47 夏の日のオマージュ③

文鳥を飼ってからろくなことがない。

狛江の1DKに暮らしている。サラリーマン。童貞。文鳥は寂しいから飼ってみた。

文鳥ってやつは、インコやオウムレベルではないものの、稀に言葉を覚えてしゃべることがあるらしい。という前知識はあったので、期待はせずに紀元前の戦争の名前とかを仕込もうとしたのだが、案の定この文鳥がしゃべることはなかった。
あ、俺はこいつに嫌われてるし俺もこいつにfxxkサインを日常的にかましているので名前はない。シトロンという名前があったがもうこいつは「文鳥」。文鳥という名前の文鳥でいい。そういうことになった。以後よろしく。

ある金曜日、帰っても問題ないような仕事のために意味のわからない残業を空気に流されてしてしまい、自宅に着いたのは21時を過ぎていた。空気に流されてするのがまぐわいだったらいいのにな。よっこらセックス。文鳥にエサやってトイレ掃除して、疲れで判断力を失った頭で買ったAVを観はじめた。素人の女の子が同じく素人の童貞を卒業させてあげようというまぁマジックミラー号。顔と名前を知ってる女優が素人ヅラして出てるけどたまに本当の素人も紛れてるらしい。なんとなく夢がある。どちらにしても。

AVを観るときにヘッドフォンやらはしない。なんとなく臨場感が損なわれる気がする。コンサートDVDとかもそうする。ヘッドフォンだイヤフォンだってのは左右から音を入れて脳内で立体を構築するものだから、空間を伴う「映像」の鑑賞にそのツールを使うのはなにか違う気がした。

本当は大音量で観たいところだが、もちろん夜だし安いアパート住まいだから隣人もいる。配慮して音量はかなり抑え、テレビにできるだけ近付いて楽しむことにしている。
日中だって気を遣う。世間はいま夏休み真っ只中らしく、家の近くの公園には朝っぱらから小学生がよく遊びに来ている。健全な青少年育成のため判断を迷ったが、PTAとテレビで聞く程度の世論が怖くなりやはり夜間と同じ方法での鑑賞を選んだ。
いずれにしても、傍から見たら実に気持ち悪い。変質者が部屋に潜んでいたらどうしよう。潜んでいることよりもこの醜態を見られていることのほうが耐えられないかもしれない。恥ずかしい。
ただ事実は小説より奇なりとはよく言ったもので、この状況で俺に耐えられない思いをさせたのは架空の変質者ではなく、あろうことか飼っている文鳥だった。

「あっ…あっ…」
妙に低い気持ち悪い声が背後から聴こえてきた。ホモの変質者でも侵入したかと思い、戦慄して背後を見ると、どう見ても文鳥が発声しているようだった。
AVの中で小太りの情けない面構えの絵に描いたような童貞があげるミュートしてほしさならグラミー賞3年連続受賞レベルの気色悪い喘ぎ声を、この文鳥は真似しだしたのだ。トロイア戦争も覚えられなかったくせに童貞の喘ぎ声のモノマネはテレビ局に売り飛ばしたいくらい上手かった。この瞬間、俺は永遠の不愉快を手に入れた。

なによりの問題は、文鳥の鳴き声がやや大きいことだった。程よく人の声に聞こえるようなボリュームだった。焼きたい。
四六時中あの情けない声を出し続けるものだから、ついに隣人からお手紙が来た。ドアの隙間から差し込まれた手紙には「お盛んですね」とだけ書かれていた。殺してやろうかと思った。

隣の奥さんがAVの音漏れに苦情を言いに来て発情……みたいなAVがあるが(童貞の夢のひとつである)、生憎当の隣人は俺と同じしがないサラリーマンの野郎だった。部屋の壁が薄いからなんとなく生活ぶりは垣間見える。どうやらインコを2羽飼っているらしかった。「モルディブ」と言うインコと、「ヤッタ!」と言うインコがいる。言葉のセレクトに対する疑問は知ったところで脳が快楽を得られる気配もないので特に気にしなかった。

彼は背は低いがミスチル桜井みたいな優男で、腹立たしいことに結構モテるらしい。週に2、3回は女が来るが、喘ぎ声の声色が3種類くらいあることを俺は知っていた。そのくせたまにデリヘルも呼んでいるらしい。殺すぞ。

「お盛んですね」紙はなんともこう、自尊心を逆立てる腹立たしさがあるものだった。動物嫌いをオーラで感じ取る猫の気持ちがなんとなくわかった。
このフラストレーションを引きずったまま(もちろん文鳥の喘ぎ声問題も解決しないまま)、糞みたいな気分で数日を過ごしたが、隣人宅からロマンポルノが聴こえたタイミングで頭の中のなにかが切れてしまった俺はおもむろに手帳の白紙のページをちぎり、インクの切れそうなボールペンを走らせた。

「マリちゃんとはどうなりましたか?」という紙切れが発端となったらしく、隣人宅からは大喧嘩の声が聞こえてきた。大喧嘩というよりは彼の下で「ミズキ」と呼ばれていた女が立て続けに金切り声を上げているだけなのだが。ああこれはまるで非常階段のJUNKOのようだ。糞うるさいがまぁ愉快である。その夜は安眠にさして貢献してくれなかった耳栓を数ヶ月ぶりに使い、心地よい眠りに就いた。

ちなみに「マリちゃん」とは彼がよく電話で口説いている女の名だ。部屋に来たことはない。彼はずいぶん入れ込んでいるようだが、手応えは全然ないらしい。
あの紙を書いているとき不思議な優しさに溢れていた俺は「マナミちゃんにしゃぶられてるときのほうが気持ちよさそうですね」とは書かないであげたのだけど、そっちにしてたらどうなってたかな。ふふっ。
彼はこちらの部屋と接した壁にもたれかかって電話をするし、ベッドもこの壁に隣接しているようだったのでわりとそのあたりの事情は筒抜けだった。地声のでかさが災いしたな。俺は金を貯めて早いとこ引っ越そう。さすがに壁薄すぎるだろ。

瞬く間に隣人との仲は険悪になり、復讐は何も生まないという漫画やアニメでよく語られる教訓を身をもって知ることとなった。ちょっと物音を立てるだけですぐ壁ドンしてくる。怖い。童貞だから物理が関わる喧嘩は苦手だ。2ちゃんねるでの喧嘩しか受けたくない。ちなみに勝てるとは言ってない。ぬるぽ

相変わらず文鳥は気持ち悪い喘ぎ声を真似し続けていた。新しい言葉を教えて塗り替えようと試みたが、こちらが何かを話すと露骨に無視してくる。鳥なりに強い''意志''が感じられた。ジョジョに出てきそうな鳥だなこいつ。うぜぇ。
あとはもうそれっぽい団体に何かにつけて虐待だと口うるさく言われそうな方法しか思いつかなかったので諦めた。というか「こんな卑猥な鳴き声にしてしまって!」と現状を虐待と捉えられかねない。この頃からAVを観るときは虚ろな目でヘッドフォンをしながら観るようになり、しばらくするとヘッドフォンをしながら日常生活を送るようになった。数日後、田舎の母親から電話がかかってきて「クール便で送った食べ物が宛名人不在で腐って帰ってきた」と怒鳴られた。なんにも言えねぇ。ごめんな。

AVを観ている間はエアコンをつけないようにしている。生々しい臭さがなんとも言えず興奮を掻き立てる気がした。あー気持ち悪い、俺。
でもなんだか今日は妙だ。暑すぎて意識が飛びそうになる。一通り落ち着いてヘッドフォンを外すと、妙に静かな部屋に横たわっていた。
午前11時。まだ夏休みだというのに、セミも鳴かない。あたりはやけに静まりかえっていた。

46 夏の日のオマージュ②

二足歩行のワニに声をかけられたが彼は無視した。

彼は焦り歩を進めていた。コンビニや酒屋に寄ることはできたが、実のところあまりにも人も車も通らないド田舎で、一向にタクシーを捕まえられない。歩いてないでさっさとタクシー拾おうと思い立ったのは7時間前にたまたまタクシーとすれ違った時で(そのときは乗客がいた)、しかしそれ以来自転車の1台ともすれ違わない。奇妙なうえに困った話だ。

頼まれている曲の納期が迫っていた。先日送ったデモがほぼそのまま通ったので、彼の作業スケジュール的にはこの三日の間にリズム録りを済ませて、旧知の仲であるスタジオミュージシャンの豊臣にギターとベースを入れてもらい、仕事が遅いことに定評のある作詞家の板挟氏からのレスポンスを悠々と待つつもりであった。
幸い会社はまだお盆休みだったため勤怠への影響はなかったが、休み明けまで残すところ二日である。これがまた彼の焦りを助長した。

手元には財布しかない。クレジットカードと毛ほどの現金、あとは人気アイドルと自分が写ったポラロイド写真が入っているだけ。スマホはおろか糸電話レベルの通信環境すら持ち合わせておらず、テレパシーを試みる暇を惜しんでさっさと帰らなければならなかった。

脚が棒のようになるほどの徒歩の旅。混凝土の砂漠を延々と歩き続ける。幸い案内標識により自宅方面の方角は確認できた。歩いていればいつかは見慣れた道に出る。あるだけマシレベルの希望だがやはりあるに越したことはない。
孤独と疲労に打ちのめされそうになると、彼は財布の中のポラロイドを取り出し、自分の隣に写ったどこか消費税が高そうな西の国を思わせる顔つきの少女の笑顔を眺めては己を奮い立たせ、再び知らない道路をただただ歩いた。

俗にチェキと呼ばれるこの小さなポラロイドは、決して関係者の特権を利用して撮ったものではない。1年ほど前になるが、今なおブレイク中の人気アイドルグループ「メンチ!!ソース!!マヨネーズ!!そして限界突破!!!! Another Faces」の2ndシングル「錬金術は庭でやれってあなた昨日も言われてたよね?」全7種を買い揃え、なおかつ抽選で当たったファンだけが参加できるという貴重な撮影会に赴き撮ったものだ。さらに言えば彼は関係者でもなんでもないし、ついでに言うと推しメンに会えることに緊張して関係者に名刺を渡すことすらも忘れていた。なお推しメンの午後乃緑茶はガチのベジタリアンであり、食の方向性の違いを理由に半年前にグループを卒業している。

いつか彼女のオリジナル曲を書くことが夢だった。今後はもうアイドル活動はしないと言いながらも新たにツイッターのアカウントを開設してくれたことで、完全受け身ではあるが近況を知ることができている。すぐに消されたツイートだが(通知から確認ができた)、彼女がグループを卒業した少しあとに各メンバーのソロ楽曲が発表されたことをすこし気にしているような内容だった。なにより彼は彼女の歌声が好きだったので、いつかなんとかしてみたいと願いながら日々の仕事に打ち込んでいる次第である。

しかしながらこの現状はやばい。インターネットの回線を通さなければ作曲関係の仕事のやりとりが一切できない都合上、一刻も早く帰らないと夢どころか今後の仕事がなくなってしまう可能性すらある。昼間の直射日光で溶けた左脚が夜になっていびつに固められ、なんとか治してみようとはしたが結果として両脚とも右脚になってしまった。歩きづらいし、慣れない構築の人体で生きるのはかなり体力を使う。

なぜタクシーの一台も通らないのか……結論から言えば、この地域を主な拠点として走るタクシー会社のドライバーの7割が溶けてしまったことと、市から外出禁止命令が下されていることがその理由だった。たまたま拾った新聞に目を通してこのことを知った彼は、「そのうちすれ違うであろうタクシーを拾う」という目的を諦めざるを得なくなった。
先刻すれ違ったタクシーは品川ナンバーだったのだろう。品川ナンバーの車は特権階級の所有物だ。あのタクシーの運賃も相場の数倍はするはずだし、乗客も一流のセレブに違いない。車輌も一流で、数万℃のマグマの中にあっても傷一つつかず、乗った者は涼しい顔で昼寝をしていられるという。

数kmに一軒ペースで立ち寄れるコンビニの店員達は、聞けば皆ここ数日は夜間の通勤を余儀なくされているという。日中は太陽光が危険だが、夜になれば日は翳るので日中働く店員は暗いうちに店に来て睡眠を取り、そのまま仕事に臨むのだという。
コンビニ店員が夜行性にされてしまった世界で、果たして無事に家に帰ったところで仕事のパートナー達がまともに生きているかすら怪しくなってきた。そしていくらなんでも両脚が右脚になったままなのはそろそろつらい。救急車でも呼べないものかと思ったが、コンビニでかけさせてもらった119番は何度かけても「回線が混みあっています」の一点張り。土曜朝10時のイープラスのようでだんだん腹が立ってきたので、諦めた彼はソフトクリームを買い店をあとにした。
なお、このソフトクリームは2口なめたところで蒸発してしまう。時間にしてわずか6秒。彼の苛立ちは臨界点を迎えようとしていた。

干からびたコーンを道端に投げ捨て、少し先に目をやると、二足歩行の大型爬虫類がこちらをじっとりと眺めていた。なぜか警官のような服を着たワニがやる気なくそこに立っていた。先刻、無視したワニだった。

45 夏の日のオマージュ

全国的真夏のサクセスに例外なく今年も乗り遅れること27年、元アイドルにガチ恋をしながらもアイドルとオタクの距離感を保ち続けてしまう煮えきらない午前3時のレム睡眠時に見た夢のことはあんまり覚えていない。

男は作曲家であった。しかしながら会社勤めもしているフリーの貧乏人であった。最近作った「めっちゃ明るいデジタルロックなのに歌詞が超卑屈」な歌には「君を失う未来ばかり夢に出てきて 寝れてないからジークムントもカールも口を出すなよ」という矛盾スレスレの一節が登場するが、彼はこれをとても気に入っている。ドイツ語で書かれた歌詞を渡されエキサイト翻訳を駆使して訳したのは彼だが、元の詞を手掛けたのはスロバキアの漁師だという。なんだそのツテは。

彼がいつものようにチェンバロの音色を設定したキーボードで左手でルート・右手で不協和音を奏でながら結局なにも生み出さずに終わるという己の実感としては無益に感じる遊びに興じていると、不意にサクラの花びらの塩漬けを食べたくなった。

季節は夏、桜は葉桜。死語と化したようで実態としては存在する冷房病にまんまと打ちのめされている自分が夏にサクセスできない理由がなんとなくわかった気がした。そのためシャンプーを選ぶ際にも「サクセス」をセレクトすることはなんとなく躊躇われた。もっぱら「ウルオス」あたりで間に合わせている。

「かしわもちくらいは売っているのではないか」
季節問わず、年寄りが溢れかえるこの田舎のコンビニには昔懐かしの駄菓子や和菓子が多数取り揃えられている。今の小学生が知らない甘味だってこっそり売っている。そんなことを思い出し、せめてかしわもちだけはキメてやろうと重い腰を上げた。「食べたい気分」を「食べたい時に満たす」ことは、紳士としての信念を貫くことに通ずるものがある。負けられない戦いがそこにはあるのだ。

そう思いコンビニに出かけるも、実に3週間ぶりの灼熱の太陽が照りつけてくる。8月の頭から関東地方は未曾有のレイニーデイズに見舞われていた。これでは梅雨の顔が立たない。8月は責任を取って腹を切れ。これによりメラトニンもセロトニンも完全に欠乏した肉体に、いきなりの38℃のありえない太陽は刺激が強すぎた。まさにイケナイ太陽だしこちとらイケテナイ太陽である。なおどちらもオレンジレンジがリリースしたタイトルだ。

太陽光線により肉体は溶け骨は乾燥し徒歩30秒のコンビニに着くこともままならない。あの娘が好きなチョコミントアイスさえ食べれば自分だって人の形を取り戻すことができるというのに、あるかどうかもわからないかしわもちも、この夏も圧倒的にサクセスをキメまくっているチョコミントアイスも、どちらもコンビニに辿り着かなければ得ることができないという地獄的状況に至ってしまった。
バーベキューが出来そうなほど熱された排水口の網と呼ぶには異様にゴツいけど名前がなんか思い出せないから便宜的に金網と呼ぶことにする金網に、ドロドロに溶けた皮と骨が流れだす。その何割かは金網の熱により蒸発し、また何割かは焼けて固形になった。

そういえば家を出たときからなにか香ばしい匂いがすると思ったらこの匂いだ。3週間ぶりの太陽が人間を焼き殺した匂いだ。これは倫理的には「臭い」と書かなければならないだろうに、なんとなく香ばしく感じてしまった自分がいる。なんということだ。頭が朦朧とする。
しかし人間は往々にして肉食なのだから、焼いたってその肉が美味いはずはない。ジョジョ第5部のエピローグでミスタが立てた仮説はなかなか信憑性がある。肉を食うなら草食動物に限るという話。

肉屋の息子として生まれ、昔日本に来た学者が飛脚の体力に驚き肉食をさせたらもっとヤバいことになるんじゃないかと思って食べさせたらめっちゃ疲れやすくなり「元の食事に戻して…」と死んだ眼で言われて元のおにぎりとたくあんだけの食事に戻したらあっという間に回復した、という蘊蓄を立場上話せずにいる上に体力をつけると言ってやっぱり肉を食べてしまう自分の肉なんか絶対に不味い。でもあの娘はチョコミントアイスが好きだからたぶん美味い。きっとミントの香りがするしほろ苦い想いを心に残してくれる。惚れた女でカニバリズムなんてそんなグロテスクな趣味はあるはずないが、でも肉の美味さの仮定ですら自分とあの娘では釣り合わないんだなぁ、と妙に卑屈になってしまう。

外を歩いている人間は見受けられなかった。たまに通るトラックが、並び立つ住宅をにわかに揺らしていた。


この町には川が流れている。いくつかの町を跨いで流れるこの川の名前には彼が住む町の名がつけられており、幼い頃からなんとなく勝った気分でよくその川を眺めていた。
市政的には海沿いの街だが、ここら一帯は海から遠く、また山に囲まれており、この町にはその山々を水源とする川の周りに発展した歴史がある。
川沿いのガソリンスタンドはかつて「アヒルのガソリンスタンド」と呼ばれ、その名の通りアヒルを飼っていた。母は「ワニもいる」と言っていたが、幼少の当時車の外にもアヒルにもあまり興味がなかったため、真偽の程を確かめるには至っていない。ワニ、見たかったかもしれない。今にして思う。

川に流されながら思うのは支払いのことだ。
最近仕事が変わり、給料の振込口座に元々使っていた金融機関が今の勤め先では対象外ということで、諸々の引き落としの口座を変更しなければならなかった。しかし手続きが間に合っておらず、今は給料が出たらわざわざ口座を移し替えるという七面倒なことをしている。そして今月はまだそれができていないのだ。できていないのに溶けてしまった。意識だけが川に流されている。支払いが滞ると、少しばかり手数料を取られる。輪をかけて憂鬱な気持ちになった。

川の先を追ったことはない。たぶん最寄り駅の近くまで行くのだが、おそらくどこかで曲がる気がする。川について意識したことはないものの、なんとなく地理はわかるのである程度の道程の予測はできた。しかし行く末に関してはまったくの未知である。まあ海だろうけども。

人の形を取り戻したのは三日後のことだった。大いなる……というほどでもない川の力により水分を得た彼は、なんとか肉体の再構築に成功した。顔のパーツ配置が上手くいかなかったようで、水面に写る顔は以前と比べると妙に魚っぽさがあった。具体的にはサクラダイのようであった。

「支払いもそうだけど猫の餌買って帰らないと」
意識とともに流れてきた財布を片手にコンビニ店員に終始平謝りしながら衣服と猫の餌を買い、知らない街の海沿いから自宅を目指して歩き始めた。相変わらずの太陽熱によりまた左脚が溶けてきたが、川にいくらばかりかあったゴミや廃液により化学的な抗体を得た今ならとりあえず家に帰るまでは大丈夫だろうと踏んだ。
なんとなくテレビで見たことのある昭和の面影を残す古臭い酒屋になぜか売っていた麦わら帽子を手に取り、彼は自宅へと歩き出した。


つづく

44 帰宅困難者となった帰宅部の逆転優勝の決め手はなんだったのか

そんな意味のわからないことを書こうと思って書きはじめたわけではないから当然そんな話はしない。(さよなら概念)


好きなものを好きでいることに疲れてしまった


人のことだとね。アイドルオタクやってても色恋ごとにしても好きになりすぎて上手くいかないのが常です。でもそのくらい好きになれないと「好き」とはいえないというハードルが自分の中にあるのです。「好き」の基準値高すぎないか。でもそれに応えてくれるほど好きになれる人もいるしものもある。お互いに呼応できたら最高ですがそんなものが人生の中で手に入る人はごくわずかでしょう。妥協なく求め続けるのか、手を打つラインを弁えるのか。一度きりの人生とは言いますが、舵の取り方は実に悩みどころです。手当り次第の恋で経験を積むのもありかもしれないけどそれにしては自分は真面目すぎるね。


これがゲーム(ソフト1本で完結し追加要素の配信や購入などが発生しないものに限る)だとすごい。好きなら永遠にそれは好きでいられるし一方的であることが前提になってる。変わらないから。


ドラクエ11をやってます。3DSとPS4で2秒悩んでPS4にしました。
発売前から「このキャラ死にそうだな」と思っていたキャラが本当に死んだり(しかし死ぬ場面がなかったから生きてるかも?という淡い期待も抱きつつ)、モンスターの毛並みや生態が克明に鮮やかに描かれていたり、ムービーがめちゃくちゃ綺麗でストーリーへの入り込みが史上最高峰だったり、モブの女キャラが結構な割合でエロくて余裕でいやらしい目で見れたり←、PS4版は心に動きが産まれまくっててとにかく最高です。魔物どもぜってー許さねえからなってなってる。その意志を原動力に過去最高にリアルなドラゴンに臆することなく刃を向ける。あのトカゲ野郎。肌がマジでリアルだぞ。

同年代の子供はもしかしたらもう小学生かもしれません。
この間道を歩いていた小学生が「あいつら付き合ってんの?」という会話をしているのを聞きました。

だれかに好きになってもらえるほどでもないつまらない人間はそれなりに事情に抗おうと日々を少し明るい気持ちで生きようとしています。生きながらえるなら明るいほうがマシだよね。たまに虚しくなるときはやり過ごすしかない。そうやって繰り返してそのうちなにもかもが手遅れになって一人で死んでいくのだろうけど、たまに人と話せればそれだけでいいかもね。ご迷惑をおかけします。




人との関わりを無くしては語れない星回りだとなにかの占いで聞きました。
だからか独りなら独りでそれはそれなりに語ることができるもんですね。

普通の人は普通に生きてるだけで贅沢だと思います。だから自分も埋め合わせるようにパラメータ配分間違った贅沢をしてしっぺ返しを喰らうんだね。
人一倍大きく燃える気がする自分の中の情熱の火種、もういらないのになってよく思います。買い取ってくれ誰か。

43 ゆるめるモ!赤坂ブリッツで感じたことのすべて

ゆるめるモ!「ディスコサイケデリカツアー」FINALの赤坂ブリッツを観てきました。

結果として最高に楽しかったライブ中にガチ病みして未だに本当に意味がわからないことになっているので、その日のことと考えたことぜんぶ書きます。楽しかったこともそうじゃなかったことも。


今回の赤坂ブリッツは、見届けないといけないと思って行ったライブです。
リキッドから原点回帰したゆるめるモ!の歴史的な意味では凱旋にあたるライブだったことや、2年前の赤鰤が自分の原点だったことも理由のひとつではあります。
ただそれ以上にですね、あのー4月にゆるめるモ!のSHOWROOMが云々というブログで当時のゆるめるモ!のワンマンに対するスタンスをボロクソに叩きのめしてそのまま病んで死んだんですけども、まぁメンバーが読んだのか知らないですけど、あれだけ言ったらその次まで観なきゃ筋が通らねえよなぁと思って、実は最速先行でチケット押さえてました。

とてつもなくおこがましいですけど、そんなこともあったので今回は

・どういうライブを構築しようとしているか
・未来を見せてくれるものであるか

に焦点を絞って観ることにしました。
考察系オタクなのでそもそもライブ中めっちゃ沸いてても解釈に解釈を重ねてうおおーーーーとロジカルな側面でも高まっているんですね。




前説ないまま時間押してバンドメンバー登場。オタクが羨むスタッフTではなく、全員ゆめかわヒッピーみたいなTシャツです。田家さんがたまに着てましたよねあれ。

そんでオープニングはバンド演奏による「melted」。興奮しました。ああこれは良いスタートだなあ。お祭りだなあ。メンバー登場であーもう超楽しい。

で、1曲目「うんめー」。なんかリリイベで初めて聴いたときほどの掌握感を感じませんでした。この時点で圧縮がすごかったからなのもあると思いますが、そもそもサビのアレンジがあまり良くないのですこの曲。バッキングがシンプルに押しが強いので、このアレンジのままいくならそれを圧倒的に超える声量で臨まないとたぶんこの曲の真の強さは引き出せないんじゃないのかなと思います。スローなアコースティックかアカペラで聴きたいです。バッキングが静かになる落ちサビになるとメロディーの地力が際立つものね。

2曲目は「1!2!かんふー!」めっちゃエモかったです。イントロのオケが聴こえづらかったのですが、途中でまさか!?と気付いたらはじまってて、いやほんと、たまらなかった。2年前の赤鰤で新衣装と共に披露されたときのことを思い出しました。久々に聴けて嬉しかったし、現場行き始めた当初の感覚が蘇ってひたすらエモを噛み締めていました。振付も、もねちゃんがやってほしいって言ってた「ふーうー」ってのもちゃんとやってる素直で綺麗な頃の自分がそこにいました。ツアーのオケ公演でしかやってなかったからびっくり。嬉しい。ツアーのセトリではこのあとに入ってた「なつ おん ぶるー」もなかったのでどうなるかわからなくなってきます。

MCを挟んで「よいよい」。本当に楽しかった……高速祭囃子のブチ上がり曲ですが、メロディーも歌詞も真っ直ぐなのがとっても好きです。さささにめちゃくちゃ合ってると思います。さささの落ちサビはこの曲が一番好き。アウトロはエクステンドでキーがどんどん上がっていく。テンションもどんどん上がっていく。昇りつめそうになりました。すごく久々に聴けて嬉しかったこれも!

shioRiさんのパワフルなビートで「KAWAIIハードコア銀河」に続くとフロアの熱気は増し増しに。いややっぱいいっすね。「YOU ARE THE WORLD」の中でもわりと最近らしい感じですが、4人になってからの曲とはどことなくグルーヴが違います。なんとなくスペーシーですね。ちなみに4人になってからのロック路線の曲は陸地のロックって感じがします。なんでだろう。ハードコア銀河!たのしい!ラストの「ね」をひたすら繰り返して踊らせるアレンジでした。今回のゆるめるモ!は曲の締め方にこだわりがあるらしい。

「こんなアレンジにしたらカッコいいだろなあ」ってロック脳でしてた妄想をギターの松本大樹さんがそっくりそのまま叶えてくれました。ワウペダルで歪ませたギターでイントロをアレンジした「ぺけぺけ」。わりと忠実にアレンジしていましたが、バンドサウンド炸裂って感じです。元々田家さんのバンドの曲らしいのですが、もしかしたら本家に近いものになっていたのかもしれません。

そして何気に今回のベストアクトは「あさだ」だったんじゃないかなと。
メンバー全員スタンドマイクでカウベル叩いてました。てなわけで間奏での格闘パートはなく、今回間奏はラテン系のリズムに転調しカウベルとハンドクラップを煽るニュースタイルでした。チャッチャッ、チャッチャッチャッてやつね。なんだか南国の夜のビーチで火を囲んで踊っているような気分になりました。いやーいいねー音楽してるねー。YUKOさんはエッグシェイカーで参加してました。打楽器多め。パーカッションも加えてまたやってみてほしいなこれは。後半はあのちゃんもギター弾いてました。メンバーバンドでもやっていましたが、あのちゃんのプレイと音作りはこの曲にとても合っていますね。
ふと、昨年のリキッドの「SWEET ESCAPE」のグルーヴを思い出しました。あれはわりとシリアスめな曲でしたが、今回はこのシンプルにわけのわからない曲を取り上げてそのグルーヴに元々あった(最近戻ってきた)ゆるめるモ!の良さも乗せて今のバンドとのグルーヴで新しい風を取り入れた、まさに「音楽」してた1曲になっていたように思います。
そしてバンドメンバーの推しことshioRiさんのグルーヴがたまらなかった曲でもある。プレイがまるまる色っぽい!shioRiさんのグルーヴは包容力があって良いですね。惚れます。
今回この「ぺけぺけ」「あさだ」がまさに「ディスコサイケデリカ」というキーワードにぴったりな曲に仕上がっていました。「よいよい」からのここまでのくだりは音楽好きとして本当に楽しかった。

「我が名とは」、ESGライクなミニマルディスコな曲です。わりとシンプルな曲で、バンドでアレンジするとなんかほんと「スキヤキ」のバンドアレンジやんこれ、みたいな気もしてきます。
なぜかこの曲のテーマは「和」らしく、古風な言葉遣いというリクエストにより書かれた歌詞と能を取り入れた振り付けが特徴的です。Aメロの途中が和っぽいけど個人的にはそこまで和な雰囲気には思えずなんで?と思いましたが、ただそれが感性に新鮮味をもたらしてくれて楽しい感じでした。
サイケデリックな扇子を用いた振り付けのほか、初のバックダンサーまでついてなかなかエンターテイメント性に富んだ演出を施されていましたね。ちょっと前のモ!ならやらなかったやつ!良い流れだと思います。

続く「OO(ラブ)」のイントロのアルペジオは孤独と逆襲ツアーより歪ませ気味だったかな?リフがいくつかある曲ですがパートごとにリードをどれにするかっていうセレクトがその時々で違って面白い曲だったりします。グッズにあったので初めて扇子付きで振りコピしました。
間奏の台詞は元々歌詞があるものですが、今回はライブライクにアレンジしてましたね~。ここは詩的に演じるよりさささらしくて良いと思います。
「たびのしたく」はなんかあんまり記憶がないんです。1番の転調前のドラム(原曲だとパーカッションがソロキメてるところですね)のリズムキープ大丈夫かなぁ…とか思ってたことは覚えてる。テンションは上がってましたねー。

シューゲイズ風味のラブバラード「永遠のmy boy」、ラブソングという割には恋愛というかもっと広義の愛の発信(恋)を歌っているような気がします。「しっとりと」っていう感じではないものの、音を浴びながらじわりと染み渡る歌に聴き入っていました。これは本当に良い曲。照明でもっと明暗のメリハリを極端なくらいつけたほうがより印象的に焼き付けられたろうな、という感じはしました。

続いたのは「人間は少し不真面目」。「永遠のmy boy」が低音の聴いた曲だったので、逆に結構な高音のスライドギターから入るこの曲への繋ぎは少し耳に違和感がありました。。地方公演では日替わりでやっていた「NNN」のほうがサウンド面での流れはよかったんじゃないかな?っていう気はしました。O-EASTでも「NNN」と日替わりでこっちになってたなぁ。1,000人規模のワンマン単位で考えると、4人になってからは必ずやってるんですよね。(「NNN」聴きたかったなああああああ)
とはいえこの曲も大好きな曲なので、前半は前曲との流れの違和感をすこし感じながらも終盤に向かうにつれ世界観に浸っていきました。エモい…
ただちょっとハウリングきつかったかな。。耳が痛くなる瞬間がありました。後半の他の曲でもそんなことがありましたが、うーんまあこれは仕方ないか。箱ライブあるあるです。

次が「ナイトハイキング」なんですけど、前曲「人間は少し不真面目」の音が残ったままあの電子音のイントロが流れたのはちょっとセンスないなと思ってしまいました…。余韻…余韻くれよ……
エモつなぎなのかなと思いましたが「間」の意識がちょっと弱いなーという印象。生音で聴かせる「人間は少し不真面目」とエレクトロなこの曲を並べるならもっとアレンジに気を遣ってほしかったですね。それができるのもバンドスタイルの良いところなのですから。ちなみにこれ昨年のリキッドでメンバーバンドでやったアレンジだったらとても合っていたと思います。
気持ちよく体を揺らしながら聴くのが好きな曲なんですが(イントロの一緒に踊ろう!っていう振付のリードもぶっちゃけ好きじゃないです)、なんでかこの曲でものすごくピンチケっぽいのが騒ぎ出しましたねえ。なんなんだろう。そんな曲?これ。ちょっと不思議で苦手でした。

その次が「Hamidasumo!」で、なんかエモ枠の余韻は大事にされてないしあのノリからこれを畳み掛けるしで、まあ方向性がそれならそれはそういうものとして楽しもうと思いましたが、このあとさらに「スキヤキ」とブチ上げルートを進むので「永遠のmy boy」からのエモパートさらっと流されすぎてない?という違和感を覚えてました。こう考えるとあとあと楽しくなくなってきたのは「ナイトハイキング」の間ひとつが原因だったのかな……

ただこの「Hamidasumo!」に関しては今までで一番良かったなと思ってて、実は今回のツアーでは赤坂ブリッツでのみ演奏された曲なんです。なんといっても最初の赤鰤がこの曲のリリースツアーだったので、参加した身としては感慨深いものがあります。当時は本編の終盤、満身創痍でバンドにとっても限界への挑戦となった曲。暴れ馬のようなこの曲を死に物狂いで乗りこなしてやろうと気迫が凄まじく、鳥肌モノのパフォーマンスでした。鬼気迫るという言葉がピッタリですね。
2年経って同じ場所で演奏された今回は、もうメンバーはとっくの昔にこの曲をモノにしていて余裕を持って楽しみながらぶつけてきました。成長を感じてそれもまた感慨深いですね。
この日のコール&レスポンスパートはバッキングがディスコ風にアレンジされていて、「ディスコサイケデリカ」の波に乗った新しい試みという感じがまたたまらなく良かったです。「ぺけぺけ」「あさだ」とともに、今回のライブでピックアップしたい曲のひとつになりました。
「Hamidasumo!」にエモを感じたのはこの日が初めてでした。最高です!

ただ残念なところもあって、ひとつは未だに安定しないサビのタイム感。全員の歌ですね。変わった歌割りの変な曲ではありますが…。この曲はサビ以外がほとんどギターリフで構成された高速プログレハードロックだったりするのですが、サビだけジャカジャカ騒ぎ出す感じになるのでここのメロディーラインをボーカルがどれだけバシッと決められるかで印象がだいぶ変わると思うんです。これは正直そろそろいい加減にしてほしいですね…そんなこともあってこの曲はライブ音源よりCD音源を聴きがち。

あとはあのちゃんのギターソロですかね。いつも上手寄りの前の方で観るので毎度手元をガン見してますが、2回あるブレイクのタイミングでのフレーズがいつも代わり映えしないなぁ…と。曲中それぞれのブレイクでの変化もあまりありませんし、過去のライブと比べても似たような感じです。開放でぶっ放したりチョーキングを入れてみるなどの変化と技をつけるとより見せ場としての破壊力は上がると思います。
あのちゃんについては他にも動きに引っ張られてマイクから声が漏れるなどの細かいミスを減らしたり、筋力をつけてダンスの止めのキレを増すと他の追随を許さないライブモンスターになれるだろうなー、と思いました。推しってわけではないのでそんなには観れてませんが… でも本当に何をやっても様になるので青天井で成長していってほしいですね。

続く「スキヤキ」、あんまり記憶がないんですよね。ブチ上がってると逆に覚えてないもんです。攻撃力高いですよねこの曲のバンドバージョンは。
恒例となった落ちサビのあのちゃんのダイブがいつにない侵攻具合でフロアの後ろのほうまで攻めてたんですけど、危ないお客さんいましたね。これちょっとなぁ、という。

「スキヤキ」が終わった時点で前方の圧縮は凄まじく、MC聴いてるのもちょい大変な環境でした。まぁ体そこそこでかいんで大丈夫なんですけど、小柄だったり細身だったりな人達はキツかっただろうな。後で聞きましたが、実際怖い思いをした人が少なからずいたそうです。後のほうの曲で浮かない顔してフロアの前方から去ってった小柄な女の子いたけど大丈夫だったかな。。

後のMCでフロアの状態について言及したのはなぴちゃんが「気持ちは上にね!」っていうのと(でんぱ組.incのもがちゃんの名言からですね)、さささの「怪我しないようにね」ってやつくらいですかね。このあと更にブチ上げパートに突入するってタイミングではありましたけど、これもう少し実を取る声のかけ方をしてくれてもよかったんじゃないかなという気がします。
もがちゃんのあの言葉にしても一旦フロアをほぐしてから言ってた覚えがありますし(うろ覚えですが…)、多少なり危ないことが起こりそうな状態をちょっと声かけた程度でほったらかしにするのは態度としてあんまり褒められたものじゃないかなと。


見当違いだとか妄言が過ぎるぞ糞野郎がさっさと死ね、ときっと言われますが……


前方なんであんななのかというと、暴れるのが好きな人とライブ慣れしてない人が混在して多いからな気がするんです。この状態はようやくZeppを埋めた頃のでんぱでもなかったことで(そのあと売れてから似た感じになりました)、この規模で前方が激しくなるのはCDのセールスだとかメディア露出の具合のわりにゆるめるモ!が世の中に届いてる証拠だと思うんですね。(ロック路線に傾倒していった結果でもあると思いますが)

ライブ慣れしてない人っていうのは「ずっと行きたかったけど一人だし不安だしでもせっかくの機会だし…」って感じで本当に初めて来たとか、比較的フロアが穏やかな対バンライブを観てその感じを想像して安心して来た人とかかなって思うんです。そんでたまたま良い番号取れたとか開演前は前のほう空いてたとかで。直接かつ一番の理由ではないでしょうけど、内心そこに安心感持ててなかったら来ないですよねっていうやつ。
だからそういう人達に対して「ワンマンでは必ず激しくなるから離れたところを勧めます」とか「普段の現場は平和です」とかって言うのは一見冷静なアドバイスに見えて、その実ちょい筋違いというか、だいぶ冷たい言い方な気がしてしまいます。

「今回は嫌な思いをしてしまったかもしれないけど、いつもは平和だし怖いことする人達って普段はいないからこれに懲りずにワンマンだけじゃなくて普段の現場も来てみてね」って気持ちで言ってるんだと思うんですけど(その気持ちはすごくわかりますし実際はそうですよね)、じゃあそしたら普段の現場(つまり対バン)を何回か観て想いが募ってワンマンにまで足伸ばして嫌な思いをした人立場ないよなぁ、って気もします。
あと怖い思いした人にとってはその思いをしたときその場にいた人達が「ゆるめるモ!のお客さん」の印象のすべてになってしまうんですよね。ワンマンしか来ないとかこれが初めてだったって人ならなおのこと。だから普段の現場が平和だなんて素直に信じてもらえるかというと……こうは言ってもいつもの現場を知ってる人たちのフォローに対して物申したいとかそういうわけでは全然なくて、普段もワンマンも関係なく平和でみんなが楽しめる環境にできたら一番いいのになって話なんです。

たぶんもうおまいつのみなさんでは現場の統率は取れないだろうと思います。人数的に有志で統制が取れる限界はとっくに超えてます。だからきっと場数踏んでる人ほど後ろのほうで勝手知ったる人たちと好きに楽しんでるほうが楽しいはず。
オタク側がどうこうするってのには限界があって、てかそもそも同じ客同士で自治とかするのは何様なん?って思う人もいるはずで、やってくれてた方々はまさにアンチヒーローとして肉を切らせて骨を断つ役回りを買って出てくれていたのかなと想像してます。
現場の人が良くてアイドルが安心してライブを出来てた、観客も安心して観れてた、ってのはありますよね。これまでは。うん、ある程度まではそれでもいいんですけど、でも本当に観る側の安全安心に気を遣わなくちゃいけないのって、お客さん自身じゃないですよね……?

まだゆるめるモ!ではOKされてますが、サーフ・ダイブ・リフト禁止の現場ってありますよね。セキュリティを導入して現場環境の保全に務めたり、禁止行為が起こったら即音を止めて終了っていう極端なとこもあります。
これらのルールってなんであるかって、そんなの簡単で「最大多数の最大幸福」のためなわけです。
さっきも書いたように心身ともに多種多様なコンディションのお客さんがいます。そりゃ1,000人以上いたらねえ……通ってた学校が1クラス何人でその中でどれだけ個性的な面子が集まってたか想像してじゃああのハコ埋めてたのその何倍だよって考えるとよりわかるかなと思いますけども。そうやって集まった人達がなるだけ全員が全員楽しめるようにってルールがあったりするわけです。

今のゆるめるモ!はまだまだ厳格なルールもなく、うまくやってこれてました。かといってそろそろルール作れって言いたいわけでもないんですよ。(ダイブ・サーフは危ないから禁止でいいと思ってるけど)
ルールなんか作る前にもっとできることがあるんじゃないですか?ってことです。そしてそれをやれているのか?という話です。

前置きが長くなりましたが、今のゆるめるモ!はこれができていないんじゃないか、って話なんです。言えばわかる人達がほとんどなのに言いもしないっていう、例えるならそんな感じ。
なんせ現場で一番発言力があるのってどう考えてもメンバーだと思います。そうじゃないとこがあるとしたら破綻してますよね。
有志で統率できない規模になってきたとき、それをやらなきゃいけないのは(スタッフも含めた)演者側なのだと思います。いやそもそもそんな規模にならずともやるべきは演者側なはずです。

だいぶ挟みましたがライブの話の続きします。
「気持ちは上に~!」とか「怪我しないでね!」とか言ったくらいで、そのまま次の曲に進みました。「みんなで一歩下がろうか」とか、そのくらいのこと言ってくれてもよかったんじゃないかなって思うんです。それだけでどれだけの人が快適になっただろうって。このあとブチ上げ曲畳み掛けるんでまたどうせ圧縮とかすごくなるだろ、ってのはそりゃそうなんですが、一度落ち着かせるだけでゆとりってできるもんだと思いますよ。

「気持ちは上に!」ってのは元を知ってるからその意図はちゃんとわかるんです。なぴちゃんでヲタだし。でも実が伴ってないよ。そりゃお客さんのことを信用してくれてるんでしょうけども、ただちゃんと見えてはいないよねって今にしてみると思います。特段言及してなかった二人もまた同じです。
メンバーが主義主張や思想の観点からそれを言えないというのなら、最初から運営がもっと気にかけておくべきでした。

ちゃんと見えてないよ、っていまは思いますけど、あの日あの時の自分は違いました。思ってたのはこれです。

「あぁ、この人たちはこういうフロアにしたいんだ」

ここにいろいろつながってきます。
「永遠のmy boy」から「人間は少し不真面目」への音の繋がりに若干の違和感を覚え、世界観に没入するのに少し時間がかかったこと、
「人間は少し不真面目」の余韻があまりなく「ナイトハイキング」に移ったこと、
その「ナイトハイキング」が思った以上に沸き曲と化していて周囲と温度差を感じたこと、
直後に「Hamidasumo!」「スキヤキ」を続けてフロアをヒートアップさせる方向に持ち込んだこと……

この時点で嫌度はだいたい50%くらいでした。
まぁそうしたいならそれはそれとして楽しむよ、って感じなのは変わりないです。
さっき書いたこれ

エモ枠の余韻は大事にされてないしあのノリからこれを畳み掛けるしで、まあ方向性がそれならそれはそういうものとして楽しもうと思いましたが、このあとさらに「スキヤキ」とブチ上げルートを進むので「永遠のmy boy」からのエモパートさらっと流されすぎてない?という違和感を覚えてました。

を念頭に置いたうえでこの先読んで頂けるとなんとなく感覚が再現できるかもしれないかもしれないかもしれないかな……??と思います。。そうでもないか…
ここにもう少しまた別の要素がつながりますのでそれはまた追々。楽しかったのもあるので曲の話に戻って続けますね。


終盤戦の頭にはニューアルバムから「デテコイ!」。ぴょろぴょろいってるシンセサイザーとキー感にテクノ陶酔的な多幸感が溢れるキラーチューン。フロアが(良い意味で)地獄になるな、と思っていた曲で楽しみでした。
イントロの振付が仮面ライダーの変身ポーズみたいで楽しかったですね~。なぜかあの振付はなぴちゃんがゾーンに入ってる感じで一番キレがすごい!w 「Hamidasumo!(ようなぴversion)」を聴いたときにも思いましたが、本当に体にPOLYSICSが入ってるがゆえなんだろうなあ、という感じです。たぶん自分にとってのB'zくらい染みているんだろうなぁ。
サビでは左右にメンバーが行ったりするので、妄キャリの「もっとずっとキュンとしたいの」を思い出して「最初は左!」とかやってみてましたがさすがにあの圧縮のなかではそうそう動きませんねw でもいろいろやれそうでとっても楽しかったです。また余裕のある現場で遊びたいなと思いました。

続けて「震えて甦れ」。ああそうだろうな、と思っていたタイミングでの登場。アルバムだと流れだけでびっくりするくらい印象変わりましたが、ライブではまぁ曲順も違うしそうはなりませんでした。ただ「ディスコサイケデリカ」ってキーワードに当て込める曲ですよね。基本わけわかんなくてシリアスなのにサビに祭囃子のビートが入るのがなかなか面白いです。
ドラムがえげつない曲で、個人的に今のバンドのドラマーよろしくないと思ってるんですが、この曲のサビのアレンジだけはいいなって思います。あとディスコパートのshioRiさんのスラップする右手がなんともいえずたまらなかったですねぇ。

ただなんかこの曲あたりでテンションはだいぶ落ちてました。
「どうする?」
結構マジなトーンで言ってた覚えがあります。
この先どう展開する?何を持ち込む?見せたいスタイルとは?未来は見せてくれるのか?
このあとのことは断片的にしか覚えていないです。




あえて言おう、戦犯であると。

「id アイドル」「Only You」の2曲のことです。
このあと「id アイドル」のイントロが聴こえた瞬間、ステージから目を背けて圧縮の酷いフロアの前方エリアを抜け出しました。ああ、結局それか、と。
テンションが落ちるなかで下がってみると、よく知るオタク達が「YOU ARE THE WORLD」が出た頃のあのノリで沸いていました。ふと懐かしく嬉しくなってその中に混ざって沸いてみました。終わってみると、それまでに感じていたものすべてから目を背けてただただ楽しんでいる自分がそこにいて、酷く悲しくなりました。

「Only You」もイントロのカウントで分かりきっていて、実際はじまって「あーはいはい」という感じでした。完全に気持ちが切れていることがわかりました。
フロアの一番後ろまで下がり、カメラマンの方用の小さい脚立に座り込んでぼんやりとステージを眺めていました。(あとで知ってどきました……すみませんでした)
「手と手叩き」のクラップだけなんとくやっていたので、まだ少しは何かを期待する気持ちが残っていたのかも知れません。
それ以降はAメロもBメロもサビもなんにも覚えていなくて、心が疲れ切ってまったく体がついていきませんでした。「id アイドル」もこの曲も、「あさだ」や「Hamidasumo!」のような特別なアレンジがされていたんでしょうか。全く覚えていません。

間奏の最後、フロアにダイブしてオタクの上で叫びまくっていたあのちゃんがドラムの音に撃たれるように崩れ落ち、その真上で脚立に登ったなぴちゃんが落ちサビを歌った光景が、退廃的で美しかったのだけはよく覚えています。
例えるなら、両国とも疲弊し続けるだけの戦争が共倒れに終わり、それを憐れんだ天使が鎮魂歌を歌いに舞い降りたかのような光景──
これが意図的に作られたものだったらどれだけ素晴らしいステージだろう……でもそんなことはないか。そうは思えない。偶然だろう。ぼんやりとステージに並んで歌う4人を眺めていました。
今にして思えば、もしかしたらあのちゃんのことだから、嗅覚でか理性的にかはわからないけど、意図してやったことなのかもしれません。感受性の強いふたりだからこそ生み出せた光景なのかも。


この2曲については、今となってはゆるめるモ!を食い潰しているとすら思えるのです。

「Only You」。歴史を辿れば、プロデューサーの田家さんがフジロックで観たBOREDOMSでの体験が元になった曲であり、実はゆるめるモ!はデビュー当初からこの曲を出すための布石を打ち続けてきていたのでした。(これについては語ると長いので、ゆるめるモ!関係の昔のインタビューやらから探してみてください)

「君がいないと世界ははじまらない。君こそが世界だ」

ゆるめるモ!の楽曲にあらゆる形で存在していた精神が太い一本の柱になって顕現したのがこの曲です。
だからこそアルバムツアーのファイナル「YOU ARE THE WORLD TOUR FINAL at Zepp DiverCity」では、多種多様な楽曲群の目まぐるしい演舞のその最後に披露され、その空間にあったすべての感情という感情を爆発させるという圧倒的な体験をもたらしたのでした。今でもあの日の「Only You」を超えるパフォーマンスはないと思っています。それはすべてのアイドルという括りで見ても絶対にないことだし、あるいは音楽界全体で見てもそうそうないであろうと言えるレベルでした。感情の昂りで泣いたことがない自分が初めて泣いたのはこの時でした。今でも忘れられない体験です。

ただ、同時に強力すぎる楽曲でもありました。初披露から毎回といっていいほどハイライトで披露され、現場に足繁く通う人達から飽きられてもただひたすらに暴力的なまでのパワーを振るい続けていた曲です。バンドの対バンではそれまで冷たかった対バン相手のファンを突き動かし、またこの曲からファンになった人も少なくないと言います。しかしゆるめるモ!はあまりにもこの曲に依存するきらいがありました。

2017年初頭から春にかけてを暗黒期と言うことにします。この頃のゆるめるモ!は「伝えたいこと」に固執しすぎるあまりエンターテイメントとしての側面を著しく失っていました。
具体的には選曲が極端に偏り、「Only You」「id アイドル」「スキヤキ」「もっとも美しいもの」「ナイトハイキング」の5曲の並びを変えただけのローテーション、持ち時間に余裕があればここに「Hamidasumo!」「逃げろ!!」が加わるだけというセットリストを長期間続けていました。ちなみにこの時点で彼女らの持ち曲は50曲を超えています。ただいずれもゆるめるモ!の楽曲群の中でひときわメッセージ性や意志の強さを感じるものでもありました。

「id アイドル」もこの枠に含まれる曲で、当時は多少変則的なセットリストになっても「Only You」とこの曲だけは必ずセットリストに組み込まれました。
この曲に真に新しいストーリーが宿ったのは、昨年の4人になってから初の大舞台となったリキッドワンマンだったと思います。本編の最後に歌われたこの曲に、どんなになっても続けていくという確かな強い意志を感じました。ゾクッとする何かがあったのを覚えています。
強烈な意志が宿ったこの楽曲はリリースから1年が経った当時のタイミングで一層の支持を集め、年末開催のリクエストライブでは得票数第1位を獲得しました。

人気とライブでの映え方、強烈なメッセージ性を持ちなによりも気持ちが乗るというこれらの楽曲は、先刻の赤坂ブリッツでも終盤の落とし所に投入されました。




自分はそんなに現場に行っていません。月に2,3回程度かな。それでもくどいなと思うようになってきました。2曲とも。

伝えたいメッセージが詰まっているからやってるのはわかるんです。
でも「Only You」と「id アイドル」がないとゆるめるモ!は伝えるべきメッセージを伝えられないグループなのでしょうか?そんなヤワな楽曲ばかり作って歌ってきたグループだったのでしょうか?
メンバーはわりと最近のインタビューで「気持ちの乗らない曲は歌いたくない」と語っていました。でもゆるめるモ!の楽曲を幾度となく聴いてきた身としては、他の楽曲からでも様々な側面から同じメッセージを届けることはできると思うんです。
例えば「生きろ!!」なんかは暗黒期セレクトの「スキヤキ」とも「Only You」ともリンクするテーマ性があると思っています。正直、「YOU ARE THE WORLD」ツアーでは重要なポジションに収まると考えていました。(実際は地方公演の序盤でしか登場しませんでしたが…)

ずっとやってない曲達は気持ちが乗らないってことなんでしょうか?以前から何度か言ってきましたが、過去曲の再解釈をするべきだと思うんです。これだけ多様でありながら一貫した方向性で歌詞が紡がれ続けているのに、自分たちの気持ちの形にハマるものしか歌えないんでしょうか?それって二流、いや三流じゃないかなって思うんですけどどうですか?身の丈に合ったことしかできませんやりませんとも捉えられますがどうでしょうか。それじゃ成長はしませんけども。

どんな表情を持っていても自分達の持ち曲なら、多少なり心の形が違っても徹底的に考え抜いてモノにして、どうしてもハマらないなら徹底的に訓練して演じてみせろよ。
慣れた曲にばかり、パワーのある楽曲にばかり頼って、強い曲・人気の曲におんぶに抱っこっていう風にしか見えないんですよ、今のゆるめるモ!は。

ゆるめるモ!が多くの楽曲で共通したテーマを多様な側面から描いているということは、使い方によっては聴き手の心の中の今まで光の当たらなかった部分に光を当てることができるということでもあります。
如何様にもセットリストを組み替えて、毎度様々な切り口で鮮度を損なわず弱い人達を救い続けられるのがゆるめるモ!だったと思います。今はそうだな、伝えたい伝えたいって言って自分達の言いたいことをゴリ押ししてるだけなんじゃないかな。
伝えたいことがあることもその伝えたいことがとても大事で広まってゆくべきものだっていうのもわかるんです。でも大前提、音楽やってる人間なんだからみなさんエンターテイメントの供給者なわけです。楽しませるっていうことを忘れちゃいけない。
届く人には届き続けるけどそれも永遠じゃないし、届かなくなった人のことは見えてないんだろうなって思う。

とはいえ実際「Only You」も「id アイドル」も変わりなく盛り上がりまくる曲です。心に強く響く曲です。だからこれさえやっていればライブが盛り上がるのはよくわかる。それも間違いじゃない。だけど、だけどそうじゃなくて、、、さ、、、、

本編ラストこそ最新曲の「ミュージック 3、4分で終わっちまうよ」でしたが、それまでの流れがこういう楽曲群になってしまったので全く気持ちが乗りませんでした。本当に良い曲だと思うけど、それまでの積み重ねで心折られましたね。。
これがあったせいで後になってこれより前の「永遠のmy boy」~「人間は少し不真面目」の流れも「これやっとくとエモいやろ!」みたいなあざとさを感じてしまいました。白々しいというか。余韻も含めて曲だってのはまぁ自分のエゴな感覚ですけど。

アンコールの「逃げろ!!」「なつ おん ぶるー」も(様式美的な側面があるのもわかっていますが)、これは本当にエンターテイメント的にもグループのコンセプト的にもめっちゃいいですよね。でも最後はこれで大団円だろっていう慣れ感に心底嫌気が差しました。考えられているとは思えませんでした。大好きな曲で全く楽しめなかったことが今でも辛い。

後ろから観ていて、みんながみんな楽しそうでした。4人になってから、いやゆるめるモ!史上で一番良いライブだったと言っても過言ではないと思います。反応もすごくよかったはずで、それは紛れもないひとつの答えだと思います。


ゆるめるモ!には本当に色んな楽曲があって、今でも聴いていていろいろなメッセージを受け取ります。天才たちによる楽曲群の音楽的な面白さによる興奮もありつつ、愛さんの本当に深い優しさに溢れた言葉たちにはいつもいろんな角度から癒され胸を打たれますし、様々なつらいバックボーンを背負ったメンバーが歌い踊り表現し届けてくれることで心に深く染み渡ってきます。

思うんです、ゆるめるモ!ならもっともっともっともっと驚きと感動に満ちた素晴らしいステージを作り出せるって。いや実際作り出してきたのをこの目で体で心で観てきました。こんな守りに入りすぎた構成で終盤を固めなくても、刺激的で情熱的でエモーショナルなものを生み出せるのがゆるめるモ!だったはずです。

あらゆるアート・エンターテイメントに通ずることですが、楽しむことができればメッセージはゴリ押ししなくても受け手は勝手になにかを受け取って勝手に元気になります。同じライブを観ても受け取るものは人それぞれ違うでしょ?

もっと自由になってほしい。柔らかい頭で、いろんなやり方で曲が持っている力を届け続けてほしい。音楽の力をもっと信用していい。田家さんや作曲家の方々や愛さんが生み出した楽曲をもっともっと今以上に信用していい。絶対に間違いないから。今のままじゃ音楽の可能性をゆるめるモ!自身が狭め続けているみたいで見ていてつらい。


ビビってんじゃねえよゆるめるモ!





でもやっぱりずっと前のとこに戻るんですけど、ぐっちゃぐちゃなフロアをほったらかしにしたままこういう曲達を続けたことね。
ああやってフロアがめちゃくちゃに盛り上がってさえいればそれでいいのかな。それだと体が強くて暴れるの好きな人が一番楽しい場所になるけど。だとしたらこんなことなんにも言う意味がないな。
演者側の気遣いでフロアはもっと快適になる的な話もだいぶ上のほうでしたと思うんですが、そうするつもりがないなら関係ないですよね。

でもアンコールの最初はアルバムのリード曲で、みんなのうたにも使えそうなオールフリコピ推奨曲「モイモイ」だったりする。どっちにどう行きたいんだろう。なんなよくわからない。


ツアーのセットリスト見て期待してたんですよ。
アンコール定番の「なつ おん ぶるー」がまさかの3曲目とか、ツアー単位では久々な「逃げろ!!」が終盤戦の出だしとか、「Only You」をやらない公演があったとか、攻めてていいなと思った。大事なとこは押さえてるし、面白くなりそうな予感がすごくあった。実際赤鰤も前半戦は創意工夫と音楽的な遊び心に溢れた素晴らしいエンターテイメントだった。


期待しすぎたかな。。。





てか、ゆるめるモ!好き過ぎてもはや気持ちが悪いな自分。
こんだけ書いて結局は「自分の理想のゆるめるモ!とはちがった」ですよ。
あらゆる意見の中で一番のゴミですね。さっさと死のうね。読んで下さった方、ごめんなさい。結局こんなでした。


一番後ろから眺めていた「なつ おん ぶるー」が忘れられません。本当にみんなの心からの笑顔がただただ眩しくて、あんなに幸福な景色が世の中にあるなんてって思いました。
でもその中に自分はいなくて、ただ浮かない顔で眺めていただけなんだよな。フロアの後ろまでやってきた推しに見つかった気がしたけど、惨めな顔の自分を見てなにか思っただろうか。


ゆるめるモ!めちゃくちゃ好きでさ、でもなんでもかんでもを肯定しようとは思わなくて。良いなら良い、悪いなら悪いと言いたい。それでもお世辞じゃなく本当にすごく良いものを提示し続けてきたのがゆるめるモ!で、だからずっと好きだったわけで。
もねちゃんもちーちゃんも辞めて毛色も変わっちゃって、それでも信じてついてきてよかったと思えるライブを見せてくれることもあって。でも嘗めたこと考えてワンマン作ってたのがわかって心底見損なったりもして。それでもまた持ち直してすごく良い曲といっしょに元々あったゆるめるモ!らしさも連れ戻してきてくれて、リリイベも新曲しかやらなかった前の週の赤鰤も本当に楽しくて。今回の赤鰤も曲いっぱいやってくれてたけど、でもなんだかんだこんな感じで終わってしまいました。

なにが起こるかわからないわくわく感とか、それに伴う今後どうなるんだろう!?っていう期待とか、そういうのなんも持てませんでした。自分には未来は見えなかった。


こうやって色んな要素が絡み合って、終わって最初に出た感想が「がっかりした」でした。
それが本当につらくてこうやってぜんぶ書いた。勢いだから支離滅裂かもしれないけど。



的はずれなこといっぱい書いてあると思うんで、あんまり気にしないで先に進んでほしいと思います。なんせこんなこと言ってる奴1/1,200だからね。聞く価値ない。
ましてや大好きなグループとか推しにこんなこと言っちゃうオタクはダメだな。際限なく自分を嫌いになる。ここまで読んだらみんなも俺のこと嫌いになってるはずだから、元気があったら叩き殺してくださいね。よろしく。お手数おかけします。




私の話、これでおしまい。

42 それなりな生き方を義務教育化しろ

永遠に人の幸せに加担し続けてそのうち何も得ないままそのまま死ぬのかもしれないと思うことが多いのです。
人に良くしてもらうと数倍返ししようとする癖があります。義理堅いつもりなのですがたぶん自分のためにならないんじゃないかとも最近思います。が、昔の人は情は人のためならずと言いましたね。
信じるものは打算的に決めたほうがいいんじゃないかとは思うんですけども。しかし心で動いてしまいますね。逆に心が止まるとピタリと動けなくなります。不思議なもんです。
自分が誰かの特別な存在になるというイメージが沸きません。自分にとって自分は有象無象であり霧なのです。誰よりも人と違っていたいと思うのとは裏腹に誰にでも埋もれているのです。無個性も大概にしろ。キレがあるのはアイドルへのクソリプだけか。
3、4分で終わっちまうミュージックで気休めしながら死ぬまで永遠に生き永らえるのです。だから人生における幸せなんてもの一番考えたくないんだ。
たぶん誰のことも幸せにできていないからこうなのです。まずはそこからですかね。
誰かのためになにかすることが自己満足の自給自足になってしまったら生きてても死んでても大差ないもん。

41 遠くの声なんて聞かなくていい

昨年4月末の発表、そのタイトルを見た瞬間に自分の中のあらゆるなにかの時間が止まってしまう感覚があった。今でもその記事を見ると同じ感覚を自分の中に再現できるほどの絶対的な衝撃。


2016年7月10日、ひとつも心が前に進まないままこの日を迎えた。
昼夜共に最高に楽しいライブだった。でも感性がなにかに阻まれてあまり記憶がないのも事実。


自分がゆるめるモ!の何に魅力を感じたのか。
唯一無二かつ多彩な楽曲達、被ることのない各メンバー特有の声質、枠にとらわれない自由なアクトスタイル、ゆるい雰囲気とパフォーマンス時の熱量のギャップ、そして意外にもシアトリカルなアイドルらしからぬ振付の数々だった。

2015年5月の赤坂ブリッツワンマンで、最も記憶に残っているのは実は「波がない日」だったりする。
ほぼバンドでやっていたその日のライブの数少ないオケパートの曲で、「眠たいCITY vs 読書日記」「メルヘン」といったド変化球な曲達にさささのレーザー不発トラブルで和やかなゆるさが妙に面白い空気感を作り出したあとの曲がこれ。イントロの出だしからパフォーマンス、最後に音が止まるまでのすべてがめちゃくちゃカッコよかったのをよく覚えている。
振付に関して言えば一番好きかもしれないのがこの曲。波を表現したかのようなサビの振付は、6人とは思えない質量と迫力を感じて圧巻だった。

この曲に限らず、ゆるめるモ!の振付はいわゆるザ☆アイドル…ではないものが多い。個々の可愛さを押し出して輝くというよりも、ステージにいる全員でストーリーやグルーヴを組み上げひとつのものを表現する舞台芸術的なもので、楽曲の世界観にさらなる解釈やストーリーを与え、さながら二次元を三次元に、三次元を四次元にするがごとく豊かに仕立て上げていた。楽曲であそこまでやっているのにさらに振付でも攻めた方向性を打ち出していたのだ。こんなに刺激的なアイドル、他にいない。ゆるヲタになってまだ3ヵ月、ライブも3本目くらいなこのとき。ますます惹かれていった。

調べてみると振付を担当しているのはなんとメンバーのもねちゃんで、この赤坂ブリッツの後しばらく休んでしまったしなんとなく話しづらい印象があったものの、こういった表現をできる子がいったいどんな子なのだろうと無性に気になり復帰を待ってチェキを撮りに行ったほどだった。(ちなみに、持っていたイメージと違ってすさまじく気さくで話しててとても楽しい子でした)


今日になって、ふと思い出したのが1年前の新木場で観た「SWEET ESCAPE」。
本来は専用の衣装を用いた振付で、自分はこの日に初めて真の振付でパフォーマンスを観たのだった。アイドルライブでフィジカルな楽しさと観劇後のような心のざわめきを同時に感じることができたのはこの日が最後だったりする。


もねちゃんの綺麗でクセのある歌声もダンスも振り付ける作品もふと目をやると突拍子もなく面白いことをしている姿も、ちーぼうのハスキーな歌声も時折そこじゃない感のあるフェイクの妙味も掠れ声での煽りも、当時はこれがもう見れない景色だなんて頭ではわかっていても理解できるようなものじゃなかった。
なくなったものがわかるのはなくなってから。それに1年かけて、少しずつ確かめるように、今でも気付き続けているのがこんな懐古ブログを書いてしまう理由。。
そして自分でも気付かないほど長い間、あの発表を見た瞬間から時間が止まっていたようだ。本当に最近になって動き出した気がする。


新木場ライブの終演後の「サマーボカン」のMV上映。
卒業発表時の運営の姿勢は卒業する二人の存在の大きさを自覚していることを感じさせるもので、それがこの演出につながったのだと思う。愛。ゆえに、粋。

ただ、この楽曲を含む当日から先行販売されたミニアルバム「WE ARE A ROCK FESTIVAL」は正直''失敗''だったと思っている。

コンセプトアルバムとしての出来はとても良いと感じる。全体的に明るく取っつきやすい作品でもあった。
これは「広めるために」と運営が前に進むための1歩として提示したもので、残るメンバー4人が違和感を覚えながらも作り上げた作品。卒業ライブから販売が開始されたということは、その前にはレコーディングもMV撮影も済ませていたことになる。どんな気分だっただろう。



7月。雨の少ない梅雨は余韻も残さず、気温だけが上がり続け否応なく季節は真夏に切り替わる。


CD1枚で夏フェスを感じられるあのミニアルバムを、蒸し暑い日に部屋でクーラーをかけながら聴いていた。カーテンを閉めても日差しの強さには否応なく気付かされた。夏空にぴったりハマるサウンドを聴いて、クセのなくなった滑らかな歌が耳から流れ落ちてゆくのにも気付かず、なにかが抜け落ちたままの心に考える力はなくなっていた。

あのアルバムでゆるめるモ!は新しいファン層を獲得したように思う。ただメンバーはアルバムについて多くは語らず、4人体制を盛り上げている従来からのファン達の姿もなんだか無理しているように見えてしまったのが正直なところ。でもそうするしかなかったし、それが良いところだとも思った。

ただ色々と素直な自分には、あの原点回帰と銘打った10月のリキッドをお世辞にも良かったとは言えなかったし、「楽しかった!」「最高!」と言う人たちとの温度差をすごく感じてしまって、なんともいえずモヤモヤしていた。全く姿を変えたあの日の「SWEET ESCAPE」に関してはひとつのパフォーマンスとしてすごくカッコよかったけど。


「WE ARE A ROCK FESTIVAL」に関しては、もう少し間を空けて、気持ちの修復とやるべきものを見極めてからでもよかったんじゃないかと今になって思う。
幸い「ギザギザフリーダム」みたいに好きになれる曲はあって(元々ロック好きだから)、当時はただ前向きに肯定して応援することもできたけど、それが精一杯だった。(自分自身の忙しさもあり、あまり現場には行っていなかったけど)


ゆるめるモ!の新作ミニアルバム「ディスコサイケデリカ」については前回書いた通り。加えて言えば、4人になってからの路線を苦悩のなか全うしたがゆえの強かさの上で結実した、元祖ゆるめるモ!なオリジナリティを取り戻しながらも進化を見せた快作だった。
ただ、その一方で、メンバーにとって試練となりながらも今に至る土台にもなった「WE ARE A ROCK FESTIVAL」以降のロック路線で取り込んだファンとはバッティングしているんじゃないかとも思っている。
このギャップをいかにして克服するか。もう1度目指すべきはZepp DiverCity。あるいは新木場STUDIO COAST。未だ完売の報がない赤坂ブリッツの倍の規模だ。本当に大事なのはこの次の作品だろう。


ちーぼうは千歳ちの名義となり、レッツポコポコでバッチリ活躍しているという。1度だけ観たけど、合っていていいな、と思った。(あの独特の煽りが見られないのは寂しい気もするけど笑)

もねちゃんは一花寿と名を改め(以後、すいちゃん)、Hauptharmonieに加入。好きそうな衣装を着て活き活きと踊っている姿を見て嬉しくなったけど、残念ながら先日解散してしまった。
この先なにをやるのかやらないのかわからないけど、1秒でも彼女が表現の場を失っている世界を心底残念に、そして悔しくも思う。彼女の表現と声が本当に好きだった。




……ここから先はいらんこと書いてると自分で思うなー。でもたぶんここまででもだいぶ書いてるし、出てしまったものだからそのままにするよ。



「ディスコサイケデリカ」はとても良いアルバムだったけど、物足りなかったのは(4人になってからのゆるめるモ!に通して言えることだが)メンバーみんな声がさらさらし過ぎている点だった。とろみのないカレーといった感じで、かつてはそこにとろみを加えたり時にはドライカレーにしていたのはすいちゃんの透き通っていながらもクセの強い歌声や、ちーぼうの安定して上手いハスキーボイスだったりしたのだ。
さらさらのカレーもうまいもんはうまいし、4人の表現力も上がっている。特にけちょんは声だけでできることの幅が広がってきた印象がある。
それでも曲によっては、例えば「我が名とは」みたいなトラックがシンプルな曲ではとろみがほしくなってしまったりもするのが本音。逆を返せばさらさらのカレーが合う曲がまだそんなに多くないんじゃないかとも思う。(というか「よいよい」並にさささに合う曲があれ以降出てないじゃねーかと言いたい笑)


自分が思っていた以上に、好きな理由は多様でかつ建築物のように複雑ながら強固に組み上げられたものだった。それもネジや釘を使わずに頑丈に組まれた木材のような。

大きな柱がひとつふたつと抜けてしまったゆるめるモ!は、ゆっくりとじっくりと、残った柱と枠組みに自ら手を加え、時間をかけてまた新たな建造物を仕上げつつある。苦しいに決まっているのに止まらないことを決め、歩み続けていることに強さがある。

きっと6人の姿にはもう戻らないけれど、バラバラになっても6人のことは変わらず好きだし、たぶん自分もそうだって人は多いと思う。
ときには止まったりもしながら、時間がかかってもそれぞれにそれぞれの幸せや実現にちゃんと辿り着いてくれたら言うことはない。

とりあえずはさささのヘルニアが治ることと、すいちゃんにいいことがいっぱいあってほしいなぁ、と願う今日このごろ。