id アイドル」「Only You」の2曲のことです。
このあと「id アイドル」のイントロが聴こえた瞬間、ステージから目を背けて圧縮の酷いフロアの前方エリアを抜け出しました。ああ、結局それか、と。
テンションが落ちるなかで下がってみると、よく知るオタク達が「YOU ARE THE WORLD」が出た頃のあのノリで沸いていました。ふと懐かしく嬉しくなってその中に混ざって沸いてみました。終わってみると、それまでに感じていたものすべてから目を背けてただただ楽しんでいる自分がそこにいて、酷く悲しくなりました。

「Only You」もイントロのカウントで分かりきっていて、実際はじまって「あーはいはい」という感じでした。完全に気持ちが切れていることがわかりました。
フロアの一番後ろまで下がり、カメラマンの方用の小さい脚立に座り込んでぼんやりとステージを眺めていました。(あとで知ってどきました……すみませんでした)
「手と手叩き」のクラップだけなんとくやっていたので、まだ少しは何かを期待する気持ちが残っていたのかも知れません。
それ以降はAメロもBメロもサビもなんにも覚えていなくて、心が疲れ切ってまったく体がついていきませんでした。「id アイドル」もこの曲も、「あさだ」や「Hamidasumo!」のような特別なアレンジがされていたんでしょうか。全く覚えていません。

間奏の最後、フロアにダイブしてオタクの上で叫びまくっていたあのちゃんがドラムの音に撃たれるように崩れ落ち、その真上で脚立に登ったなぴちゃんが落ちサビを歌った光景が、退廃的で美しかったのだけはよく覚えています。
例えるなら、両国とも疲弊し続けるだけの戦争が共倒れに終わり、それを憐れんだ天使が鎮魂歌を歌いに舞い降りたかのような光景──
これが意図的に作られたものだったらどれだけ素晴らしいステージだろう……でもそんなことはないか。そうは思えない。偶然だろう。ぼんやりとステージに並んで歌う4人を眺めていました。
今にして思えば、もしかしたらあのちゃんのことだから、嗅覚でか理性的にかはわからないけど、意図してやったことなのかもしれません。感受性の強いふたりだからこそ生み出せた光景なのかも。


この2曲については、今となってはゆるめるモ!を食い潰しているとすら思えるのです。

「Only You」。歴史を辿れば、プロデューサーの田家さんがフジロックで観たBOREDOMSでの体験が元になった曲であり、実はゆるめるモ!はデビュー当初からこの曲を出すための布石を打ち続けてきていたのでした。(これについては語ると長いので、ゆるめるモ!関係の昔のインタビューやらから探してみてください)

「君がいないと世界ははじまらない。君こそが世界だ」

ゆるめるモ!の楽曲にあらゆる形で存在していた精神が太い一本の柱になって顕現したのがこの曲です。
だからこそアルバムツアーのファイナル「YOU ARE THE WORLD TOUR FINAL at Zepp DiverCity」では、多種多様な楽曲群の目まぐるしい演舞のその最後に披露され、その空間にあったすべての感情という感情を爆発させるという圧倒的な体験をもたらしたのでした。今でもあの日の「Only You」を超えるパフォーマンスはないと思っています。それはすべてのアイドルという括りで見ても絶対にないことだし、あるいは音楽界全体で見てもそうそうないであろうと言えるレベルでした。感情の昂りで泣いたことがない自分が初めて泣いたのはこの時でした。今でも忘れられない体験です。

ただ、同時に強力すぎる楽曲でもありました。初披露から毎回といっていいほどハイライトで披露され、現場に足繁く通う人達から飽きられてもただひたすらに暴力的なまでのパワーを振るい続けていた曲です。バンドの対バンではそれまで冷たかった対バン相手のファンを突き動かし、またこの曲からファンになった人も少なくないと言います。しかしゆるめるモ!はあまりにもこの曲に依存するきらいがありました。

2017年初頭から春にかけてを暗黒期と言うことにします。この頃のゆるめるモ!は「伝えたいこと」に固執しすぎるあまりエンターテイメントとしての側面を著しく失っていました。
具体的には選曲が極端に偏り、「Only You」「id アイドル」「スキヤキ」「もっとも美しいもの」「ナイトハイキング」の5曲の並びを変えただけのローテーション、持ち時間に余裕があればここに「Hamidasumo!」「逃げろ!!」が加わるだけというセットリストを長期間続けていました。ちなみにこの時点で彼女らの持ち曲は50曲を超えています。ただいずれもゆるめるモ!の楽曲群の中でひときわメッセージ性や意志の強さを感じるものでもありました。

「id アイドル」もこの枠に含まれる曲で、当時は多少変則的なセットリストになっても「Only You」とこの曲だけは必ずセットリストに組み込まれました。
この曲に真に新しいストーリーが宿ったのは、昨年の4人になってから初の大舞台となったリキッドワンマンだったと思います。本編の最後に歌われたこの曲に、どんなになっても続けていくという確かな強い意志を感じました。ゾクッとする何かがあったのを覚えています。
強烈な意志が宿ったこの楽曲はリリースから1年が経った当時のタイミングで一層の支持を集め、年末開催のリクエストライブでは得票数第1位を獲得しました。

人気とライブでの映え方、強烈なメッセージ性を持ちなによりも気持ちが乗るというこれらの楽曲は、先刻の赤坂ブリッツでも終盤の落とし所に投入されました。




自分はそんなに現場に行っていません。月に2,3回程度かな。それでもくどいなと思うようになってきました。2曲とも。

伝えたいメッセージが詰まっているからやってるのはわかるんです。
でも「Only You」と「id アイドル」がないとゆるめるモ!は伝えるべきメッセージを伝えられないグループなのでしょうか?そんなヤワな楽曲ばかり作って歌ってきたグループだったのでしょうか?
メンバーはわりと最近のインタビューで「気持ちの乗らない曲は歌いたくない」と語っていました。でもゆるめるモ!の楽曲を幾度となく聴いてきた身としては、他の楽曲からでも様々な側面から同じメッセージを届けることはできると思うんです。
例えば「生きろ!!」なんかは暗黒期セレクトの「スキヤキ」とも「Only You」ともリンクするテーマ性があると思っています。正直、「YOU ARE THE WORLD」ツアーでは重要なポジションに収まると考えていました。(実際は地方公演の序盤でしか登場しませんでしたが…)

ずっとやってない曲達は気持ちが乗らないってことなんでしょうか?以前から何度か言ってきましたが、過去曲の再解釈をするべきだと思うんです。これだけ多様でありながら一貫した方向性で歌詞が紡がれ続けているのに、自分たちの気持ちの形にハマるものしか歌えないんでしょうか?それって二流、いや三流じゃないかなって思うんですけどどうですか?身の丈に合ったことしかできませんやりませんとも捉えられますがどうでしょうか。それじゃ成長はしませんけども。

どんな表情を持っていても自分達の持ち曲なら、多少なり心の形が違っても徹底的に考え抜いてモノにして、どうしてもハマらないなら徹底的に訓練して演じてみせろよ。
慣れた曲にばかり、パワーのある楽曲にばかり頼って、強い曲・人気の曲におんぶに抱っこっていう風にしか見えないんですよ、今のゆるめるモ!は。

ゆるめるモ!が多くの楽曲で共通したテーマを多様な側面から描いているということは、使い方によっては聴き手の心の中の今まで光の当たらなかった部分に光を当てることができるということでもあります。
如何様にもセットリストを組み替えて、毎度様々な切り口で鮮度を損なわず弱い人達を救い続けられるのがゆるめるモ!だったと思います。今はそうだな、伝えたい伝えたいって言って自分達の言いたいことをゴリ押ししてるだけなんじゃないかな。
伝えたいことがあることもその伝えたいことがとても大事で広まってゆくべきものだっていうのもわかるんです。でも大前提、音楽やってる人間なんだからみなさんエンターテイメントの供給者なわけです。楽しませるっていうことを忘れちゃいけない。
届く人には届き続けるけどそれも永遠じゃないし、届かなくなった人のことは見えてないんだろうなって思う。

とはいえ実際「Only You」も「id アイドル」も変わりなく盛り上がりまくる曲です。心に強く響く曲です。だからこれさえやっていればライブが盛り上がるのはよくわかる。それも間違いじゃない。だけど、だけどそうじゃなくて、、、さ、、、、

本編ラストこそ最新曲の「ミュージック 3、4分で終わっちまうよ」でしたが、それまでの流れがこういう楽曲群になってしまったので全く気持ちが乗りませんでした。本当に良い曲だと思うけど、それまでの積み重ねで心折られましたね。。
これがあったせいで後になってこれより前の「永遠のmy boy」~「人間は少し不真面目」の流れも「これやっとくとエモいやろ!」みたいなあざとさを感じてしまいました。白々しいというか。余韻も含めて曲だってのはまぁ自分のエゴな感覚ですけど。

アンコールの「逃げろ!!」「なつ おん ぶるー」も(様式美的な側面があるのもわかっていますが)、これは本当にエンターテイメント的にもグループのコンセプト的にもめっちゃいいですよね。でも最後はこれで大団円だろっていう慣れ感に心底嫌気が差しました。考えられているとは思えませんでした。大好きな曲で全く楽しめなかったことが今でも辛い。

後ろから観ていて、みんながみんな楽しそうでした。4人になってから、いやゆるめるモ!史上で一番良いライブだったと言っても過言ではないと思います。反応もすごくよかったはずで、それは紛れもないひとつの答えだと思います。


ゆるめるモ!には本当に色んな楽曲があって、今でも聴いていていろいろなメッセージを受け取ります。天才たちによる楽曲群の音楽的な面白さによる興奮もありつつ、愛さんの本当に深い優しさに溢れた言葉たちにはいつもいろんな角度から癒され胸を打たれますし、様々なつらいバックボーンを背負ったメンバーが歌い踊り表現し届けてくれることで心に深く染み渡ってきます。

思うんです、ゆるめるモ!ならもっともっともっともっと驚きと感動に満ちた素晴らしいステージを作り出せるって。いや実際作り出してきたのをこの目で体で心で観てきました。こんな守りに入りすぎた構成で終盤を固めなくても、刺激的で情熱的でエモーショナルなものを生み出せるのがゆるめるモ!だったはずです。

あらゆるアート・エンターテイメントに通ずることですが、楽しむことができればメッセージはゴリ押ししなくても受け手は勝手になにかを受け取って勝手に元気になります。同じライブを観ても受け取るものは人それぞれ違うでしょ?

もっと自由になってほしい。柔らかい頭で、いろんなやり方で曲が持っている力を届け続けてほしい。音楽の力をもっと信用していい。田家さんや作曲家の方々や愛さんが生み出した楽曲をもっともっと今以上に信用していい。絶対に間違いないから。今のままじゃ音楽の可能性をゆるめるモ!自身が狭め続けているみたいで見ていてつらい。


ビビってんじゃねえよゆるめるモ!





でもやっぱりずっと前のとこに戻るんですけど、ぐっちゃぐちゃなフロアをほったらかしにしたままこういう曲達を続けたことね。
ああやってフロアがめちゃくちゃに盛り上がってさえいればそれでいいのかな。それだと体が強くて暴れるの好きな人が一番楽しい場所になるけど。だとしたらこんなことなんにも言う意味がないな。
演者側の気遣いでフロアはもっと快適になる的な話もだいぶ上のほうでしたと思うんですが、そうするつもりがないなら関係ないですよね。

でもアンコールの最初はアルバムのリード曲で、みんなのうたにも使えそうなオールフリコピ推奨曲「モイモイ」だったりする。どっちにどう行きたいんだろう。なんなよくわからない。


ツアーのセットリスト見て期待してたんですよ。
アンコール定番の「なつ おん ぶるー」がまさかの3曲目とか、ツアー単位では久々な「逃げろ!!」が終盤戦の出だしとか、「Only You」をやらない公演があったとか、攻めてていいなと思った。大事なとこは押さえてるし、面白くなりそうな予感がすごくあった。実際赤鰤も前半戦は創意工夫と音楽的な遊び心に溢れた素晴らしいエンターテイメントだった。


期待しすぎたかな。。。





てか、ゆるめるモ!好き過ぎてもはや気持ちが悪いな自分。
こんだけ書いて結局は「自分の理想のゆるめるモ!とはちがった」ですよ。
あらゆる意見の中で一番のゴミですね。さっさと死のうね。読んで下さった方、ごめんなさい。結局こんなでした。


一番後ろから眺めていた「なつ おん ぶるー」が忘れられません。本当にみんなの心からの笑顔がただただ眩しくて、あんなに幸福な景色が世の中にあるなんてって思いました。
でもその中に自分はいなくて、ただ浮かない顔で眺めていただけなんだよな。フロアの後ろまでやってきた推しに見つかった気がしたけど、惨めな顔の自分を見てなにか思っただろうか。


ゆるめるモ!めちゃくちゃ好きでさ、でもなんでもかんでもを肯定しようとは思わなくて。良いなら良い、悪いなら悪いと言いたい。それでもお世辞じゃなく本当にすごく良いものを提示し続けてきたのがゆるめるモ!で、だからずっと好きだったわけで。
もねちゃんもちーちゃんも辞めて毛色も変わっちゃって、それでも信じてついてきてよかったと思えるライブを見せてくれることもあって。でも嘗めたこと考えてワンマン作ってたのがわかって心底見損なったりもして。それでもまた持ち直してすごく良い曲といっしょに元々あったゆるめるモ!らしさも連れ戻してきてくれて、リリイベも新曲しかやらなかった前の週の赤鰤も本当に楽しくて。今回の赤鰤も曲いっぱいやってくれてたけど、でもなんだかんだこんな感じで終わってしまいました。

なにが起こるかわからないわくわく感とか、それに伴う今後どうなるんだろう!?っていう期待とか、そういうのなんも持てませんでした。自分には未来は見えなかった。


こうやって色んな要素が絡み合って、終わって最初に出た感想が「がっかりした」でした。
それが本当につらくてこうやってぜんぶ書いた。勢いだから支離滅裂かもしれないけど。



的はずれなこといっぱい書いてあると思うんで、あんまり気にしないで先に進んでほしいと思います。なんせこんなこと言ってる奴1/1,200だからね。聞く価値ない。
ましてや大好きなグループとか推しにこんなこと言っちゃうオタクはダメだな。際限なく自分を嫌いになる。ここまで読んだらみんなも俺のこと嫌いになってるはずだから、元気があったら叩き殺してくださいね。よろしく。お手数おかけします。




私の話、これでおしまい。

42 それなりな生き方を義務教育化しろ

永遠に人の幸せに加担し続けてそのうち何も得ないままそのまま死ぬのかもしれないと思うことが多いのです。
人に良くしてもらうと数倍返ししようとする癖があります。義理堅いつもりなのですがたぶん自分のためにならないんじゃないかとも最近思います。が、昔の人は情は人のためならずと言いましたね。
信じるものは打算的に決めたほうがいいんじゃないかとは思うんですけども。しかし心で動いてしまいますね。逆に心が止まるとピタリと動けなくなります。不思議なもんです。
自分が誰かの特別な存在になるというイメージが沸きません。自分にとって自分は有象無象であり霧なのです。誰よりも人と違っていたいと思うのとは裏腹に誰にでも埋もれているのです。無個性も大概にしろ。キレがあるのはアイドルへのクソリプだけか。
3、4分で終わっちまうミュージックで気休めしながら死ぬまで永遠に生き永らえるのです。だから人生における幸せなんてもの一番考えたくないんだ。
たぶん誰のことも幸せにできていないからこうなのです。まずはそこからですかね。
誰かのためになにかすることが自己満足の自給自足になってしまったら生きてても死んでても大差ないもん。

41 遠くの声なんて聞かなくていい

昨年4月末の発表、そのタイトルを見た瞬間に自分の中のあらゆるなにかの時間が止まってしまう感覚があった。今でもその記事を見ると同じ感覚を自分の中に再現できるほどの絶対的な衝撃。


2016年7月10日、ひとつも心が前に進まないままこの日を迎えた。
昼夜共に最高に楽しいライブだった。でも感性がなにかに阻まれてあまり記憶がないのも事実。


自分がゆるめるモ!の何に魅力を感じたのか。
唯一無二かつ多彩な楽曲達、被ることのない各メンバー特有の声質、枠にとらわれない自由なアクトスタイル、ゆるい雰囲気とパフォーマンス時の熱量のギャップ、そして意外にもシアトリカルなアイドルらしからぬ振付の数々だった。

2015年5月の赤坂ブリッツワンマンで、最も記憶に残っているのは実は「波がない日」だったりする。
ほぼバンドでやっていたその日のライブの数少ないオケパートの曲で、「眠たいCITY vs 読書日記」「メルヘン」といったド変化球な曲達にさささのレーザー不発トラブルで和やかなゆるさが妙に面白い空気感を作り出したあとの曲がこれ。イントロの出だしからパフォーマンス、最後に音が止まるまでのすべてがめちゃくちゃカッコよかったのをよく覚えている。
振付に関して言えば一番好きかもしれないのがこの曲。波を表現したかのようなサビの振付は、6人とは思えない質量と迫力を感じて圧巻だった。

この曲に限らず、ゆるめるモ!の振付はいわゆるザ☆アイドル…ではないものが多い。個々の可愛さを押し出して輝くというよりも、ステージにいる全員でストーリーやグルーヴを組み上げひとつのものを表現する舞台芸術的なもので、楽曲の世界観にさらなる解釈やストーリーを与え、さながら二次元を三次元に、三次元を四次元にするがごとく豊かに仕立て上げていた。楽曲であそこまでやっているのにさらに振付でも攻めた方向性を打ち出していたのだ。こんなに刺激的なアイドル、他にいない。ゆるヲタになってまだ3ヵ月、ライブも3本目くらいなこのとき。ますます惹かれていった。

調べてみると振付を担当しているのはなんとメンバーのもねちゃんで、この赤坂ブリッツの後しばらく休んでしまったしなんとなく話しづらい印象があったものの、こういった表現をできる子がいったいどんな子なのだろうと無性に気になり復帰を待ってチェキを撮りに行ったほどだった。(ちなみに、持っていたイメージと違ってすさまじく気さくで話しててとても楽しい子でした)


今日になって、ふと思い出したのが1年前の新木場で観た「SWEET ESCAPE」。
本来は専用の衣装を用いた振付で、自分はこの日に初めて真の振付でパフォーマンスを観たのだった。アイドルライブでフィジカルな楽しさと観劇後のような心のざわめきを同時に感じることができたのはこの日が最後だったりする。


もねちゃんの綺麗でクセのある歌声もダンスも振り付ける作品もふと目をやると突拍子もなく面白いことをしている姿も、ちーぼうのハスキーな歌声も時折そこじゃない感のあるフェイクの妙味も掠れ声での煽りも、当時はこれがもう見れない景色だなんて頭ではわかっていても理解できるようなものじゃなかった。
なくなったものがわかるのはなくなってから。それに1年かけて、少しずつ確かめるように、今でも気付き続けているのがこんな懐古ブログを書いてしまう理由。。
そして自分でも気付かないほど長い間、あの発表を見た瞬間から時間が止まっていたようだ。本当に最近になって動き出した気がする。


新木場ライブの終演後の「サマーボカン」のMV上映。
卒業発表時の運営の姿勢は卒業する二人の存在の大きさを自覚していることを感じさせるもので、それがこの演出につながったのだと思う。愛。ゆえに、粋。

ただ、この楽曲を含む当日から先行販売されたミニアルバム「WE ARE A ROCK FESTIVAL」は正直''失敗''だったと思っている。

コンセプトアルバムとしての出来はとても良いと感じる。全体的に明るく取っつきやすい作品でもあった。
これは「広めるために」と運営が前に進むための1歩として提示したもので、残るメンバー4人が違和感を覚えながらも作り上げた作品。卒業ライブから販売が開始されたということは、その前にはレコーディングもMV撮影も済ませていたことになる。どんな気分だっただろう。



7月。雨の少ない梅雨は余韻も残さず、気温だけが上がり続け否応なく季節は真夏に切り替わる。


CD1枚で夏フェスを感じられるあのミニアルバムを、蒸し暑い日に部屋でクーラーをかけながら聴いていた。カーテンを閉めても日差しの強さには否応なく気付かされた。夏空にぴったりハマるサウンドを聴いて、クセのなくなった滑らかな歌が耳から流れ落ちてゆくのにも気付かず、なにかが抜け落ちたままの心に考える力はなくなっていた。

あのアルバムでゆるめるモ!は新しいファン層を獲得したように思う。ただメンバーはアルバムについて多くは語らず、4人体制を盛り上げている従来からのファン達の姿もなんだか無理しているように見えてしまったのが正直なところ。でもそうするしかなかったし、それが良いところだとも思った。

ただ色々と素直な自分には、あの原点回帰と銘打った10月のリキッドをお世辞にも良かったとは言えなかったし、「楽しかった!」「最高!」と言う人たちとの温度差をすごく感じてしまって、なんともいえずモヤモヤしていた。全く姿を変えたあの日の「SWEET ESCAPE」に関してはひとつのパフォーマンスとしてすごくカッコよかったけど。


「WE ARE A ROCK FESTIVAL」に関しては、もう少し間を空けて、気持ちの修復とやるべきものを見極めてからでもよかったんじゃないかと今になって思う。
幸い「ギザギザフリーダム」みたいに好きになれる曲はあって(元々ロック好きだから)、当時はただ前向きに肯定して応援することもできたけど、それが精一杯だった。(自分自身の忙しさもあり、あまり現場には行っていなかったけど)


ゆるめるモ!の新作ミニアルバム「ディスコサイケデリカ」については前回書いた通り。加えて言えば、4人になってからの路線を苦悩のなか全うしたがゆえの強かさの上で結実した、元祖ゆるめるモ!なオリジナリティを取り戻しながらも進化を見せた快作だった。
ただ、その一方で、メンバーにとって試練となりながらも今に至る土台にもなった「WE ARE A ROCK FESTIVAL」以降のロック路線で取り込んだファンとはバッティングしているんじゃないかとも思っている。
このギャップをいかにして克服するか。もう1度目指すべきはZepp DiverCity。あるいは新木場STUDIO COAST。未だ完売の報がない赤坂ブリッツの倍の規模だ。本当に大事なのはこの次の作品だろう。


ちーぼうは千歳ちの名義となり、レッツポコポコでバッチリ活躍しているという。1度だけ観たけど、合っていていいな、と思った。(あの独特の煽りが見られないのは寂しい気もするけど笑)

もねちゃんは一花寿と名を改め(以後、すいちゃん)、Hauptharmonieに加入。好きそうな衣装を着て活き活きと踊っている姿を見て嬉しくなったけど、残念ながら先日解散してしまった。
この先なにをやるのかやらないのかわからないけど、1秒でも彼女が表現の場を失っている世界を心底残念に、そして悔しくも思う。彼女の表現と声が本当に好きだった。




……ここから先はいらんこと書いてると自分で思うなー。でもたぶんここまででもだいぶ書いてるし、出てしまったものだからそのままにするよ。



「ディスコサイケデリカ」はとても良いアルバムだったけど、物足りなかったのは(4人になってからのゆるめるモ!に通して言えることだが)メンバーみんな声がさらさらし過ぎている点だった。とろみのないカレーといった感じで、かつてはそこにとろみを加えたり時にはドライカレーにしていたのはすいちゃんの透き通っていながらもクセの強い歌声や、ちーぼうの安定して上手いハスキーボイスだったりしたのだ。
さらさらのカレーもうまいもんはうまいし、4人の表現力も上がっている。特にけちょんは声だけでできることの幅が広がってきた印象がある。
それでも曲によっては、例えば「我が名とは」みたいなトラックがシンプルな曲ではとろみがほしくなってしまったりもするのが本音。逆を返せばさらさらのカレーが合う曲がまだそんなに多くないんじゃないかとも思う。(というか「よいよい」並にさささに合う曲があれ以降出てないじゃねーかと言いたい笑)


自分が思っていた以上に、好きな理由は多様でかつ建築物のように複雑ながら強固に組み上げられたものだった。それもネジや釘を使わずに頑丈に組まれた木材のような。

大きな柱がひとつふたつと抜けてしまったゆるめるモ!は、ゆっくりとじっくりと、残った柱と枠組みに自ら手を加え、時間をかけてまた新たな建造物を仕上げつつある。苦しいに決まっているのに止まらないことを決め、歩み続けていることに強さがある。

きっと6人の姿にはもう戻らないけれど、バラバラになっても6人のことは変わらず好きだし、たぶん自分もそうだって人は多いと思う。
ときには止まったりもしながら、時間がかかってもそれぞれにそれぞれの幸せや実現にちゃんと辿り着いてくれたら言うことはない。

とりあえずはさささのヘルニアが治ることと、すいちゃんにいいことがいっぱいあってほしいなぁ、と願う今日このごろ。

40 ゆるめるモ!ニューミニアルバム「ディスコサイケデリカ」よさみが深いというかもはや幸せを感じるレベル

ゆるめるモ!のニューミニアルバム「ディスコサイケデリカ」がリリースされた。

春の東名阪ツアーでリリースが告知されたときから、「このアルバムは6~8曲くらいで初期ゆるめるモ!らしいファニーで踊れる曲が軸になるのではないか」と直感で思っていた。いやほんとに。

年始から春先にかけてのゆるめるモ!はロックスタイルに傾倒し、ゆるめるモ!が本来持っていた「ゆるさ」や「ちょっと間の抜けた感じ」といった特徴的な風味を押し殺し、これまでグループとして持っていたメッセージ性に焦点を絞ったライブや楽曲を提示してきた。
この時期の活動スタイルには賛否両論ありまくったと思われる。ライブを見れば一本芯の通ったものを魅せてくれるのだが、ではこれはこの先どうやって広がっていくのだろう……正直、この路線に絞ったままなら先が見えないような気がしてしまっていたのも事実。何度か書いた気がするが、自身のカラーの大半を占める過去のワークスを押入れにしまいこんでまでそんな修羅の道を行かなくても……という感じだった。カッコよいロック路線を行くなら強力な競合相手が多過ぎるし、ゆるめるモ!が他との差別化に成功していたのはその部分ではなかったと思う。そこは''そういう側面も魅せられる''というサブウェポン的な強みとして活きていたと考えている。

そんな折のミニアルバムリリース告知。一ファンの妄想として現状打破を期待して考えると、やはり先に書いたような感じのアルバムになる。つまりそういったアルバムを無意識で既に期待していた。

そして発表されたのは、鮮烈な赤色が刺激的なプライマルスクリーム風のジャケット(久々のオマージュジャケットなうえにとてもカラーに合っていたので、この時点でまさにUFO以前のゆるめるモ!が戻ってきたかのようで興奮した)に彩られた「ディスコサイケデリカ」。それはまるで思考を読み取られたかのように、およそ自分がイメージした通りのアルバムだった。
完全な後出しジャンケンだがこれは本当に思っていたことなのでそこはそう言い張っておく。なんとでも言ってくれ。

少なくともロック路線に違和感を覚えたゆるヲタ達がゆるめるモ!に期待していたことってこういうことなんじゃないの?と思う一枚。わからないけど。他のオタクのちゃんとした感想をまだ聴いてない。

ポップでファニーでディスコティックな「モイモイ」を皮切りに、「Electric Sukiyaki Girls」を彷彿とさせるミニマルテクノ「我が名とは」、心を優しく強く掴むような音と言葉のグルーヴを聴かせる「うんめー」、ゆるめるモ!では極めて珍しいラブソングとなるシューゲイズロックバラード「永遠のmy boy」などバラエティ豊かな楽曲がこれでもかと詰め込まれている。

比喩表現もだるいので、ここからは1曲ずつじっくり語っていきたい。


1.melted
作曲・編曲:ハシダカズマ
外国人の会話からはじまる小曲。言ってることはよくわからないが情けない男が女になんか言われてるシュールでゆるいアメリカンコメディ感のあるイントロダクションからはじまり、「ディスコ!サイケデリカ!」「ゆ!ゆ!ゆるめるモ!」というコールが繰り返されるファンキーなオープニングナンバーだ。
夏の野外で聴きたさがすごい。ビールとか飲みながら「ディスコ!サイケデリカ!」と叫びたい、そんな感じ。サマソニのアイランドステージとかでやってそう。行ったことないけど。YouTubeで観れるりんご音楽祭の「なつ おんぶるー」(箱庭の室内楽と共演)の雰囲気とも近いものを感じる。ちょっとアロハシャツとバナナ買ってくるわ。


2.モイモイ
作詞:小林愛 作曲・編曲:ハシダカズマ
アルバムの実質的なスターティングナンバーだが、ここまで気の緩む出だしの曲って今までなかったかもしれない。「ギザギザフリーダム」「モモモモモモ!世世世世世世!」「眠たいCITY vs 読書日記」「Majiwaranai CAts」……うん、ない。「あさだ」もまた違う。あれはあれでぶっ飛んでる。

雰囲気的には「ぺけぺけ」と近いものがある。あの曲は田家さんのバンドのリメイクシリーズのひとつだそうで、やはり''その''カラーが出てたけども、それを今現在のゆるめるモ!が作り上げてきた''らしさ''でもってアップデートしたような曲だ。とっっっってもゆるい。ゆるゆるである。そんなミドルテンポの踊れる感じである。
踊れる感じというかもうファンみんなで踊ろうという振付がある。PUFFYなどを手掛ける南流石御大によるもので、サビではひたすら頭を抱えながらピースをするというなかなか振り切れたやつ。これがとても楽しい。NHK教育でも使えそうな曲になっている。

それでいながら「もういい もういい 魂売りたくない今日は」とエッジの利いた歌詞をサビの頭にぶっ込んでくるあたりとか、「覚悟とか理想とか無理に言わないでいいのよ」といった従来的なアンチテーゼを示してくるあたりはまさにゆるめるモ!節。
しまいには「だらだら笑っていて」である。こんなこと大っぴらに言う歌うたいはなかなかいない。「がんばれ」と言ったり捻った言葉でがんばり方を説いてくるほうがたぶん世の中多い。 
そしてラストの「でも まあ 今日は踊りましょ」がこのアルバムのテーマそのものなんじゃないか?といまのところ思っている。

ちなみにサウンドにもメロディーにもハシダ節が炸裂している。サビ終わりのメロディーとか「その他のみなさん」っぽい。ギターのワウのかけ方とかフレーズのタイム感とかがまさに''ハシダカズマ''という感じ。これがまた相性抜群である。
これも「melted」と同じ印象で、やはり野外フェスでビール飲みながら聴きたい。あ、足元は芝生ね。これ大事。振付楽しいけど野外フェスだったらフリースタイルで踊りたいな。

ゆるめるモ!のニューアンセムになることは間違いない傑作だと思います。


3.うんめー
作詞・作曲:大森靖子 編曲:ハシダカズマ
親ゆるめるモ!派として並々ならぬ愛情を見せている大森靖子からの初提供楽曲。
正直言うと、メンヘラ御用達なイメージがあるのと(形の善し悪しを問題にしなければ一応は乗り切ってしまった人間なのだ、自分は)、読んでみたブログの「この人はすごいとわかるけど肌に合わない」感がどうにも否めず食わず嫌いしていた大森靖子がついに曲を提供したぞ、ということでようやっと大森靖子ワークスに触れるに至った次第である。

最初こそ刺さらなかったものの、ライブで観てからかなり印象の変わった曲だ。
同じ短いメロディーを繰り返しまくるサビには中毒性以上に''握力''を感じる。ギターインストとかハードロックの文脈でこのメロディーをやると叩きつけるようなインパクトあるグルーヴになると思うのだけど、そういうグルーヴで優しく包み込むようなことをやっているのがこの曲という印象。ゆるめるモ!が元来持つ''優しさ''という力のステータスをやたらと引き出す高攻撃力の武器を装備させた感じである。これは単にメロディーだけの話ではなく、そこに当て込む言葉選びのセンスが成せるワザでもある。

そして''SSWからの提供曲はハシダカズマがアレンジする''の法則がこの曲でも発動していて、サビの歌がある部分のアレンジを極力シンプルにしているあたり実にわかりみが深い。編曲家としての優秀ぶりが伺える快作になっている。
日陰者なりの強く惨めに美しく生きる術が言葉・メロディー・アレンジ、そして歌にすべて込められている。「絶対ぜんぶうまくいく歌」という無根拠ポジティブ全開のパワーワードがこの楽曲の核心でありそのものでもある。


4.我が名とは
作詞:小林愛 作曲:田家大知・松坂康司 編曲:松坂康司
前曲までとは打って変わってシリアスめな空気が漂う、「Electric Sukiyaki Girls」の「生きろ!!」と「スキヤキ」を掛け合わせたようなミニマルテクノナンバー。3:7くらいの比率かな。
使ってる音も似てる。制作陣も同じだしこれは狙ってるに違いない。歌にしてもけちょんの低音シングが特に「生きろ!!」のそれを彷彿とさせて「ESG」感が出ている。

歌詞の古典的表現の巧みさもまたその印象を決定づけるもので、こういうのも小林愛節のひとつである。十八番という感じ。
ゆるめるモ!ってのはロック然りなパワータイプのボーカリストがおらず、声に優しさが溢れまくっている人たちの集まりなので、こういうワードを隙間なく敷き詰められても質の良い化粧水のように刺激なくすっと染み込んでくるのです。化粧水使わないけど。

あと「生きろ!!」×「スキヤキ」感っていうのはなんかこう、バトルレックスとあくまのきしを配合してコアトルを生んだあの頃のような感覚がある。テリーのワンダーランドは名作ですよね。わかる。(わからない) この例えのくだりいらなかったね。

それはそうと、冒頭に書いたイメージしていたアルバムが「ESG的なもの」だったこともあり、なかなか嬉しい曲だった。ゆるめるモ!には珍しく、''過去やったことある感じの曲''でもある。
とても好きなのだけど、いかんせんミニマルゆえにシンプルな曲で、イントロは短くアウトロはなく極端な転調などもしないのでアルバムの中では流れていってしまう感覚が強い。このアルバム、1枚を通してテンポ感とかがあまり変わらず、構成上の印象的なフックがないのだ。ちょっともったいないポジションに収まってしまった感が否めない。

例えば「うんめー」とこの曲の間に「メルヘン」みたいな曲を挟んでリズムのストリームを一旦止めてみるとか、そういったアクセントがほしかった。スローダンスなんかもいいと思うのだがそういうのは最後の「永遠のmy boy」まで登場しない。
アルバム通して聴くとあまりにも流れていってしまうので1曲リピートをしまくっているけど全く飽きないなこれ。


5.デテコイ!
作詞・作曲・編曲:ハヤシヒロユキ
ポリハヤシ提供第3弾。これまたファニーな曲で、いくつかあるゆるめるモ!らしさの中でも新しめなほうの''らしさ''を全開にさせている。
結構トラックがハードなのがその要因だが、そこはやはりグループのカラーを作ってきたメインライターがいる中でハヤシが自身の領分をしっかり理解して製作しているがゆえだろう。

つまるところどういう曲かというと、「不意打て!!」ばりにフロアが(愉快な意味で)地獄になりそうなエレクトロパンクナンバーなわけです。アイドル的な(というかアニメキャラ的な)可愛さもふんだんに盛り込んでいるのがあざとい。ぎゅ~。
ちなみに「不意打て!!」のあの凄まじく軽い打ち込みでトランス感出すのとは違って、近年のパンク色のある感じを絶妙なバランスで織り込んでいる。ライブでも良いアクセントになりそうな曲。跳ぶしか!

そしてこの曲、けちょんの歌が覚醒しまくっている。その点だけに着目しても「おっ!」となるレベルのやつ。
「KAWAIIハードコア銀河」や「WE ARE A ROCK FESTIVAL」諸作のパンクロック色が強い曲の中でにわかに萌芽した才覚を、ハヤシが見事に開花させている。なんせあの人、O-EASTのワンマン見てけちょの歌声を絶賛していた。伸ばすべきとこ・芽が出てるとこをしっかり見つけて的確に栄養を与える''眼''こそがゆるめるモ!にとってハヤシに楽曲提供してもらう最大のメリットなのかもしれない。
ちなみにサビを繰り返してフェードアウトしてく感じはとっても珍しい。そもそもバンド寄りのライブアイドルの曲でフェードアウトがまず珍しい。なかなか新鮮です。


6.ミュージック 3、4分で終わっちまうよね
作詞:小林愛 作曲:田家大知・M87 編曲:M87
このアルバムでぶっちぎりで一番やばい曲。
「Only You」のようなフィードバックから意表を突いて幕を開けるのはブチ上がり系お祭ソング。活きの良いアッパーなロックナンバー……かと思いきや、歌い出すとなんとAメロがひたすら罵倒。しかもかなり辛辣。凄まじく生々しい。

「なにまできない腰抜け野郎」「幸薄い影薄い」「メソメソそんなよクズ野郎」「見てるだけでストレス溜まる」「なんでアイドルやってんだ?」「口先だけの腰抜け野郎」「いてもいなくてもどうでもいいわ」「ぶつぶつ言うなよクズ野郎」「幸せになれるわけないよ」……いやもう想像するだけで便所飯不可避なワードリンチのオンパレードである。便所飯やったことないけど。
その上お祭みたいなコーラスで楽しげに囃し立てる。おいなんだ貶されすぎてとうとう気が触れたか、と言いたくなるレベルである。

このザクザク抉る罵倒フレーズの数々は、なんとメンバーが実際に言われてきたことを言われた人自身が歌うという史上類を見ない自虐ディレクションによるものだという。いくらなんでも攻めすぎである。心身共に激しく健康なときじゃないとこんな芸当はできない。つまるところおそらくこの曲作ったときのメンバーのコンディションは軒並み最高であったと思われる。

何気なく言われてつきまくった消えない傷もいま立ってる場所の土台になっている、というのは割と人間全般そうなのだが、いくらなんでもオープンにしすぎなレベルだ。すげえ。一昔前に流行ったスケルトンタイプよりも色々見えてる。

それでも、それでも!なにかできる気がしてしまう、と言う。なにかしたい、寄り添いたいと強く歌い上げる。ある時期からメンバーが口にしはじめた「ずっと逃げ続けてきたけど、ちゃんと逃げていいんだよって言ってあげられる存在になる」という意志表示ゆえにここまでのことができるのだろう。傷口を風に晒し岩塩でできたナイフでメッタ刺しにしながらも暗がりから抜け出す先陣を率先して切る切り込み隊長的な楽曲である。それにここまで実例出されたら説得力も生まれるというものだ。歌い手のバックボーンがぼやけた応援歌なんかより何倍も響いてくる。

そしてさらに尖ってるのが、音楽と音楽の力にこだわってきたグループでありながら「音楽は気休めなんだ」と言い切ってしまう点。おそらく音楽やったり聴いたりする人間のなかで何割かは気付いてしまうことだと思うのだが、全面的に歌にしているのは見たことがない。
THE YELLOW MONKEYが「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」という曲の中で「僕が冒されたロックンロールに希望なんてないよ あるのは気休めみたいな興奮だけ それだけさ」と歌う一節がある。それを思い出したくらいだ。

現実的な無力さを自覚し、達観と諦観を一晩寝かせて熟成させ、それでも!と届けようとするエネルギーはハンパじゃない。
しかもゆるめるモ!が「触れようとする」のは「心」じゃなくて「心臓」だ。抽象的なアグレッシブさを脱ぎ捨ててダイレクトに存在をねじ込もうとする捨て身の乱打。ドラクエでいうと「すてみ」は守備力をゼロにして強烈な一撃を喰らわす技だが、これを3:58(まさに3、4分)の間打ち込み続けている。
ネガティブなところからポジティブなところに行くときって凄まじいエネルギーが必要なのだが、それが一番強いときの熱量を生々しくパッケージした曲になっている。
「歌で世界は変わらないなんて そろそろ言ってる場合じゃない!!!!」んだって。それが彼女らを突き動かすすべてだ。

※ちなみに「アイドルに罵倒されるのたまらん」という需要もあるそうです。


7.震えて甦れ(Remastered)
作詞:小林愛 作曲:田家大知・ハシダカズマ 編曲:ハシダカズマ
ぶっちゃけなんでミニアルバムにシングル曲入るねん、と思っていたが、流れで聴いてみるとこの曲の存在感がガラリと変わることに気付かされる。
前曲から間髪入れずにはじまる音のつながりもさることながら、反逆をテーマにした歌詞が「ミュージック 3、4分で終わっちまうよね」の続編的にも思えるのだ。なんというか「ミュージック~」に''エピソード・ゼロ感''を覚える。あるいは''意志''の部分にクローズアップしたかのような曲になっているのである。元々続きものとして「ミュージック~」が先にあったんじゃないかというくらい流れがハマっている。
このアルバムのために作られたような気さえしてくる。前半ここまでカラーの違うものをやっていながらそう思わせてくるあたり、「参りました」というほかない。この曲は間違いなくこのアルバムの1曲として再評価されるべきだ。

既発だが念のため紹介しておくと、ヘヴィーでダークな世界観にフィードバックノイズこと上野翔が全編にわたり炸裂している奇天烈なロックナンバー。やたらめったら転調するわ変拍子バッキバキだわで聴き慣れてないと本当にうなぎみたいな曲だが、祭囃子のようなサビのリズムなど意外にも踊れる要素は多分にある。サウンド面での「ディスコサイケデリカ」を体現しているような楽曲だ。


8.永遠ぎmy boy
作詞・作曲:Sundayカミデ 編曲:告井孝通
本作で唯一、完全に新規の制作陣による楽曲。シューゲイズ風味のロックバラードで、ゆるめるモ!には極めて珍しいラブソングである。Aメロが本当に最初の1回しか登場しないという少し変わった構成をしている。
外に向いていろいろなんやかんや歌ってきたなかで、やはり異彩を放つスローダンスのこの1曲。「NNN」のような感じではないのだが、どこか静謐な雰囲気を湛えている。なにより歌にフォーカスを絞っているような仕上がりになっている。
内気な自分をちょっとでも変えたくて夜寝る前にするほんのちょっとの決意を、静かな喧騒の中でじっくりと歌い上げるのだ。

なによりこの曲のキモになるフレーズは、サビの頭で印象的に響く「バカヤローさ」である。
自己を叱咤する自虐フレーズは数あれど、およそ''女の子が言うものではないと思われている''言葉であり(ともすればとても現実的だ)、そういった言葉の中でもひときわ鋭いものをセレクトしたといえる。飾りのないこの選定は先の「ミュージック 3、4分で終わっちまうよね」を作り上げたゆるめるモ!にお誂え向きではないか。一人の人間の素直で純度の高い内なる闘いが、この1フレーズだけで見事に表されている。
サビ前にブレイクが入るのもこの一節を最大限に活かすためのものだと思われる。「バ」という音素の強さも加味されているだろう。

ちなみに、この曲案外あっさり終わってしまう。ここからは曲ではなく構成の話になるのだが、アルバムの締めにしてはちょっとあっさりしている。なにかシメのトラックや長めのアウトロがあってもよかったのではないか。それこそ「melted」の外国人の会話をまた最後にやって、アルバムの内容がアメリカの家族だかカップルが観てるテレビの中のことだった、みたいな雰囲気の演出があってもよかったのではないか、という気がする。ちょっと余韻が物足りなかった感はある。

ギブソン社が選ぶドラマー第8位にジョシュ・フリーズという人がいる。かのガンズ・アンド・ローゼズやアヴリル・ラヴィーン、ゆるめるモ!周りでわかりやすいとこだとDEVOでも叩いていた人である。日本ではB'zのシングルに参加したり、吉井和哉のレコーディングやライブに何度か顔を見せている。
「melted」の冒頭でそんな彼のソロアルバムのラストナンバーを思い出したのだ。
妙ちくりんなパンクナンバーをやり切ったあと、突然電話で話す女性の声が聴こえる。しばらくすると打ち込みのリズムトラックが流れ出し、その電話の声がスクラッチで何度もサンプリングされる。正直何がしたいのかよくわからないが、なんだものすごく印象的だった。それまでのアルバムの曲のことは何一つ覚えていないというのに、あの謎箇所のことはよく思い出すのだ。

ちなみに世界的な人気ドラマーであるにもかかわらず、自身のYouTubeには完全に意味のわからないサイケデリックな映像をいくつも投稿している。デキる男は違うというが、デキすぎる男はヤバいのかもしれない。

脱線したけどまぁ、「我が名とは」にしてもそういうSE的なものなどを上手く駆使すればアルバムの全体像にメリハリがついたのではないだろうか、と思うところがある。足りない部分を補う楽曲を追加制作してフルアルバムにしてもよかったのではないかとも思った。
まとめると、楽曲群は文句無しの満点どころかダブルスコア、構成上の詰めの甘さだけはどうしても見えてしまった、という感じ。

ただこれ、今までゆるめるモ!が出したCDの中で一番人に薦めたいCDなんです。
最初に書いたロック路線も含め、通ってきたすべての道を糧にしてこの作品を作り上げた今のゆるめるモ!には、かつてないほどの勢いを感じています。たぶん今までで今が一番いい。
昔は個々人バラバラなパフォーマンスだったけど、O-EASTのワンマンではメンバー全員でひとつの''ゆるめるモ!''という存在を構築していた。ここでやっと''グループになった''と言えるのかもしれない。足並みが揃い互いのことをよく見つめ共に同じ方向へ迷わず進みその道を行く自らを信じる、ということができるようになった今、その延長で生まれたこの作品には凄まじいプラスパワーと多幸感が詰まっている。
「これこそがゆるめるモ!」って大声で堂々と言えるような、そんなミニアルバムが最新作という今がとても嬉しい。

積んでます。

39 不毛と産毛(見えにくい)

新入社の自分と共に配属されてきた上司は37歳で初めての子供が生まれるのだという。大柄でガッシリした気の良いビジネスマン。

27歳。まだ先はあるな、と思えるのはいろいろな種類の人に出会ったから。
若いときほど人生に対して卑屈だった。今くらい前向きに、学生のころ生きられていたらどれほど人生は違っていただろう。そのぶんだけ人と違ったものを得られているかはわからないし、使いどころがない環境にいればずっと気付かない。

アイドルオタクをやることでなにか先があるのかということはそれなりの頻度で考える。推しが将来の彼女や嫁になることはないし(応援する上でのポリシーだし、それにそもそも彼女できたことないから無用の心配)、その場その場の楽しさでリフレッシュして活かされているのは確かだけど、刹那的ゆえの熱量に人は惹かれがちだということに気付くのは幸か不幸か。


5年前のアルバイト先で一目惚れした同期は今でいうと木村文乃似で、それから今に至るまでいろいろな女性に会ってはきたけど忘れられなかったのは彼女一人だった。

当時の自分は今より様々な点で終わってたし、勇気も度胸も忍耐力も粘り強さもなく、理系4年生で研究漬けだった彼女に脈がないとあっさり引き下がってしまった。卒業してからは学生時代よりも遥かに誘いに乗ってくれる雰囲気が出て驚いたのだけど、その時は自分も日々忙殺で流れてしまったのだった。

LINEでの会話も苦手で、いまひとつ気楽にやり取りができない。誰に対してもそうなのだけど、淡白だったりぎこちなかったりする。反応に不安を覚えるのは日常茶飯事。結局気の利いた返しが浮かばず返せなかったこともある。

久々にきっかけがあって彼女に連絡を取っている。当時のバイト仲間(後輩)から飲みの誘いが来て、呼びたい人を呼んでほしいと言われたので真っ先に声をかけた。
理系4年生からなぜか銀行員になってしまったという彼女は「残業ない日なんかないよ」「転職考えてる笑」という。

彼女に限らず、学生の頃明るかった友人達の多くが就職してから軒並み暗くなっていることがここ何年かの悲しいことのひとつ。理想と現実の乖離、ブラック企業、遍く理不尽、こんな日本はさっさと滅べよというくらいTwitterには溜息が溢れ、夢を煌びやかに語るのは夢追いフリーターくらい。

卒業してからフリーターへ、そして今は契約社員と来て幸い人にも恵まれている環境で、さしあたって辛いことのない自分に罪悪感を覚えてしまっている。そしていま前向きに生きられている自分がいま彼女になんと声をかけたらいいのかよくわからないでもいる。

何年も会ってないのに強く縁を求めたい唯一人の女性にとって、深いつながりはできずとも一瞬の気晴らし程度にはなりたい。という乙女心のようなものを抱きつつ、軽快に飛ばすLINEの胸のうちは車軸が外れたままなんとか線路に乗っているトロッコのようで、時折不快な金属音が聴こえるし火花も見える。

もし彼女がそう望めばドルヲタはやめるだろう。女友達と二人で飲むこともしなくなるだろう。そのくらいの思い入れがあるとはいえ、それが自分の人生なのかは神のみぞ知るところ。そうでなければいつかはキッパリと切れる瞬間が来なければならないんだし、曖昧で居続ける時間をいくら引き伸ばしても仕方がない。

とはいっても、不器用なのは彼女も同じだったりする。人付き合いに器用なほうではなかった。
なにかが凸凹なままの我々に落とし所はあるのだろうか。

でもなにかが変わるときはいつも一瞬。

38 物語は続かない

 「ルビー・グルーム」というカートゥーンアニメがある。ドラキュラやフランケン・シュタインなどの水木しげる作品に準拠して言えば西欧妖怪にあたるキャラクター達が登場する海外アニメで、ハロウィンモチーフをこよなく愛する身としてはやはりこういったものも大好物であると胸を張って言うことは二酸化炭素を排出する行為に伴って自然と行われるもので、ともすればあるときの無料放送で録画したのだった。
 予想に違わず世界観は全くもって大好物であったのだが、いかんせん内容が面白くなかった。「内容が微妙だった」以外の記憶がすべて抜け落ちるほどには薄味の退屈な脚本と演出であった。口に白い異物が残らないほどに薄められたカルピスを飲んだときのようなかぎりなくぬるい地獄がそこにある。牛乳で割っていたらどんなに美味しかったろう、と幼少の頃母に教わった''カロリーの純白魔女''たる追想と比較して余計に辛どくなってくるのであった。なんとまあ期待しがいのない… やむを得ず出張った腹の引込みに於ける怠惰っぷりに重ね重ね落胆をしてみせるのだった。

 2001年9月11日の夜分、自室の小さなブラウン管テレビで母と死闘を繰り広げてる自分がいた。目玉のついたゲル状のマスコットを、同色同士くっつけることで消し去り、それにより生まれる爽快感を楽しむと共に、質量保存の法則に従い偶然にも、そして不運にも相手のテリトリーに廃棄される透き通ったこれまたゲル状の生物を無数に積み立てることで爽快を求めんとする、そして相手の精神にのっぴきならないストレスを与えることをまた快感とする、そういった対戦遊戯である。無論劣勢に甘んじればストレスは自らを飲み込む洪水と化しこの身に焦燥を掻き立てる。己の安息のために相手を徹底的に叩き潰さなければならない。この戦いに互角の文字はなく、一方が活きれば他方は窮する。すなわちこの対戦落ちゲーは生きるか死ぬか、生き延びるか殺されるかの真剣勝負、否、生死を賭けた闘争なのだ。だというのにこいつら、ぷよぷよしやがって。ちなみに「通」である。
 あまりにも手を抜かれた命名を飄々と生きこなすカエルにプログラミングされた気の触れた戦術を我がものとし肉親を追い詰めるその最中、当時最新の「ニュース受信機能」を有していた母の携帯電話が聞いたことのない音声を発した。聞きなれぬ通知音は異変を感じさせるに充分であり、一番大きなテレビのあるリビングへと駆け出しわずか数歩先、リモコンにより光を得たテレビが最初に映し出したのが飛行機の映像、数秒後が惨劇であった。当時何を感じたのか、「思ったことを書け」などと漠然と宣う小学校の国語のテストに椎茸のそれに匹敵する過剰なまでのアレルギー反応を示していた自分にその記憶はあるはずもなく、その映像を観るに至る過程の景色だけが記憶に壁紙のように貼りついていた。

 17歳にもなるとインターネットの友達と東京で遊ぶなどという、分不相応な交流を楽しんでいた。否、当時のコミュニケーション能力の無さはといえば今では考えられないほどの無間地獄であり、声は小さく不潔、ただの気持ち悪い変なデブという印象しか与えられずにいた。ちなみに分不相応というのは、少なくとも当時の小遣いでは東京と地元を往復するだけで全財産が枯渇するような地域に居住、そして通学していたことがその理由である。
 立川駅のすぐ近くにある小さなラーメン屋の杏仁豆腐が美味しかったことはよく覚えている。その集まりに参加していた1人のオタク女子は、男子校通いを匠の域にまで磨き上げ、「女性とは架空の性別ではないか」と真剣に仮説を立てるまでに至った当時の自分から見れば紛うことなき美少女で、まぁ少なくともそこらのオタク女子よりはなんとも言えず可愛かった覚えがある。記憶の彼方のことなので、今の価値観で評価をすることは精神物理学的に困難を究める。爽やかにしたミルクのような白をイメージさせる少女であった。なお歳上である。
 同じコミュニティで知り合った福島の肉塊男子は彼女に恋心を寄せていたが、「私、レズだから」の一言にあえなく撃沈したという。かける言葉もなかったが、しかしありきたりな物語のようにフラれていたほうが慰めづらかったような気も今となってはするのである。

 将来とは何か。目先の遊楽に身を委ねることのみをただ善しとし、かといって聡明な友人の人生設計を莫迦にすることはせず、不器用なりの応援をし、ただおそらく影では阿呆だ愚者だと言われながらそれに気付かず、ありとあらゆる妥協の果てに詐欺まがいの偏差値稼ぎを行うみみっちぃ某大学の某学部に進学した。同級生であればこのレベルの大学しか通らなければ迷わず浪人を選んだであろう。2、3年に一度は東大現役合格を実現する進学校であったのだ。しかしあまりの己の怠惰を冷静に省みた結果、愚息目は浪人したとて、「人生経験」という無意義な有意義さに目が眩み遊び呆け失敗を繰り返すだろうと予測した。そして安易にモラトリアムに踏み込んだのである。
 高校時代の暗澹たる自己の水脈を清めんが如く、大学からは明るく振る舞おうと努めた。言うまでもなく途端に無理が生じ、ごく普通の大学生の輪の中で胃に穴を空け、逃げるように才気溢れる社会不適合者達の切磋琢磨の鍛錬場に雑用を求めて出入りした。ただ手近な憧れの近くに身を置き自らの無味乾燥をカムフラージュしたかったのであろう。しかしながら一寸の虫にも五分の魂、意地と忍耐により理不尽に(あるいは無知が招いた)襲い来る修羅場を辛くも超え、類まれなる処理能力を我がものとするに至った。
 失ったものも大きかった。いいように使い潰され、借金は残り、2年間空けた大学に友はおらず、既に忘れ去られた基礎知識を用いて行われる専門的講義による単位を100ほど狩らなければならなかった。
 当時想いを寄せていた''戦友''たる女性のただ一言の叱咤に清い冷水を浴びせられたかのように覚醒し、以後もう少し自分に優しく生きようと決めた。もしかすると、大学に入ってからの波乱の体験の数々は、ただその一言を信頼のおける友から頂くためだけに与えられた経験だったのかもしれない。

37 こないだのゆるめるモ!のSHOWROOMに関してなにがここまで納得いかないのかという話

びっくりするくらい文章がゴミみたいだ。情緒不安定です。まとまりがありません。大変お手数をおかけしますが、心の骨を抜いて軟体動物の気持ちで読み進めて頂きたいと思います。


先日のSHOWROOMは本当に不愉快でした。(上に貼ったやつです)
O-EAST、仙台ニューニューという素晴らしい一連のライブを観て推しモチベが完全に安定したと思った矢先、この放送での発言一つでそのモチベが三途の川の水の温度を測れる場所まで運ばれました。河原の石の模様だって模写できます。※この記事書き終えたあと力尽きて他界


28:30あたりからの発言なのですが、
「物足りなさを狙った」
とか
「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」
って言ってるあたりなんですけど。

そもそもアイドルのワンマンの意義について自分なりの考えを書きますね。てかたぶんメンバー的にはアイドルよりバンドみたいに見られたいとか思ってるかもしれないのでどっちにしろ「普段対バンライブをしてる人たちがやるワンマンの意義」について書きますね。


シンプルな話、

「ライブいいなあ。好きだなあ。5,6曲じゃ物足りないなあ…」
↓
「たっぷり観たいからワンマン行こう!」

だと思うんですよね。
その人達だけを観たくて行くんだから、徹底的にその人達の音楽を楽しみたくてワンマン行くってことですよね。


糞フリーターですが一応経営学科卒なので客商売の話をします。

経営学の超基本的な話で(さんすうで言うところの「1たす1は2」と同レベルの基本)、「顧客は商品を買うのではなく商品を買うことによって得られる満足を買っている」という定説があるんですね。

実際そうだと思います。
なにか食べたいとき、美味しそうだと思ったものを買います。
なにか読みたいとき、面白そうだと思ったものを買います。

ほんとそれだけの話なんですけど、ここで最初の話に戻りますね。

  • 「物足りなさを狙った」
  • 「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」

「物足りなく感じてもらう」ことを目的としたと。ほう。


過去のワンマンライブはだいたい前売券で4,000円~4,500円ほど。今回も4,500円。
セットリストに関しては、2016年7月の新木場公演までのワンマンは1公演25曲超えが当たり前のボリュームあるライブが特徴でした。
多彩かつクオリティの高い楽曲を多数聴けることがゆるめるモ!のワンマンの醍醐味のひとつだったと思います。


4人になってからのセットリストはメンバーが考えているそうです。
昨年のリキッドルームでは22曲ほどと若干減り、先日の東名阪ツアーではなんとアンコール含めて15曲という、一番多いときの半分ほどの曲数しか演奏されませんでした。物足りなかったという声も多く聞かれたものの、ライブ自体のクオリティは高かったと思います。
一番上に載せた先日のSHOWROOM放送ではそのセットリストについての解説のくだりがあり、その中で今回の発言があったわけです。


ゆるめるモ!だけを観て満足しようと思い5,000円近いチケットを買って来たお客さんを満足させないことを目的としたライブだったんだ。と。
そう解釈してしまうことは意地悪でしょうか?自分は聞いていて自然とこう捉えました。


「伝えたいことを絞った結果スマートなメニューになった」とかってのは言いたいことはわかるんですよ。ただもうこの発言なんですよね。「物足りなさを感じてもらう」っていう。

曲数の少ない対バンライブを観て「もっと観たい聴きたい」というファンのために行われるのがワンマンなのではないのでしょうか?
ライブだけじゃ物足りないって感じさせたいって、じゃあとなにがあるんですかね?
オフ会イベントの集客に力入れるための計らいなのでしょうか。最近ただでさえライブが少なく、オフ会イベントなんかもっと少ないですが。
あるいは普段のイベントの動員に力入れたいんでしょうか?そっちのほうが曲数少ないのに?そんなこなぁないわな。


「ワンマンライブに行く」っていうのはファン活動の最高到達点だと思うんですよ。
好きなメンバーと会って話してチェキ撮って、ゆるめるモ!だけのライブをたっぷり楽しみに行くわけじゃないですか。それ以上のことってないじゃないですか。だから1,000人以上も集まるんじゃないですか。
ゆるめるモ!で身も心もいっぱいに満たしたいから行くんじゃないですか。ワンマンライブに。


そこで満足させる気がないと公言してしまうなら、そもそもファンを満足させる気がないってことなんですよ。


無銭ならいいんですよ。物足りなかったなあ、お金払ってもっと観れるなら観たい!って思わせたらそれは大成功だと思います。てか無銭でやることですよね?これ。
今回のツアー、前売4,500円/当日5,000円の有料ライブなんですよ。今までならこの額でめいっぱい楽しめたんです。あれもこれもって様々な楽曲をやりながら、ただ雑多なだけではない大きな芯の通った素晴らしいライブを魅せてくれていたんです。


「物足りなさを感じさせて他のイベントにも来てほしい」とか言うなら高い金払わせてワンマンなんかやるんじゃねえよ、って言いたいんです。
社会人なんかはいいとしても、中高生くらいのファンも少なくないと思います。中高生にとって5,000円って重いですよ。例えば自分の場合は高校のころバイトできなかったのでお小遣い制でしたが、当時の自分にとって5,000円というのは2ヶ月分の給料に相当します。



なんのためのワンマンなんですかね。
普段の対バンライブで興味持ってもらって、ワンマンでたっぷり聴かせてこそ真髄が伝わるってもんだと思うんですが違うんでしょうか。
ワンマンのその先で見せたいものってなんなんでしょうか。自分たちだけのフィールドで不完全燃焼させておいてまで見せたいものって、なんなんでしょう。なんかあるんですかね。わかんないです。



ゆるめるモ!はいっつも良いライブ魅せてくれるから、安くないお金払ってでも観に行ってたんですけどね。なんだかお金払って観ることに抵抗感じてきてしまいました。満足させる気ないなんて言われてしまったらね。


なにも言わないでくれれば勝手に捉えて勝手に楽しめてたのに。好きだからなんでも前向きに捉えて悪いところは運営のせいにしていくらでも楽しんでいられたのに。

なにが悪いってこれがメンバーの意志だというのが明確なことなんです。
メンバーの意志であることがわからなければ運営叩けば済む話なんですよ。
オタクは推しが好きだから推しのことは叩きたくないんですよ。なにも知らなきゃ運営がやってるって普通は思うから運営が捌け口になるじゃないですか。そういう役割を担って下さってるところがあるじゃないですか運営の方々って。

でも今回はメンバーの意志でやってることで、その意図もメンバーの口から説明されたんですよ。
推しを叩きたいオタクなんかいないんですよ。好きな人を批判したい人なんかいないんですよ。別にガチ恋とかじゃないけどさ、それをしてることが本当につらいんですよ。地獄みたい。


自分も発言には気をつけようと思いました。