42 それなりな生き方を義務教育化しろ

永遠に人の幸せに加担し続けてそのうち何も得ないままそのまま死ぬのかもしれないと思うことが多いのです。
人に良くしてもらうと数倍返ししようとする癖があります。義理堅いつもりなのですがたぶん自分のためにならないんじゃないかとも最近思います。が、昔の人は情は人のためならずと言いましたね。
信じるものは打算的に決めたほうがいいんじゃないかとは思うんですけども。しかし心で動いてしまいますね。逆に心が止まるとピタリと動けなくなります。不思議なもんです。
自分が誰かの特別な存在になるというイメージが沸きません。自分にとって自分は有象無象であり霧なのです。誰よりも人と違っていたいと思うのとは裏腹に誰にでも埋もれているのです。無個性も大概にしろ。キレがあるのはアイドルへのクソリプだけか。
3、4分で終わっちまうミュージックで気休めしながら死ぬまで永遠に生き永らえるのです。だから人生における幸せなんてもの一番考えたくないんだ。
たぶん誰のことも幸せにできていないからこうなのです。まずはそこからですかね。
誰かのためになにかすることが自己満足の自給自足になってしまったら生きてても死んでても大差ないもん。

41 遠くの声なんて聞かなくていい

昨年4月末の発表、そのタイトルを見た瞬間に自分の中のあらゆるなにかの時間が止まってしまう感覚があった。今でもその記事を見ると同じ感覚を自分の中に再現できるほどの絶対的な衝撃。


2016年7月10日、ひとつも心が前に進まないままこの日を迎えた。
昼夜共に最高に楽しいライブだった。でも感性がなにかに阻まれてあまり記憶がないのも事実。


自分がゆるめるモ!の何に魅力を感じたのか。
唯一無二かつ多彩な楽曲達、被ることのない各メンバー特有の声質、枠にとらわれない自由なアクトスタイル、ゆるい雰囲気とパフォーマンス時の熱量のギャップ、そして意外にもシアトリカルなアイドルらしからぬ振付の数々だった。

2015年5月の赤坂ブリッツワンマンで、最も記憶に残っているのは実は「波がない日」だったりする。
ほぼバンドでやっていたその日のライブの数少ないオケパートの曲で、「眠たいCITY vs 読書日記」「メルヘン」といったド変化球な曲達にさささのレーザー不発トラブルで和やかなゆるさが妙に面白い空気感を作り出したあとの曲がこれ。イントロの出だしからパフォーマンス、最後に音が止まるまでのすべてがめちゃくちゃカッコよかったのをよく覚えている。
振付に関して言えば一番好きかもしれないのがこの曲。波を表現したかのようなサビの振付は、6人とは思えない質量と迫力を感じて圧巻だった。

この曲に限らず、ゆるめるモ!の振付はいわゆるザ☆アイドル…ではないものが多い。個々の可愛さを押し出して輝くというよりも、ステージにいる全員でストーリーやグルーヴを組み上げひとつのものを表現する舞台芸術的なもので、楽曲の世界観にさらなる解釈やストーリーを与え、さながら二次元を三次元に、三次元を四次元にするがごとく豊かに仕立て上げていた。楽曲であそこまでやっているのにさらに振付でも攻めた方向性を打ち出していたのだ。こんなに刺激的なアイドル、他にいない。ゆるヲタになってまだ3ヵ月、ライブも3本目くらいなこのとき。ますます惹かれていった。

調べてみると振付を担当しているのはなんとメンバーのもねちゃんで、この赤坂ブリッツの後しばらく休んでしまったしなんとなく話しづらい印象があったものの、こういった表現をできる子がいったいどんな子なのだろうと無性に気になり復帰を待ってチェキを撮りに行ったほどだった。(ちなみに、持っていたイメージと違ってすさまじく気さくで話しててとても楽しい子でした)


今日になって、ふと思い出したのが1年前の新木場で観た「SWEET ESCAPE」。
本来は専用の衣装を用いた振付で、自分はこの日に初めて真の振付でパフォーマンスを観たのだった。アイドルライブでフィジカルな楽しさと観劇後のような心のざわめきを同時に感じることができたのはこの日が最後だったりする。


もねちゃんの綺麗でクセのある歌声もダンスも振り付ける作品もふと目をやると突拍子もなく面白いことをしている姿も、ちーぼうのハスキーな歌声も時折そこじゃない感のあるフェイクの妙味も掠れ声での煽りも、当時はこれがもう見れない景色だなんて頭ではわかっていても理解できるようなものじゃなかった。
なくなったものがわかるのはなくなってから。それに1年かけて、少しずつ確かめるように、今でも気付き続けているのがこんな懐古ブログを書いてしまう理由。。
そして自分でも気付かないほど長い間、あの発表を見た瞬間から時間が止まっていたようだ。本当に最近になって動き出した気がする。


新木場ライブの終演後の「サマーボカン」のMV上映。
卒業発表時の運営の姿勢は卒業する二人の存在の大きさを自覚していることを感じさせるもので、それがこの演出につながったのだと思う。愛。ゆえに、粋。

ただ、この楽曲を含む当日から先行販売されたミニアルバム「WE ARE A ROCK FESTIVAL」は正直''失敗''だったと思っている。

コンセプトアルバムとしての出来はとても良いと感じる。全体的に明るく取っつきやすい作品でもあった。
これは「広めるために」と運営が前に進むための1歩として提示したもので、残るメンバー4人が違和感を覚えながらも作り上げた作品。卒業ライブから販売が開始されたということは、その前にはレコーディングもMV撮影も済ませていたことになる。どんな気分だっただろう。



7月。雨の少ない梅雨は余韻も残さず、気温だけが上がり続け否応なく季節は真夏に切り替わる。


CD1枚で夏フェスを感じられるあのミニアルバムを、蒸し暑い日に部屋でクーラーをかけながら聴いていた。カーテンを閉めても日差しの強さには否応なく気付かされた。夏空にぴったりハマるサウンドを聴いて、クセのなくなった滑らかな歌が耳から流れ落ちてゆくのにも気付かず、なにかが抜け落ちたままの心に考える力はなくなっていた。

あのアルバムでゆるめるモ!は新しいファン層を獲得したように思う。ただメンバーはアルバムについて多くは語らず、4人体制を盛り上げている従来からのファン達の姿もなんだか無理しているように見えてしまったのが正直なところ。でもそうするしかなかったし、それが良いところだとも思った。

ただ色々と素直な自分には、あの原点回帰と銘打った10月のリキッドをお世辞にも良かったとは言えなかったし、「楽しかった!」「最高!」と言う人たちとの温度差をすごく感じてしまって、なんともいえずモヤモヤしていた。全く姿を変えたあの日の「SWEET ESCAPE」に関してはひとつのパフォーマンスとしてすごくカッコよかったけど。


「WE ARE A ROCK FESTIVAL」に関しては、もう少し間を空けて、気持ちの修復とやるべきものを見極めてからでもよかったんじゃないかと今になって思う。
幸い「ギザギザフリーダム」みたいに好きになれる曲はあって(元々ロック好きだから)、当時はただ前向きに肯定して応援することもできたけど、それが精一杯だった。(自分自身の忙しさもあり、あまり現場には行っていなかったけど)


ゆるめるモ!の新作ミニアルバム「ディスコサイケデリカ」については前回書いた通り。加えて言えば、4人になってからの路線を苦悩のなか全うしたがゆえの強かさの上で結実した、元祖ゆるめるモ!なオリジナリティを取り戻しながらも進化を見せた快作だった。
ただ、その一方で、メンバーにとって試練となりながらも今に至る土台にもなった「WE ARE A ROCK FESTIVAL」以降のロック路線で取り込んだファンとはバッティングしているんじゃないかとも思っている。
このギャップをいかにして克服するか。もう1度目指すべきはZepp DiverCity。あるいは新木場STUDIO COAST。未だ完売の報がない赤坂ブリッツの倍の規模だ。本当に大事なのはこの次の作品だろう。


ちーぼうは千歳ちの名義となり、レッツポコポコでバッチリ活躍しているという。1度だけ観たけど、合っていていいな、と思った。(あの独特の煽りが見られないのは寂しい気もするけど笑)

もねちゃんは一花寿と名を改め(以後、すいちゃん)、Hauptharmonieに加入。好きそうな衣装を着て活き活きと踊っている姿を見て嬉しくなったけど、残念ながら先日解散してしまった。
この先なにをやるのかやらないのかわからないけど、1秒でも彼女が表現の場を失っている世界を心底残念に、そして悔しくも思う。彼女の表現と声が本当に好きだった。




……ここから先はいらんこと書いてると自分で思うなー。でもたぶんここまででもだいぶ書いてるし、出てしまったものだからそのままにするよ。



「ディスコサイケデリカ」はとても良いアルバムだったけど、物足りなかったのは(4人になってからのゆるめるモ!に通して言えることだが)メンバーみんな声がさらさらし過ぎている点だった。とろみのないカレーといった感じで、かつてはそこにとろみを加えたり時にはドライカレーにしていたのはすいちゃんの透き通っていながらもクセの強い歌声や、ちーぼうの安定して上手いハスキーボイスだったりしたのだ。
さらさらのカレーもうまいもんはうまいし、4人の表現力も上がっている。特にけちょんは声だけでできることの幅が広がってきた印象がある。
それでも曲によっては、例えば「我が名とは」みたいなトラックがシンプルな曲ではとろみがほしくなってしまったりもするのが本音。逆を返せばさらさらのカレーが合う曲がまだそんなに多くないんじゃないかとも思う。(というか「よいよい」並にさささに合う曲があれ以降出てないじゃねーかと言いたい笑)


自分が思っていた以上に、好きな理由は多様でかつ建築物のように複雑ながら強固に組み上げられたものだった。それもネジや釘を使わずに頑丈に組まれた木材のような。

大きな柱がひとつふたつと抜けてしまったゆるめるモ!は、ゆっくりとじっくりと、残った柱と枠組みに自ら手を加え、時間をかけてまた新たな建造物を仕上げつつある。苦しいに決まっているのに止まらないことを決め、歩み続けていることに強さがある。

きっと6人の姿にはもう戻らないけれど、バラバラになっても6人のことは変わらず好きだし、たぶん自分もそうだって人は多いと思う。
ときには止まったりもしながら、時間がかかってもそれぞれにそれぞれの幸せや実現にちゃんと辿り着いてくれたら言うことはない。

とりあえずはさささのヘルニアが治ることと、すいちゃんにいいことがいっぱいあってほしいなぁ、と願う今日このごろ。

40 ゆるめるモ!ニューミニアルバム「ディスコサイケデリカ」よさみが深いというかもはや幸せを感じるレベル

ゆるめるモ!のニューミニアルバム「ディスコサイケデリカ」がリリースされた。

春の東名阪ツアーでリリースが告知されたときから、「このアルバムは6~8曲くらいで初期ゆるめるモ!らしいファニーで踊れる曲が軸になるのではないか」と直感で思っていた。いやほんとに。

年始から春先にかけてのゆるめるモ!はロックスタイルに傾倒し、ゆるめるモ!が本来持っていた「ゆるさ」や「ちょっと間の抜けた感じ」といった特徴的な風味を押し殺し、これまでグループとして持っていたメッセージ性に焦点を絞ったライブや楽曲を提示してきた。
この時期の活動スタイルには賛否両論ありまくったと思われる。ライブを見れば一本芯の通ったものを魅せてくれるのだが、ではこれはこの先どうやって広がっていくのだろう……正直、この路線に絞ったままなら先が見えないような気がしてしまっていたのも事実。何度か書いた気がするが、自身のカラーの大半を占める過去のワークスを押入れにしまいこんでまでそんな修羅の道を行かなくても……という感じだった。カッコよいロック路線を行くなら強力な競合相手が多過ぎるし、ゆるめるモ!が他との差別化に成功していたのはその部分ではなかったと思う。そこは''そういう側面も魅せられる''というサブウェポン的な強みとして活きていたと考えている。

そんな折のミニアルバムリリース告知。一ファンの妄想として現状打破を期待して考えると、やはり先に書いたような感じのアルバムになる。つまりそういったアルバムを無意識で既に期待していた。

そして発表されたのは、鮮烈な赤色が刺激的なプライマルスクリーム風のジャケット(久々のオマージュジャケットなうえにとてもカラーに合っていたので、この時点でまさにUFO以前のゆるめるモ!が戻ってきたかのようで興奮した)に彩られた「ディスコサイケデリカ」。それはまるで思考を読み取られたかのように、およそ自分がイメージした通りのアルバムだった。
完全な後出しジャンケンだがこれは本当に思っていたことなのでそこはそう言い張っておく。なんとでも言ってくれ。

少なくともロック路線に違和感を覚えたゆるヲタ達がゆるめるモ!に期待していたことってこういうことなんじゃないの?と思う一枚。わからないけど。他のオタクのちゃんとした感想をまだ聴いてない。

ポップでファニーでディスコティックな「モイモイ」を皮切りに、「Electric Sukiyaki Girls」を彷彿とさせるミニマルテクノ「我が名とは」、心を優しく強く掴むような音と言葉のグルーヴを聴かせる「うんめー」、ゆるめるモ!では極めて珍しいラブソングとなるシューゲイズロックバラード「永遠のmy boy」などバラエティ豊かな楽曲がこれでもかと詰め込まれている。

比喩表現もだるいので、ここからは1曲ずつじっくり語っていきたい。


1.melted
作曲・編曲:ハシダカズマ
外国人の会話からはじまる小曲。言ってることはよくわからないが情けない男が女になんか言われてるシュールでゆるいアメリカンコメディ感のあるイントロダクションからはじまり、「ディスコ!サイケデリカ!」「ゆ!ゆ!ゆるめるモ!」というコールが繰り返されるファンキーなオープニングナンバーだ。
夏の野外で聴きたさがすごい。ビールとか飲みながら「ディスコ!サイケデリカ!」と叫びたい、そんな感じ。サマソニのアイランドステージとかでやってそう。行ったことないけど。YouTubeで観れるりんご音楽祭の「なつ おんぶるー」(箱庭の室内楽と共演)の雰囲気とも近いものを感じる。ちょっとアロハシャツとバナナ買ってくるわ。


2.モイモイ
作詞:小林愛 作曲・編曲:ハシダカズマ
アルバムの実質的なスターティングナンバーだが、ここまで気の緩む出だしの曲って今までなかったかもしれない。「ギザギザフリーダム」「モモモモモモ!世世世世世世!」「眠たいCITY vs 読書日記」「Majiwaranai CAts」……うん、ない。「あさだ」もまた違う。あれはあれでぶっ飛んでる。

雰囲気的には「ぺけぺけ」と近いものがある。あの曲は田家さんのバンドのリメイクシリーズのひとつだそうで、やはり''その''カラーが出てたけども、それを今現在のゆるめるモ!が作り上げてきた''らしさ''でもってアップデートしたような曲だ。とっっっってもゆるい。ゆるゆるである。そんなミドルテンポの踊れる感じである。
踊れる感じというかもうファンみんなで踊ろうという振付がある。PUFFYなどを手掛ける南流石御大によるもので、サビではひたすら頭を抱えながらピースをするというなかなか振り切れたやつ。これがとても楽しい。NHK教育でも使えそうな曲になっている。

それでいながら「もういい もういい 魂売りたくない今日は」とエッジの利いた歌詞をサビの頭にぶっ込んでくるあたりとか、「覚悟とか理想とか無理に言わないでいいのよ」といった従来的なアンチテーゼを示してくるあたりはまさにゆるめるモ!節。
しまいには「だらだら笑っていて」である。こんなこと大っぴらに言う歌うたいはなかなかいない。「がんばれ」と言ったり捻った言葉でがんばり方を説いてくるほうがたぶん世の中多い。 
そしてラストの「でも まあ 今日は踊りましょ」がこのアルバムのテーマそのものなんじゃないか?といまのところ思っている。

ちなみにサウンドにもメロディーにもハシダ節が炸裂している。サビ終わりのメロディーとか「その他のみなさん」っぽい。ギターのワウのかけ方とかフレーズのタイム感とかがまさに''ハシダカズマ''という感じ。これがまた相性抜群である。
これも「melted」と同じ印象で、やはり野外フェスでビール飲みながら聴きたい。あ、足元は芝生ね。これ大事。振付楽しいけど野外フェスだったらフリースタイルで踊りたいな。

ゆるめるモ!のニューアンセムになることは間違いない傑作だと思います。


3.うんめー
作詞・作曲:大森靖子 編曲:ハシダカズマ
ゆるめるモ!派として並々ならぬ愛情を見せている大森靖子からの初提供楽曲。
正直言うと、メンヘラ御用達なイメージがあるのと(形の善し悪しを問題にしなければ一応は乗り切ってしまった人間なのだ、自分は)、読んでみたブログの「この人はすごいとわかるけど肌に合わない」感がどうにも否めず食わず嫌いしていた大森靖子がついに曲を提供したぞ、ということでようやっと大森靖子ワークスに触れるに至った次第である。

最初こそ刺さらなかったものの、ライブで観てからかなり印象の変わった曲だ。
同じ短いメロディーを繰り返しまくるサビには中毒性以上に''握力''を感じる。ギターインストとかハードロックの文脈でこのメロディーをやると叩きつけるようなインパクトあるグルーヴになると思うのだけど、そういうグルーヴで優しく包み込むようなことをやっているのがこの曲という印象。ゆるめるモ!が元来持つ''優しさ''という力のステータスをやたらと引き出す高攻撃力の武器を装備させた感じである。これは単にメロディーだけの話ではなく、そこに当て込む言葉選びのセンスが成せるワザでもある。

そして''SSWからの提供曲はハシダカズマがアレンジする''の法則がこの曲でも発動していて、サビの歌がある部分のアレンジを極力シンプルにしているあたり実にわかりみが深い。編曲家としての優秀ぶりが伺える快作になっている。
日陰者なりの強く惨めに美しく生きる術が言葉・メロディー・アレンジ、そして歌にすべて込められている。「絶対ぜんぶうまくいく歌」という無根拠ポジティブ全開のパワーワードがこの楽曲の核心でありそのものでもある。


4.我が名とは
作詞:小林愛 作曲:田家大知・松坂康司 編曲:松坂康司
前曲までとは打って変わってシリアスめな空気が漂う、「Electric Sukiyaki Girls」の「生きろ!!」と「スキヤキ」を掛け合わせたようなミニマルテクノナンバー。3:7くらいの比率かな。
使ってる音も似てる。制作陣も同じだしこれは狙ってるに違いない。歌にしてもけちょんの低音シングが特に「生きろ!!」のそれを彷彿とさせて「ESG」感が出ている。

歌詞の古典的表現の巧みさもまたその印象を決定づけるもので、こういうのも小林愛節のひとつである。十八番という感じ。
ゆるめるモ!ってのはロック然りなパワータイプのボーカリストがおらず、声に優しさが溢れまくっている人たちの集まりなので、こういうワードを隙間なく敷き詰められても質の良い化粧水のように刺激なくすっと染み込んでくるのです。化粧水使わないけど。

あと「生きろ!!」×「スキヤキ」感っていうのはなんかこう、バトルレックスとあくまのきしを配合してコアトルを生んだあの頃のような感覚がある。テリーのワンダーランドは名作ですよね。わかる。(わからない) この例えのくだりいらなかったね。

それはそうと、冒頭に書いたイメージしていたアルバムが「ESG的なもの」だったこともあり、なかなか嬉しい曲だった。ゆるめるモ!には珍しく、''過去やったことある感じの曲''でもある。
とても好きなのだけど、いかんせんミニマルゆえにシンプルな曲で、イントロは短くアウトロはなく極端な転調などもしないのでアルバムの中では流れていってしまう感覚が強い。このアルバム、1枚を通してテンポ感とかがあまり変わらず、構成上の印象的なフックがないのだ。ちょっともったいないポジションに収まってしまった感が否めない。

例えば「うんめー」とこの曲の間に「メルヘン」みたいな曲を挟んでリズムのストリームを一旦止めてみるとか、そういったアクセントがほしかった。スローダンスなんかもいいと思うのだがそういうのは最後の「永遠のmy boy」まで登場しない。
アルバム通して聴くとあまりにも流れていってしまうので1曲リピートをしまくっているけど全く飽きないなこれ。


5.デテコイ!
作詞・作曲・編曲:ハヤシヒロユキ
ポリハヤシ提供第3弾。これまたファニーな曲で、いくつかあるゆるめるモ!らしさの中でも新しめなほうの''らしさ''を全開にさせている。
結構トラックがハードなのがその要因だが、そこはやはりグループのカラーを作ってきたメインライターがいる中でハヤシが自身の領分をしっかり理解して製作しているがゆえだろう。

つまるところどういう曲かというと、「不意打て!!」ばりにフロアが(愉快な意味で)地獄になりそうなエレクトロパンクナンバーなわけです。アイドル的な(というかアニメキャラ的な)可愛さもふんだんに盛り込んでいるのがあざとい。ぎゅ~。
ちなみに「不意打て!!」のあの凄まじく軽い打ち込みでトランス感出すのとは違って、近年のパンク色のある感じを絶妙なバランスで織り込んでいる。ライブでも良いアクセントになりそうな曲。跳ぶしか!

そしてこの曲、けちょんの歌が覚醒しまくっている。その点だけに着目しても「おっ!」となるレベルのやつ。
KAWAIIハードコア銀河」や「WE ARE A ROCK FESTIVAL」諸作のパンクロック色が強い曲の中でにわかに萌芽した才覚を、ハヤシが見事に開花させている。なんせあの人、O-EASTのワンマン見てけちょの歌声を絶賛していた。伸ばすべきとこ・芽が出てるとこをしっかり見つけて的確に栄養を与える''眼''こそがゆるめるモ!にとってハヤシに楽曲提供してもらう最大のメリットなのかもしれない。
ちなみにサビを繰り返してフェードアウトしてく感じはとっても珍しい。そもそもバンド寄りのライブアイドルの曲でフェードアウトがまず珍しい。なかなか新鮮です。


6.ミュージック 3、4分で終わっちまうよね
作詞:小林愛 作曲:田家大知・M87 編曲:M87
このアルバムでぶっちぎりで一番やばい曲。
「Only You」のようなフィードバックから意表を突いて幕を開けるのはブチ上がり系お祭ソング。活きの良いアッパーなロックナンバー……かと思いきや、歌い出すとなんとAメロがひたすら罵倒。しかもかなり辛辣。凄まじく生々しい。

「なにまできない腰抜け野郎」「幸薄い影薄い」「メソメソそんなよクズ野郎」「見てるだけでストレス溜まる」「なんでアイドルやってんだ?」「口先だけの腰抜け野郎」「いてもいなくてもどうでもいいわ」「ぶつぶつ言うなよクズ野郎」「幸せになれるわけないよ」……いやもう想像するだけで便所飯不可避なワードリンチのオンパレードである。便所飯やったことないけど。
その上お祭みたいなコーラスで楽しげに囃し立てる。おいなんだ貶されすぎてとうとう気が触れたか、と言いたくなるレベルである。

このザクザク抉る罵倒フレーズの数々は、なんとメンバーが実際に言われてきたことを言われた人自身が歌うという史上類を見ない自虐ディレクションによるものだという。いくらなんでも攻めすぎである。心身共に激しく健康なときじゃないとこんな芸当はできない。つまるところおそらくこの曲作ったときのメンバーのコンディションは軒並み最高であったと思われる。

何気なく言われてつきまくった消えない傷もいま立ってる場所の土台になっている、というのは割と人間全般そうなのだが、いくらなんでもオープンにしすぎなレベルだ。すげえ。一昔前に流行ったスケルトンタイプよりも色々見えてる。

それでも、それでも!なにかできる気がしてしまう、と言う。なにかしたい、寄り添いたいと強く歌い上げる。ある時期からメンバーが口にしはじめた「ずっと逃げ続けてきたけど、ちゃんと逃げていいんだよって言ってあげられる存在になる」という意志表示ゆえにここまでのことができるのだろう。傷口を風に晒し岩塩でできたナイフでメッタ刺しにしながらも暗がりから抜け出す先陣を率先して切る切り込み隊長的な楽曲である。それにここまで実例出されたら説得力も生まれるというものだ。歌い手のバックボーンがぼやけた応援歌なんかより何倍も響いてくる。

そしてさらに尖ってるのが、音楽と音楽の力にこだわってきたグループでありながら「音楽は気休めなんだ」と言い切ってしまう点。おそらく音楽やったり聴いたりする人間のなかで何割かは気付いてしまうことだと思うのだが、全面的に歌にしているのは見たことがない。
THE YELLOW MONKEYが「人生の終わり(FOR GRANDMOTHER)」という曲の中で「僕が冒されたロックンロールに希望なんてないよ あるのは気休めみたいな興奮だけ それだけさ」と歌う一節がある。それを思い出したくらいだ。

現実的な無力さを自覚し、達観と諦観を一晩寝かせて熟成させ、それでも!と届けようとするエネルギーはハンパじゃない。
しかもゆるめるモ!が「触れようとする」のは「心」じゃなくて「心臓」だ。抽象的なアグレッシブさを脱ぎ捨ててダイレクトに存在をねじ込もうとする捨て身の乱打。ドラクエでいうと「すてみ」は守備力をゼロにして強烈な一撃を喰らわす技だが、これを3:58(まさに3、4分)の間打ち込み続けている。
ネガティブなところからポジティブなところに行くときって凄まじいエネルギーが必要なのだが、それが一番強いときの熱量を生々しくパッケージした曲になっている。
「歌で世界は変わらないなんて そろそろ言ってる場合じゃない!!!!」んだって。それが彼女らを突き動かすすべてだ。

※ちなみに「アイドルに罵倒されるのたまらん」という需要もあるそうです。


7.震えて甦れ(Remastered)
作詞:小林愛 作曲:田家大知・ハシダカズマ 編曲:ハシダカズマ
ぶっちゃけなんでミニアルバムにシングル曲入るねん、と思っていたが、流れで聴いてみるとこの曲の存在感がガラリと変わることに気付かされる。
前曲から間髪入れずにはじまる音のつながりもさることながら、反逆をテーマにした歌詞が「ミュージック 3、4分で終わっちまうよね」の続編的にも思えるのだ。なんというか「ミュージック~」に''エピソード・ゼロ感''を覚える。あるいは''意志''の部分にクローズアップしたかのような曲になっているのである。元々続きものとして「ミュージック~」が先にあったんじゃないかというくらい流れがハマっている。
このアルバムのために作られたような気さえしてくる。前半ここまでカラーの違うものをやっていながらそう思わせてくるあたり、「参りました」というほかない。この曲は間違いなくこのアルバムの1曲として再評価されるべきだ。

既発だが念のため紹介しておくと、ヘヴィーでダークな世界観にフィードバックノイズこと上野翔が全編にわたり炸裂している奇天烈なロックナンバー。やたらめったら転調するわ変拍子バッキバキだわで聴き慣れてないと本当にうなぎみたいな曲だが、祭囃子のようなサビのリズムなど意外にも踊れる要素は多分にある。サウンド面での「ディスコサイケデリカ」を体現しているような楽曲だ。


8.永遠のmy boy
作詞・作曲:Sundayカミデ 編曲:告井孝通
本作で唯一、完全に新規の制作陣による楽曲。シューゲイズ風味のロックバラードで、ゆるめるモ!には極めて珍しいラブソングである。Aメロが本当に最初の1回しか登場しないという少し変わった構成をしている。
外に向いていろいろなんやかんや歌ってきたなかで、やはり異彩を放つスローダンスのこの1曲。「NNN」のような感じではないのだが、どこか静謐な雰囲気を湛えている。なにより歌にフォーカスを絞っているような仕上がりになっている。
内気な自分をちょっとでも変えたくて夜寝る前にするほんのちょっとの決意を、静かな喧騒の中でじっくりと歌い上げるのだ。

なによりこの曲のキモになるフレーズは、サビの頭で印象的に響く「バカヤローさ」である。
自己を叱咤する自虐フレーズは数あれど、およそ''女の子が言うものではないと思われている''言葉であり(ともすればとても現実的だ)、そういった言葉の中でもひときわ鋭いものをセレクトしたといえる。飾りのないこの選定は先の「ミュージック 3、4分で終わっちまうよね」を作り上げたゆるめるモ!にお誂え向きではないか。一人の人間の素直で純度の高い内なる闘いが、この1フレーズだけで見事に表されている。
サビ前にブレイクが入るのもこの一節を最大限に活かすためのものだと思われる。「バ」という音素の強さも加味されているだろう。

ちなみに、この曲案外あっさり終わってしまう。ここからは曲ではなく構成の話になるのだが、アルバムの締めにしてはちょっとあっさりしている。なにかシメのトラックや長めのアウトロがあってもよかったのではないか。それこそ「melted」の外国人の会話をまた最後にやって、アルバムの内容がアメリカの家族だかカップルが観てるテレビの中のことだった、みたいな雰囲気の演出があってもよかったのではないか、という気がする。ちょっと余韻が物足りなかった感はある。

ギブソン社が選ぶドラマー第8位にジョシュ・フリーズという人がいる。かのガンズ・アンド・ローゼズアヴリル・ラヴィーンゆるめるモ!周りでわかりやすいとこだとDEVOでも叩いていた人である。日本ではB'zのシングルに参加したり、吉井和哉のレコーディングやライブに何度か顔を見せている。
「melted」の冒頭でそんな彼のソロアルバムのラストナンバーを思い出したのだ。
妙ちくりんなパンクナンバーをやり切ったあと、突然電話で話す女性の声が聴こえる。しばらくすると打ち込みのリズムトラックが流れ出し、その電話の声がスクラッチで何度もサンプリングされる。正直何がしたいのかよくわからないが、なんだものすごく印象的だった。それまでのアルバムの曲のことは何一つ覚えていないというのに、あの謎箇所のことはよく思い出すのだ。

ちなみに世界的な人気ドラマーであるにもかかわらず、自身のYouTubeには完全に意味のわからないサイケデリックな映像をいくつも投稿している。デキる男は違うというが、デキすぎる男はヤバいのかもしれない。

脱線したけどまぁ、「我が名とは」にしてもそういうSE的なものなどを上手く駆使すればアルバムの全体像にメリハリがついたのではないだろうか、と思うところがある。足りない部分を補う楽曲を追加制作してフルアルバムにしてもよかったのではないかとも思った。
まとめると、楽曲群は文句無しの満点どころかダブルスコア、構成上の詰めの甘さだけはどうしても見えてしまった、という感じ。

ただこれ、今までゆるめるモ!が出したCDの中で一番人に薦めたいCDなんです。
最初に書いたロック路線も含め、通ってきたすべての道を糧にしてこの作品を作り上げた今のゆるめるモ!には、かつてないほどの勢いを感じています。たぶん今までで今が一番いい。
昔は個々人バラバラなパフォーマンスだったけど、O-EASTのワンマンではメンバー全員でひとつの''ゆるめるモ!''という存在を構築していた。ここでやっと''グループになった''と言えるのかもしれない。足並みが揃い互いのことをよく見つめ共に同じ方向へ迷わず進みその道を行く自らを信じる、ということができるようになった今、その延長で生まれたこの作品には凄まじいプラスパワーと多幸感が詰まっている。
「これこそがゆるめるモ!」って大声で堂々と言えるような、そんなミニアルバムが最新作という今がとても嬉しい。

積んでます。

39 不毛と産毛(見えにくい)

新入社の自分と共に配属されてきた上司は37歳で初めての子供が生まれるのだという。大柄でガッシリした気の良いビジネスマン。

27歳。まだ先はあるな、と思えるのはいろいろな種類の人に出会ったから。
若いときほど人生に対して卑屈だった。今くらい前向きに、学生のころ生きられていたらどれほど人生は違っていただろう。そのぶんだけ人と違ったものを得られているかはわからないし、使いどころがない環境にいればずっと気付かない。

アイドルオタクをやることでなにか先があるのかということはそれなりの頻度で考える。推しが将来の彼女や嫁になることはないし(応援する上でのポリシーだし、それにそもそも彼女できたことないから無用の心配)、その場その場の楽しさでリフレッシュして活かされているのは確かだけど、刹那的ゆえの熱量に人は惹かれがちだということに気付くのは幸か不幸か。


5年前のアルバイト先で一目惚れした同期は今でいうと木村文乃似で、それから今に至るまでいろいろな女性に会ってはきたけど忘れられなかったのは彼女一人だった。

当時の自分は今より様々な点で終わってたし、勇気も度胸も忍耐力も粘り強さもなく、理系4年生で研究漬けだった彼女に脈がないとあっさり引き下がってしまった。卒業してからは学生時代よりも遥かに誘いに乗ってくれる雰囲気が出て驚いたのだけど、その時は自分も日々忙殺で流れてしまったのだった。

LINEでの会話も苦手で、いまひとつ気楽にやり取りができない。誰に対してもそうなのだけど、淡白だったりぎこちなかったりする。反応に不安を覚えるのは日常茶飯事。結局気の利いた返しが浮かばず返せなかったこともある。

久々にきっかけがあって彼女に連絡を取っている。当時のバイト仲間(後輩)から飲みの誘いが来て、呼びたい人を呼んでほしいと言われたので真っ先に声をかけた。
理系4年生からなぜか銀行員になってしまったという彼女は「残業ない日なんかないよ」「転職考えてる笑」という。

彼女に限らず、学生の頃明るかった友人達の多くが就職してから軒並み暗くなっていることがここ何年かの悲しいことのひとつ。理想と現実の乖離、ブラック企業、遍く理不尽、こんな日本はさっさと滅べよというくらいTwitterには溜息が溢れ、夢を煌びやかに語るのは夢追いフリーターくらい。

卒業してからフリーターへ、そして今は契約社員と来て幸い人にも恵まれている環境で、さしあたって辛いことのない自分に罪悪感を覚えてしまっている。そしていま前向きに生きられている自分がいま彼女になんと声をかけたらいいのかよくわからないでもいる。

何年も会ってないのに強く縁を求めたい唯一人の女性にとって、深いつながりはできずとも一瞬の気晴らし程度にはなりたい。という乙女心のようなものを抱きつつ、軽快に飛ばすLINEの胸のうちは車軸が外れたままなんとか線路に乗っているトロッコのようで、時折不快な金属音が聴こえるし火花も見える。

もし彼女がそう望めばドルヲタはやめるだろう。女友達と二人で飲むこともしなくなるだろう。そのくらいの思い入れがあるとはいえ、それが自分の人生なのかは神のみぞ知るところ。そうでなければいつかはキッパリと切れる瞬間が来なければならないんだし、曖昧で居続ける時間をいくら引き伸ばしても仕方がない。

とはいっても、不器用なのは彼女も同じだったりする。人付き合いに器用なほうではなかった。
なにかが凸凹なままの我々に落とし所はあるのだろうか。

でもなにかが変わるときはいつも一瞬。

38 物語は続かない

 「ルビー・グルーム」というカートゥーンアニメがある。ドラキュラやフランケン・シュタインなどの水木しげる作品に準拠して言えば西欧妖怪にあたるキャラクター達が登場する海外アニメで、ハロウィンモチーフをこよなく愛する身としてはやはりこういったものも大好物であると胸を張って言うことは二酸化炭素を排出する行為に伴って自然と行われるもので、ともすればあるときの無料放送で録画したのだった。
 予想に違わず世界観は全くもって大好物であったのだが、いかんせん内容が面白くなかった。「内容が微妙だった」以外の記憶がすべて抜け落ちるほどには薄味の退屈な脚本と演出であった。口に白い異物が残らないほどに薄められたカルピスを飲んだときのようなかぎりなくぬるい地獄がそこにある。牛乳で割っていたらどんなに美味しかったろう、と幼少の頃母に教わった''カロリーの純白魔女''たる追想と比較して余計に辛どくなってくるのであった。なんとまあ期待しがいのない… やむを得ず出張った腹の引込みに於ける怠惰っぷりに重ね重ね落胆をしてみせるのだった。

 2001年9月11日の夜分、自室の小さなブラウン管テレビで母と死闘を繰り広げてる自分がいた。目玉のついたゲル状のマスコットを、同色同士くっつけることで消し去り、それにより生まれる爽快感を楽しむと共に、質量保存の法則に従い偶然にも、そして不運にも相手のテリトリーに廃棄される透き通ったこれまたゲル状の生物を無数に積み立てることで爽快を求めんとする、そして相手の精神にのっぴきならないストレスを与えることをまた快感とする、そういった対戦遊戯である。無論劣勢に甘んじればストレスは自らを飲み込む洪水と化しこの身に焦燥を掻き立てる。己の安息のために相手を徹底的に叩き潰さなければならない。この戦いに互角の文字はなく、一方が活きれば他方は窮する。すなわちこの対戦落ちゲーは生きるか死ぬか、生き延びるか殺されるかの真剣勝負、否、生死を賭けた闘争なのだ。だというのにこいつら、ぷよぷよしやがって。ちなみに「通」である。
 あまりにも手を抜かれた命名を飄々と生きこなすカエルにプログラミングされた気の触れた戦術を我がものとし肉親を追い詰めるその最中、当時最新の「ニュース受信機能」を有していた母の携帯電話が聞いたことのない音声を発した。聞きなれぬ通知音は異変を感じさせるに充分であり、一番大きなテレビのあるリビングへと駆け出しわずか数歩先、リモコンにより光を得たテレビが最初に映し出したのが飛行機の映像、数秒後が惨劇であった。当時何を感じたのか、「思ったことを書け」などと漠然と宣う小学校の国語のテストに椎茸のそれに匹敵する過剰なまでのアレルギー反応を示していた自分にその記憶はあるはずもなく、その映像を観るに至る過程の景色だけが記憶に壁紙のように貼りついていた。

 17歳にもなるとインターネットの友達と東京で遊ぶなどという、分不相応な交流を楽しんでいた。否、当時のコミュニケーション能力の無さはといえば今では考えられないほどの無間地獄であり、声は小さく不潔、ただの気持ち悪い変なデブという印象しか与えられずにいた。ちなみに分不相応というのは、少なくとも当時の小遣いでは東京と地元を往復するだけで全財産が枯渇するような地域に居住、そして通学していたことがその理由である。
 立川駅のすぐ近くにある小さなラーメン屋の杏仁豆腐が美味しかったことはよく覚えている。その集まりに参加していた1人のオタク女子は、男子校通いを匠の域にまで磨き上げ、「女性とは架空の性別ではないか」と真剣に仮説を立てるまでに至った当時の自分から見れば紛うことなき美少女で、まぁ少なくともそこらのオタク女子よりはなんとも言えず可愛かった覚えがある。記憶の彼方のことなので、今の価値観で評価をすることは精神物理学的に困難を究める。爽やかにしたミルクのような白をイメージさせる少女であった。なお歳上である。
 同じコミュニティで知り合った福島の肉塊男子は彼女に恋心を寄せていたが、「私、レズだから」の一言にあえなく撃沈したという。かける言葉もなかったが、しかしありきたりな物語のようにフラれていたほうが慰めづらかったような気も今となってはするのである。

 将来とは何か。目先の遊楽に身を委ねることのみをただ善しとし、かといって聡明な友人の人生設計を莫迦にすることはせず、不器用なりの応援をし、ただおそらく影では阿呆だ愚者だと言われながらそれに気付かず、ありとあらゆる妥協の果てに詐欺まがいの偏差値稼ぎを行うみみっちぃ某大学の某学部に進学した。同級生であればこのレベルの大学しか通らなければ迷わず浪人を選んだであろう。2、3年に一度は東大現役合格を実現する進学校であったのだ。しかしあまりの己の怠惰を冷静に省みた結果、愚息目は浪人したとて、「人生経験」という無意義な有意義さに目が眩み遊び呆け失敗を繰り返すだろうと予測した。そして安易にモラトリアムに踏み込んだのである。
 高校時代の暗澹たる自己の水脈を清めんが如く、大学からは明るく振る舞おうと努めた。言うまでもなく途端に無理が生じ、ごく普通の大学生の輪の中で胃に穴を空け、逃げるように才気溢れる社会不適合者達の切磋琢磨の鍛錬場に雑用を求めて出入りした。ただ手近な憧れの近くに身を置き自らの無味乾燥をカムフラージュしたかったのであろう。しかしながら一寸の虫にも五分の魂、意地と忍耐により理不尽に(あるいは無知が招いた)襲い来る修羅場を辛くも超え、類まれなる処理能力を我がものとするに至った。
 失ったものも大きかった。いいように使い潰され、借金は残り、2年間空けた大学に友はおらず、既に忘れ去られた基礎知識を用いて行われる専門的講義による単位を100ほど狩らなければならなかった。
 当時想いを寄せていた''戦友''たる女性のただ一言の叱咤に清い冷水を浴びせられたかのように覚醒し、以後もう少し自分に優しく生きようと決めた。もしかすると、大学に入ってからの波乱の体験の数々は、ただその一言を信頼のおける友から頂くためだけに与えられた経験だったのかもしれない。

37 こないだのゆるめるモ!のSHOWROOMに関してなにがここまで納得いかないのかという話

びっくりするくらい文章がゴミみたいだ。情緒不安定です。まとまりがありません。大変お手数をおかけしますすが、心の骨を抜いて軟体動物の気持ちで読み進めて頂きたいと思います。


先日のSHOWROOMは本当に不愉快でした。(上に貼ったやつです)
O-EAST、仙台ニューニューという素晴らしい一連のライブを観て推しモチベが完全に安定したと思った矢先、この放送での発言一つでそのモチベが三途の川の水の温度を測れる場所まで運ばれました。河原の石の模様だって模写できます。※この記事書き終えたあと力尽きて他界


28:30あたりからの発言なのですが、
「物足りなさを狙った」
とか
「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」
って言ってるあたりなんですけど。

そもそもアイドルのワンマンの意義について自分なりの考えを書きますね。てかたぶんメンバー的にはアイドルよりバンドみたいに見られたいとか思ってるかもしれないのでどっちにしろ「普段対バンライブをしてる人たちがやるワンマンの意義」について書きますね。


シンプルな話、

「ライブいいなあ。好きだなあ。5,6曲じゃ物足りないなあ…」

「たっぷり観たいからワンマン行こう!」

だと思うんですよね。
その人達だけを観たくて行くんだから、徹底的にその人達の音楽を楽しみたくてワンマン行くってことですよね。


糞フリーターですが一応経営学科卒なので客商売の話をします。

経営学の超基本的な話で(さんすうで言うところの「1たす1は2」と同レベルの基本)、「顧客は商品を買うのではなく商品を買うことによって得られる満足を買っている」という定説があるんですね。

実際そうだと思います。
なにか食べたいとき、美味しそうだと思ったものを買います。
なにか読みたいとき、面白そうだと思ったものを買います。

ほんとそれだけの話なんですけど、ここで最初の話に戻りますね。

  • 「物足りなさを狙った」
  • 「ライブだけじゃ物足りないと思ってもらえたら大成功」

「物足りなく感じてもらう」ことを目的としたと。ほう。


過去のワンマンライブはだいたい前売券で4,000円~4,500円ほど。今回も4,500円。
セットリストに関しては、2016年7月の新木場公演までのワンマンは1公演25曲超えが当たり前のボリュームあるライブが特徴でした。
多彩かつクオリティの高い楽曲を多数聴けることがゆるめるモ!のワンマンの醍醐味のひとつだったと思います。


4人になってからのセットリストはメンバーが考えているそうです。
昨年のリキッドルームでは22曲ほどと若干減り、先日の東名阪ツアーではなんとアンコール含めて15曲という、一番多いときの半分ほどの曲数しか演奏されませんでした。物足りなかったという声も多く聞かれたものの、ライブ自体のクオリティは高かったと思います。
一番上に載せた先日のSHOWROOM放送ではそのセットリストについての解説のくだりがあり、その中で今回の発言があったわけです。


ゆるめるモ!だけを観て満足しようと思い5,000円近いチケットを買って来たお客さんを満足させないことを目的としたライブだったんだ。と。
そう解釈してしまうことは意地悪でしょうか?自分は聞いていて自然とこう捉えました。


「伝えたいことを絞った結果スマートなメニューになった」とかってのは言いたいことはわかるんですよ。ただもうこの発言なんですよね。「物足りなさを感じてもらう」っていう。

曲数の少ない対バンライブを観て「もっと観たい聴きたい」というファンのために行われるのがワンマンなのではないのでしょうか?
ライブだけじゃ物足りないって感じさせたいって、じゃあとなにがあるんですかね?
オフ会イベントの集客に力入れるための計らいなのでしょうか。最近ただでさえライブが少なく、オフ会イベントなんかもっと少ないですが。
あるいは普段のイベントの動員に力入れたいんでしょうか?そっちのほうが曲数少ないのに?そんなこなぁないわな。


「ワンマンライブに行く」っていうのはファン活動の最高到達点だと思うんですよ。
好きなメンバーと会って話してチェキ撮って、ゆるめるモ!だけのライブをたっぷり楽しみに行くわけじゃないですか。それ以上のことってないじゃないですか。だから1,000人以上も集まるんじゃないですか。
ゆるめるモ!で身も心もいっぱいに満たしたいから行くんじゃないですか。ワンマンライブに。


そこで満足させる気がないと公言してしまうなら、そもそもファンを満足させる気がないってことなんですよ。


無銭ならいいんですよ。物足りなかったなあ、お金払ってもっと観れるなら観たい!って思わせたらそれは大成功だと思います。てか無銭でやることですよね?これ。
今回のツアー、前売4,500円/当日5,000円の有料ライブなんですよ。今までならこの額でめいっぱい楽しめたんです。あれもこれもって様々な楽曲をやりながら、ただ雑多なだけではない大きな芯の通った素晴らしいライブを魅せてくれていたんです。


「物足りなさを感じさせて他のイベントにも来てほしい」とか言うなら高い金払わせてワンマンなんかやるんじゃねえよ、って言いたいんです。
社会人なんかはいいとしても、中高生くらいのファンも少なくないと思います。中高生にとって5,000円って重いですよ。例えば自分の場合は高校のころバイトできなかったのでお小遣い制でしたが、当時の自分にとって5,000円というのは2ヶ月分の給料に相当します。



なんのためのワンマンなんですかね。
普段の対バンライブで興味持ってもらって、ワンマンでたっぷり聴かせてこそ真髄が伝わるってもんだと思うんですが違うんでしょうか。
ワンマンのその先で見せたいものってなんなんでしょうか。自分たちだけのフィールドで不完全燃焼させておいてまで見せたいものって、なんなんでしょう。なんかあるんですかね。わかんないです。



ゆるめるモ!はいっつも良いライブ魅せてくれるから、安くないお金払ってでも観に行ってたんですけどね。なんだかお金払って観ることに抵抗感じてきてしまいました。満足させる気ないなんて言われてしまったらね。


なにも言わないでくれれば勝手に捉えて勝手に楽しめてたのに。好きだからなんでも前向きに捉えて悪いところは運営のせいにしていくらでも楽しんでいられたのに。

なにが悪いってこれがメンバーの意志だというのが明確なことなんです。
メンバーの意志であることがわからなければ運営叩けば済む話なんですよ。
オタクは推しが好きだから推しのことは叩きたくないんですよ。なにも知らなきゃ運営がやってるって普通は思うから運営が捌け口になるじゃないですか。そういう役割を担って下さってるところがあるじゃないですか運営の方々って。

でも今回はメンバーの意志でやってることで、その意図もメンバーの口から説明されたんですよ。
推しを叩きたいオタクなんかいないんですよ。好きな人を批判したい人なんかいないんですよ。別にガチ恋とかじゃないけどさ、それをしてることが本当につらいんですよ。地獄みたい。


自分も発言には気をつけようと思いました。

36 ゆるめるモ!の統合と炸裂 - バトルニューニュー仙台公演「恐るべき子供たちが帰ってきた」

懐かしの旧「ゆるトロ(slo-モ!)」で登場したメンバーが両手を掲げると即座に歓声が上がる。オープニングナンバー「べぜ~る」からスタートしたライブは、やる気なさげなゆるすぎる煽りなどパフォーマンスも当時を踏襲したもので、続くグループの始まりの曲「ゆるめるモん」を経て行われたMCもゆるみを極めていた。

今回のライブはゆるめるモ!がデビュー当初から行っているツーマン企画「バトルニューニュー」で、通常は異なるジャンルのバンドなどをゲストに迎えて開催されるのだが、仙台公演では現在ゆるめるモ!VS過去ゆるめるモ!という異色の対バンが組まれた。

トップバッターの過去ゆるめるモ!は、当時リリースされたDVDのタイトルにちなみ恐るべき子供たちと称し2014年から招聘された。
この恐るべき子供たちはライブだけでなく、なにも話すことを決めずラフに行っていたMCや「普段は8人で活動してるんだけど今日は4人お休みでね」とメンバーの休みが多かった状況をうまく再現。衣装もアルバム「Unforgettable Final Odyssey」リリース当時の、DEVOを意識したものだ。

とりあえずようなぴがMCの進行をするものの、今では考えられないすさまじくgdgdなMCに笑いが起こる。突拍子もなく「さっき鼻血出た」とか言い出すしふぉん何も喋らないあの、「わー」「すごーい」とまったりしたけものフレンズみたいなけちょんなどが脱力の限りを尽くす。とりあえず2017年のようなぴが召喚され今回の「バトルニューニュー」の趣旨説明が行われた。

カウベル持ってる人ー!」とこれまた懐かい呼びかけから「あさだ」へ。2015年に再録されているが、今回は「Electric Sukiyaki Girls」収録の原曲、かつイントロのドラムがカットされたバージョンで、ローファイなベースラインがカウベルと共にフロアに響く。さらに1stフルアルバム「Unforgettable Final Odyssey」にも収録された初期の雰囲気を象徴する「ぺけぺけ」を続けて披露した。

雰囲気はゆるいながらも、ライブが熱いことは当時から変わらない。「ゆるめるモ!の歌詞を書いてくれてる小林愛さんのバンドの曲です!」と続けて歌われたのは当初からのレパートリーである「白玉ディスコ」。サークルモッシュが発生し、さらに代表曲「逃げろ!!」でフロアの熱量は増していった。

「2017年のゆるめるモ!さんがんばってるね~」とものすごく他人事のようなMCが繰り広げられ、あのは勝手にどこかに行くという相変わらずの当時ぶりを炸裂させる。曰く「そのへんの山に行ってた」。
がんばっている未来のゆるめるモ!に宛てて「生きろ!!」を披露すると、当時の定番曲「manual of 東京 girl 現代史」と続け、最後は「なつ おん ぶるー」で再びサークルモッシュが起こり、フロアがぐちゃぐちゃになったまま過去ゆるめるモ!のライブは幕を閉じた。



懐かしい曲で固めた2014年のゆるめるモ!によるライブの熱も冷めやらぬ中、ガラリと雰囲気を変えたロックサウンドのSEと共に今度は最新の衣装をまとった現在のゆるめるモ!が登場。

こちらは最新曲「震えて甦れ」でライブをスタート。力強いメッセージと共にフロアを踊らせると、続けてミニマルディスコチューン「スキヤキ」を披露。「スキヤキ」は2014年リリースの楽曲でライブでも定番のナンバーだが、2017年に入ってからは「Only You」「id アイドル」といった重要曲と共に頻繁に披露されている楽曲だ。

過去ゆるめるモ!とは打って変わってMCの進行にも締まりがあり煽りにも熱が入る現在ゆるめるモ!

一旦MCを挟むと、この日のハイライトは思いがけず訪れた。
その楽曲が、2ndフルアルバム「YOU ARE THE WORLD」のオープニングナンバーとなった「モモモモモモ!世世世世世世!」。披露されたのはかなり久しぶりなのだが、実は現在のゆるめるモ!のスタンスと非常に合致している楽曲なのだ。

メンバーは近頃のライブで「逃げてばかりだった自分たちがようやく『逃げていいんだよ』と言えるようになってきた」とよく語っている。
「地獄みたい きっと明日はもっと 両手振って走り出せない」
「だから眠る 今日は逃げる 仕方ないでしょ」

と、逃げる側として歌っている「逃げろ!!」に対し、
「モモモモモモ!世世世世世世!」は
「ギリギリできりきり舞いな時は当然いつでも呼んでほしい」
「ただただ観てるだけじゃいけないなと思った」
「任せてほしい この場のことは」
「もう何も出来ないと思ってる君に何度も会いに行く ゆるめるモ!
と、頼もしい言葉達が並ぶ。「いざゆかん」と。

この楽曲が発表された当時、窮屈な社会をゆるめることを標榜してきた彼女らが、この曲をもってついにヒーローになったのだ!と胸が震えたのを覚えている。哀愁漂うシリアスなサビメロは、悲しみも苦しみも背負いそれでもなお闘わんとする特撮ヒーローの終盤のストーリーのような雰囲気を感じさせた。

「逃げていいんだよと言える側になった」今のゆるめるモ!にこそ歌ってほしいとずっと願っていた1曲だった。
直前の過去ゆるめるモ!による当時を再現したライブがあり、そして時系列的には中期にあたるこの楽曲が歌われたことで、過去と現在が一本の大きな柱で貫かれた感覚を覚えた。
メンバーが度々口にする「今も昔もゆるめるモ!である」ということを、言葉ではわかっていても真に理解することは難しい。今のゆるめるモ!は大きく成長を遂げ、「ゆるかわいい」から「カッコいい」グループになった。思い出は微かな記憶として残り、今だから味わえる旨味を見つけるよりも過去のそれを求めてしまう人もいるだろう。あるいは、現在しか知らない人は辿ってきた道程にあった姿を体感として知ることはできない。

この日は過去のライブ再現と現在のゆるめるモ!のライブをどちらもステージ上に立ち上げ、なおかつそれを「モモモモモモ!世世世世世世!」がひとつに繋げた。あらゆるバックグラウンドが今現在ゆるめるモ!ゆるめるモ!たらしめていることが心で理解出来た。まるで巨大で雄々しい塔がそこに姿を現したかのようだった

息付く間もなくライブは終盤戦へと突入してゆく。過去とはまるで別人のようなしふぉんのアッパーな煽りから「Hamidasumo!」へ。続く「Only You」ではあのとしふぉんがダイブ、終盤はフロアの中に降りて人垣の中で観客と共に大合唱をし、ステージに戻った。
「仙台前に来たときこんなもんじゃなかっただろ!」とさらに「id アイドル」を畳み掛け、熱気は最高潮へと昇り詰めた。

「過去も今もこれからも孤独に寄り添う存在でいたい」と最後に披露されたのは、最新シングル収録の「孤独な獣」。
思えば「君たち一人一人が世界だ」「必要ない人なんていない」圧倒的に個の存在を肯定する「Only You」があり、それでも日々の暮らしの中ではどうしても弾かれて孤独になってしまう人もいて、しかしそれもここで出逢えばそれは二つになると歌うのが「孤独な獣」だ。

世界に何か違和感を覚えて、どうしても孤独になってしまう人がいる。なりたくもないのに暗い気分になってしまい、厄介な目に遭っている人がいる。好きで輪から外れているわけではないのにどうしても孤立してしまう人がいる。
でも、ゆるめるモ!の前ではすべてが受け入れられるのだ。
エモーショナルでスケール感のある心地好いギターサウンドと共に「Wow wow~」の大合唱で会場に集まった一人一人が繋がり、最後にはひとつになった。やっぱりゆるめるモ!は、人の心に巣食う孤独に立ち向かうヒーローなのだ


ある程度の過去も今も知っている自分は、今まで以上に、そして過去最もと言っていいほど、ゆるめるモ!が好きになった。そうさせてくれるライブだった。
涙が出そうだったが、実際涙よりもっと別のなにかエモいものが体から流れだそうとしていた。しかし21世紀初頭の人類の体にはそのようなものを排出する機能が備わっておらず、やむを得ず文章に起こして気を鎮めているところだ。


ここ最近のゆるめるモ!がこれまでと大きく違うのは、パフォーマンスのグルーヴ感の向上だ。
これまでは「ゆるい」という言葉がある意味では免罪符となり、一体感のなさもまた「味」として受け入れられてしまう面もあった。
しかし一時は解散の話まで出たという危機を乗り越え、それでも続けることを決意した彼女らのパフォーマンスはこの半年ほどで劇的な進化を遂げている

端的に言えば、「メンバー同士でしっかりコミュニケーションが取れている」と思えるようになった。
これまではどうにもちぐはぐで、個性の強いバラバラな子達がステージにいるという混沌な印象があったのだが(事実楽曲にも混沌を意識したものが多々あり、良くも悪くもシナジーを生んでいた)、先日の渋谷O-EASTでのライブを観ても4人の動きにはグループとしてのグルーヴ感が備わっており、全体として大きな存在を観れたような感覚があった。
これまでは意識しないと自然と「天才肌のあのばかりを観てしまう」というようなことがしばしばあったのだが、今はそんなことはなく、かといって各々の個性が殺されているかといえばそれは逆で、互いが互いを活かし合うことで上昇気流が生まれているような類の躍動感がステージに満ち満ちていた。


ステージングに圧倒的に磨きのかかった東名阪ツアーを終え、さらにこのバトルニューニュー仙台公演では過去と未来を繋ぎ、改めてゆるめるモ!が統合された。
6月の新作ミニアルバム発売と7月からのツアーも発表され、2015年にワンマンライブを行った赤坂ブリッツが東京公演として既に決定している。


惜しむらくはツアー前に今のゆるめるモ!のポテンシャルを伝えきれなかったこと。O-EAST公演は完売とはならなかった。
2017年からのライブはメッセージ性を重視するあまりエンターテイメント性が薄れセットリストにも大きく偏りがありかえって離れていってしまったファンも少なからずいるという。
バトルニューニュー仙台公演はそういった意味では過去ゆるめるモ!がエンターテイメント的に大きなアクセントとなり、そういった意味でも楽しめた。

個人的な意見だが、ライブに関してまずは「楽しさ」に重点を置いてほしいと思う。
楽しいライブをしていれば自然と人は集まってくる。集まってきて楽しんでもらって、好きになってもらえればその中から一人一人が自分に適したメッセージを受け取ってゆく。
ゆるめるモ!の楽曲には大きな優しさが溢れていて、それは敢えて焦点をガチガチに絞って伝えなくとも、聴き手となる個々人が自分の状況にあった歌を見つけるはずだ。
せっかくバラエティ豊かな楽曲が多数あるのだから、活かさない手はないはず。様々な側面からゆるめるモ!の魅力を見せまくることが、ゆくゆくはグループのコンセプトの遂行を助けることになるのではないか。


なにはともあれ、今のゆるめるモ!には強い自信も感じられる。今後に期待できるかどうか問うならば、呼吸や瞬きをするように、気付けば当たり前のように期待している自分がここにいるとだけ言っておこう。


過去ゆるめるモ! SET LIST
1.ゆるトロ(slo-モ!)
2.べぜ~る
3.ゆるめるモん
4.あさだ
5.ぺけぺけ
6.白玉ディスコ
7.逃げろ!!
8.生きろ!!
9.manual of 東京 girl 現代史
10.なつ おん ぶるー

※ももぴ、ゆみこーん、ゆいざらす、ちーぼうはお休み

現在ゆるめるモ! SET LIST
1.震えて甦れ
2.スキヤキ
3.モモモモモモ!世世世世世世!
4.もっとも美しいもの
5.Hamidasumo!
6.Only You
7.id アイドル
8.ナイトハイキング
9.孤独な獣